53 好敵手
試合が始まる前のことである。
自分も覆面をしたいとロックが言い出した時、さすがにゾイアも苦笑して首を傾げた。
「それは、どうかな」
ロックは口を尖らせて反論した。
「だってさ、付添いをやるとしたら、おいらしかいないじゃん。リゲスは審判役だっていうし。となると、『荒野の兄弟』の連中に、モロに顔を見られる。クルム城から逃げた者の中に、おいらの顔を覚えてるやつだってきっといるさ。おいらがロックとわかれば、連れはおっさんだってバレちゃうよ」
「まあ、おまえが心配なら、そうするのがいいだろう」
実際、ゾイアが今している覆面も、手先の器用なロックの手製であり、その時の皮革がまだ残っていたから、試合が始まる前に手早く縫い上げた。
名前も万が一を考え、『旅芸人のレックス』ということにした。
だが、控室で待っている間も、ロックはずっと落ち着かなかった。
見兼ねて、ゾイアが声をかけた。
「どうした? そんなに『荒野の兄弟』の前に出るのが心配か?」
「それもあるけど」
「ああ、そうか。リゲスには、われにもしもの事があった場合は、おまえのことをよろしく頼むと言ってあるぞ」
「違うんだ。おいらは、おっさんが負けるかもしれないなんて思ったこともないよ。でも、リゲスは」
ロックは、聞き耳を立てている者がいるのではないかと懼れるように左右を見回している。
ゾイアは片方の眉を上げた。
「何だ?」
ロックは唾を呑み、声を落として囁いた。
「リゲスのことは、あんまり信用しない方がいいよ」
「おまえの従兄弟だろう?」
「しっ、声が大きいよ。従兄弟だからわかるのさ。あいつは心底悪党なんだ。決して油断しちゃいけない」
ゾイアは莞爾と笑った。
「われは常に油断しないよう心掛けている。何が起ころうと、臨機応変に対処するだけだ」
「それなら、いいんだけど」
やがて呼び出しが来て、二人は中庭の会場に出た。
二人の覆面に失笑する者もいたが、ゾイアは気にしなかったし、ロックは気にする余裕もなかった。
相手の闘士を見た時、ゾイアは「ほう」と呟いた。
金髪碧眼の筋肉質な男で、身長も体型もゾイアとほぼ同じである。事前に、どんな凶悪な面構えの相手だろうと想像していたが、宮廷にいてもおかしくないような品のある容貌をしている。
ゾイアは、ふと、自分が体を乗っ取ってしまったタロスという男は、こういう感じの人物だったのだろうかと思い、妙に親近感を覚えた。
「だが、勝負は勝負だ」
「何か言ったかい、おっさん?」
「いや、手強そうだな」
「ああ、流れ者らしいけど、元はどこかの国の騎士だという噂だよ。大丈夫かい?」
「全力を尽くすのみだ」
リゲスが闘士二人の間に立った。
「ガイアックは知ってるだろうが、おれは『暁の軍団』の客分のリゲスだ。もちろん、判定は公正にやるから安心しろ。双方、武器は何を使う?」
相手が「長剣で」と言うのと同時に、ゾイアも「長剣がいいだろう」と告げた。互いの声も似ているようだ。
「ならば、双方長剣を用意させよう。試合はどちらかが死ぬか、戦闘不能になるまでだ。異存ないな?」
相手が即座に「ない」と答え、ゾイアも「無論だ」と応じた。
それぞれが長剣を受け取り、間合いを取って立った。
少し離れた位置に立ったリゲスは、右手を一度高く上げ、振り下ろした。
「始めよ!」
序盤から激しい打ち合いとなった。
長剣が折れるのではないかと思えるほど一撃一撃が重く、しかも速い。
刃と刃を合わせる接近戦になると、いきなり蹴りを入れてくる。
少しでも体勢が弛むと、剣を片手に持ちかえ、開いた片手でこちらの腕を掴んで投げを打とうとする。
相手の攻撃は悉く躱したが、こちらも極まらない。
闘いながらも、両者は互いに目を瞠った。
「やるな、おぬし!」
相手が感嘆の声を上げ、ゾイアも覆面の中でニヤリと笑った。
「そう言う、おまえこそ!」
「だが、容赦はせん!」
「望むところだ!」
闘いに集中しながらも、ゾイアは視覚の隅に、審判役のリゲスに駆け寄る者の姿を捉えた。
確かバポロの小姓だ。
リゲスの口が「今なのか?」と動いたようだが、すぐに頷くと、手を高く上げてグルグル回した。
と、桟敷席の最上段に陣取っていた観客が、一斉に立ち上がった。
全員手に十字弓を持っている。
矢を番えて構えた先は、ルキッフたち『荒野の兄弟』の席だ。
「待て! 様子が変だ!」
ゾイアが声を掛けるのと同時に相手も異変に気づき、ゾイアを睨んだ。
「騙したな!」
「違う、われも知らぬことだ。だが、このままではルキッフたちの命が危うい。早く連れて逃げよ。追っ手はわれが防ぐ!」
相手は一瞬躊躇ったが、「頼む!」と小さく頭を下げ、「ベゼル、行くぞ!」と付添いの男に声を掛け、走り出した。
次の瞬間、桟敷席の最上段から、一気に矢が放たれた。




