772 ガルマニア帝国の興亡(14)
ガルマニア帝国の先帝ゲールは、両腕に大剣を持って自在に振るう双剣術の達人であった。
余人には成し難いこの技を、ゾイアですら自己鍛錬の末、漸く身につけた。
剣の腕前をそのゲールに認められていたというザネンコフも、恐らくは何度かその技に挑戦したはずである。
が、できなかっただろう、とドーンは推測した。
そこで、試しに両手に木剣を持って見せると、案の定、ザネンコフは不快感を露わにしたのだ。
勿論、ドーンとて、大剣はおろか、長剣でさえ、真剣での双剣術は無理である。
木剣であればこそ、であり、ドーンはそのことを存分に利用した。
左右の手を独立した生き物のように不規則に動かし、ザネンコフに息吐く暇も与えずに、激しく打撃を加え続けた。
寧ろ、その全ての攻撃を受け止めたザネンコフを褒めるべきだろう。
しかも、ドーンの如く剣先の部分を握ったりすることなく、正統派の剣捌きで、ドーンの木剣が自分の身体に触れないように、悉く弾き返したのである。
と、ザネンコフは、急にドーンの攻撃が弱まったように感じた。
いつの間にか、ドーンは木剣一本しか持っていない。
ハッとして上を向くと、もう一本が落ちて来るのが見えた。
いつ上に投げたのか、全くわからない。
同時に、ドーンが残る一本の木剣で、こちらの喉元に向けて強烈な突きを入れて来るのを、視界の隅に捉えた。
落ちて来る木剣を払い除ければ喉を突かれ、突きを受け止めれば頭上に木剣が当たる。
しかし、ザネンコフはどちらもせずに、ニヤリと笑って一歩下がった。
ところが、ドーンもまた笑い、ザネンコフが今までいた位置に落ちて来た木剣を、持っている木剣でコンと突いたのである。
突かれた木剣は、一歩下がったザネンコフの腕にポンと当たり、地面に落ちた。
ドーンは静かに告げた。
「余の勝ちだな」
勝利宣言したドーンを、ザネンコフは悔しそうに睨んでいたが、そちらに動こうとしている兵士たちに気づき、叱りつけた。
「馬鹿者! わしにこれ以上恥をかかせるな!」
兵士たちが下がると、改めてドーンに向き直った。
「納得はいかぬが、負けは負けだ。コパにではなく、おぬしの味方になろう。それでよいな?」
「おお、無論だ。いずれ、また会おう。今度は戦友としてな」
再び魔女の姿に戻ってザネンコフの砦を飛び立ち、コパたちの待つ場所に戻りながら、ドーラは独り言ちた。
「危なかったわい。真剣の勝負なら、勝ち目はなかったのう。尤も、木剣をわたしに選ばせた時点で、ザネンコフはこうなることを望んでおったのかもしれんなあ。いずれにせよ、孤立は滅亡を意味するからの。さてさて。粗方準備はできたわい。後は、コパの阿呆を即位させるだけぞえ。チャドスめの段取りは、整うたかのう?」
その頃チャドスは、密かにある人物と会っていた。
「これはこれは宰相閣下、お元気であられましたか?」
惚けたような笑顔で挨拶をしたのは、茶色の髪に少し白髪が混じった初老の男である。
太い眉にも口元を覆う髭にも白いものがあったが、顔全体はテカテカと脂ぎっており、如何にも野心満々に見える。
それはなんと、真っ先にゲーリッヒの即位を支持し、八方面将軍の過半数を取り纏め、新皇帝の下に馳せ参じたマインドルフ将軍であった。
チャドスは嫌な顔をした。
「元気な訳がなかろう。おぬしのせいで、身体一つで国から逃げ出したのだぞ」
マインドルフは笑顔のまま、目つきだけ鋭くした。
「ほう。ならば、何故わが館に来られたのだ? ゲーリッヒ陛下は疑り深いお方。まして、今は有能な東方魔道師を飼っておられる。こんなところを見つかれば、間違いなく、わたしの首は飛びまする。そうならないためには、失礼ながら、代わりにあなたさまの首を刎ね、それを差し出すよりございませぬなあ」
チャドスはヒラヒラと手を振った。
「わかっておる。わしとて生命懸けだ。が、その有能な東方魔道師の件で、チャロア団長から聞き捨てならぬことを耳にし、是非ともおぬしだけには知らせるべきだと覚悟を決めたのだ」
マインドルフは笑顔を消し、同時に、言葉遣いも改めた。
「ならば、早く言え。こうしている間も、どこからか誰かに見られているのではないかと背筋が寒い。さあ!」
チャドスは顔を寄せ、声を低めて告げた。
「チャロアが母国マオールに問い合わせたところ、東方魔道師から選り抜かれたという親衛魔道師隊に、タンチェンという名前の人物は、おらんそうだ」
マインドルフは、間違って酸っぱいものを口にしたような顔になった。
「どういう意味だ?」
チャドスは両方の眉を上げた。
「言ったとおりの意味だ。それだけではない。今も行方を晦ませたままの、ヌルギス陛下の第三夫人の姪、あの小賢しいタンファンに、弟などおらんそうだ」
「な、ならば、あのガキは、何者だ?」
チャドスは態とらしく、肩を竦めて見せた。
「こちらが知りたいくらいだ。今も、必死にチャロアが調べている」
マインドルフは天井を見上げていたが、ふと思い出したように、チャドスに聞いた。
「魔女ドーラの手の者ではないか?」
「いや。言うのを忘れたが、今、ドーラとは手を組んでいる。また、バロードが絡んでいる気配もない」
「と、すると」
「ああ。わが母国、マオールの間者である可能性が高い。タンファンは目立つから、逆に影の役目として、別に送り込んだのだろうな」
「が、証拠はなかろう?」
「そうだな。だが、知らぬ間にゲーリッヒが操られているのなら、非常に危険だ。おぬしも、心してくれ」
身を乗り出して聞いていたマインドルフは、慌てて首を振った。
「信用できん! 自分でも調べてみるが、今日はもう帰ってくれ!」
チャドスは自信有りげに、ニヤリと笑った。
「おお、そうしよう。また、会えると良いな」
東方魔道師に連れられてチャドスが消えた後、マインドルフは不愉快そのものの表情で、「誰か酒を持って来い!」と怒鳴った。




