770 ガルマニア帝国の興亡(12)
新皇帝となったゲーリッヒを逸早く支持したマインドルフ将軍らに対抗するため、魔女ドーラは、反対勢力を結集しようと働きかけていた。
山賊上がりだというゴンザレス将軍に揺さぶりをかけた後、長居はせずに飛び立った。
「ふん。酒臭い息を吐きおって、胸が悪くなるわい。まあ、あれくらい言っておけば、自然にこちらに靡くであろう。さて、次じゃ」
ゴンザレスの占領していた地域は、ガルマニア帝国周辺でもギルマンに近い西南部であったが、ドーラはそこから少し北上した。
「素性の知れぬゴンザレスと違い、次のヒューイという男は貴族の出らしい。ということは、コパと似たような感じかのう?」
コパの母方は、ガルマニアでは数少ない貴族の家系であった。
ゲールが帝国を建国した際、野人の族長ギランの娘にゲーリッヒを生ませていたにも拘わらず、コパの叔母を娶ったのは、それなりの思惑があったのだろう。
しかし、やがて生まれたゲルカッツェの資質に失望し、ゲーリッヒを皇太子に指名した。
ゲルカッツェの母は早くに亡くなったが、代わりに養育を買って出た伯母、即ちコパの母親がそのことを激しく責めたため、ゲールはコパに対しては甘かったのだ、との噂もあった。
「に、しても、コパとは別系統の貴族であるらしいから、予断は持たぬ方がよかろう。おっ、あれじゃな」
ドーラは、小さいながら綺麗に整備された城を見つけ、高度を下げた。
隠形して接近すると、門のところに今時珍しい儀仗兵が立哨しているのが見えた。
「なんとまあ時代錯誤な! これは心してかからねば、話が進まぬぞ」
ドーラは、隠形のまま儀仗兵の上を通り過ぎ、城内に入った。
中にいる兵士たちも、華美とさえ見える揃いの軍服を身に着けており、城主の貴族趣味を窺わせた。
更に居館の中に入ると、内装も調度品も、豪華絢爛を極めていた。
姿を消していることを忘れて思わず感嘆の声を上げそうになり、ドーラは慌てて自分の口を押えた。
長い廊下の突き当りにある奥の間の内部は、細かな彫刻が施された柱や壁面に、ふんだんに金箔が貼り付けられ、バロンの王宮やゲオグストの皇帝宮以上に贅が尽くされている。
その中央に、薄絹の天蓋付きの巨大な寝台があり、美少年の小姓数名に傅かれた男がいた。
将軍、という呼称を使うことを躊躇いそうな、ヒラヒラとした絹の部屋着姿であったが、これがヒューイであろう。
癖のない赤い髪を短く刈り込み、のっぺりと白い顔に、細く整えられた赤い口髭が左右にピンと伸びている。
小さな杯に小姓が少量の葡萄酒を注ぐと、舐めるようにして飲んだ。
ドーラは呆れてつい溜め息を吐いてしまい、驚かせぬよう小さな声で、「お寛ぎのところ、すまんのう」と告げながら、姿を現した。
ゴンザレスのところの美女たちと違い、さすがに小姓たちは主人を護るように身構えたが、ヒューイ自身が穏やかな声で「下がっておれ」と命じた。
小姓が全員ベッドから降りると、ヒューイは居ずまいを正した。
「お初にお目にかかる、ドーラどの。それとも、こう呼ぶべきかな、聖王アルゴドラス陛下と?」
「ほう。以前に会うたことがあったかの?」
「いや、無論初対面だ。以前からあなたの存在には興味を持っていて、色々調べさせてもらった。が、たとえ、あなたがアルゴドラス聖王その人であったとしても、それは過去のこと。今は魔女ドーラ、または、男性形であれば大元帥ドーンとして遇しようと思う。よいか?」
「おお、それでよいとも。わたしも兄も、過去の栄光に縋るつもりなどないでなあ」
「わかった。で、ご用件は?」
ドーラは惚けたように笑って見せた。
「賢いおぬしのことじゃ、もう察しておろう?」
ヒューイも屈託なさげに笑った。
「然程賢くもないが、コパに味方せよ、ということなら、断る」
ドーラの笑みが消えた。
「ほう、ゲーリッヒに付くつもりか?」
ヒューイも笑顔ではなくなり、いや、それどころか、嫌悪感を露わに吐き捨てた。
「誰があのような野人の臣下になるものか! まして、マインドルフのような下賤な者が一緒など、御免被る!」
「ならば、何故?」
ヒューイはフーッと息を吐き、杯に残っていた葡萄酒を飲み干した。
「知らぬと思うが、コパの母方よりもわたしの方が家格は上だ。まあ、それはまだ我慢するとしても、以前わたしの趣味を馬鹿にされたことがあるのだ」
「そうか。じゃが、この城の内装など、見事なものだと思うぞえ」
ヒューイの頬が微かに赤らんだ。
「違う。そういうことではない」
ドーラはハッとして、ベッドから離れずに周囲に控えている小姓たちを見た。
「成程。それは腹も立とう。が、それは、おぬしもコパも、本当の世界を知らなかったからに過ぎぬ。わたしを見よ! かつて聖王として多くの女を愛し、また、舞姫の姿で多くの男に愛された。男女の差など、小さなことよ。もし、コパに言われたことを根に持ち、その味方になりたくないと言うのなら、わたしの、或いは、兄ドーンの盟友ということでもよい。どうじゃ?」
ヒューイは、ピンと伸びた口髭を指先で捻りながら天蓋を見上げていたが、フッと笑ってドーラを見た。
「最前は強がってああ言ったものの、伝説の聖王アルゴドラスと盟友とは、心躍るようだ。よかろう。コパにではなく、あなたの味方となろう」
ヒューイの城を出た後、上空で少し空中浮遊しながら、ドーラは顔を顰めて独り言ちた。
「田舎貴族め! コパより家格が上じゃと? はっ! ガルマニア人の位など、家畜の等級よりも価値がないわ! が、権威に弱い人間は扱い易い。一旦味方に引き入れれば、こちらのものさ。尤も、見るだに兵は弱そうじゃな。まあ、ゴンザレスより、抱えている人数は多いから、よしとするか。さてさて」
ドーラは、北の方を見た。
「最後が、一番の難物ぞえ。剣豪将軍と称されるザネンコフか。先帝ゲールの一番のお気に入りだったという男に、果たして、どういう態度で臨むべきかのう」