3 襲い来るものたち
元はタロスであったはずの男は、言われていることの半分もわからないらしく、力なく頭を振った。
「何も思い出せぬ。ここが何処なのか、われが誰なのかも」
ウルスは心苦しそうに「ごめんね」と謝った。
「でも、他に頼る人がいないんだよ。タロスがたった一人の味方だったんだけど……」
「そうか、この肉体は、そのタロスとかいう者だったのだな」
改めて自分の身体を見つめながら、男は「よし、わかった」と頷いた。
「思い出せぬこととはいえ、われがこの者の肉体を奪ったのだろう。そうであるなら、われがこの者の義務を引き継ぐのが道理というものだ。おまえを、いや、おまえたちを連れて逃げよう」
そこで再び惑乱したように、「おまえたちは、いったいどういう存在なのだ?」と尋ねた。
その質問には慣れているらしく、ウルスは少し苦笑した。
「ぼくらは物心ついた頃からこうだったから違和感がないんだけど、最初はみんな驚いたらしいね。ぼくらは新バロード王国の王子と王女なんだ。産まれた時から身体は一つだった。ええと、そのう、男女両方の特徴があるんだよ」
ウルスは少し顔を赤らめた。
「で、みんなで相談して、表向きは王子ということにして、ウルスと名付けられたんだ。その時には、心まで二つとはわからなかっただろうしね。でも、そのうち、姉さんの人格があることがわかり、こっそりウルスラと名付けられたんだ」
ウルスが突然俯き、顔を上げた時には、瞳の色が変わっていた。
「冗談じゃないわ! わたしは最初からいたのよ!」
再び俯いて顔を上げると瞳の色が戻った。ウルスは少し困った顔になったが、話を続けた。
「実は、そうなんだけど、王家の後継ぎは男子優先だから、それは秘密にされた。でも、後継ぎとしても重要な強い理気力は、姉さんしか持ってないんだ。魔道を使うには、ロゴスが必要だからね。尤も、この何日かは辛いことが続いて、姉さんは魔道が使えなくなっていたんだよ」
男が混乱しているのに気づき、ウルスは話を切り替えた。
「ごめんね、いきなり複雑な話をして。ところで、きみの名前は、ゾイアでいいかい?」
「うむ。意味はわからぬが、その言葉しか覚えておらぬ。ゾイア、と呼んでかまわん」
「じゃあ、ゾイア、ゆっくり話す時間がないから、とりあえず、最初のお願いをしていいかな?」
「おお、何なりと」
「きみがやっつけた人たちを弔ってあげたいんだ」
「弔う? おまえたちを殺そうとした相手ではないのか?」
「わかってる。でも、彼らは傭兵騎士団なんだ。カルボン卿に雇われただけだ。せめて最後ぐらい、騎士らしく弔ってやりたい」
「優しいのだな」
「父上の教えさ。王たる者は、まず慈悲の心を持て、と。でも、その所為で父上は」
ウルスは少し涙ぐんだが、ぐっと堪えた。
「今はまだ哀しんでる場合じゃないね。それに、弔うのは、他にも理由がある。ここは辺境に近いから、もしかして腐死者になっちゃ、大変だからね」
「ンザビ?」
「そう。辺境には死霊がウジャウジャいるから、新鮮な屍体があると、すぐに取り憑くんだって。そうなると厄介だからさ」
「そうなのか。であれば、手遅れかもしれん」
「え?」
月明かりの中、そこここに斃れ臥していた男たちに変化が起きていた。動くはずのない彼らの身体が、モゾモゾと蠢きだしたのだ。だが、身体の動かし方を忘れ果てかのような、不自然な動きだった。
そのうち、上から糸を引かれた操り人形のように、一人、また、一人と立ち上がり、フラフラと歩き出した。
「ど、どうしよう」
忽ち震え出したウルスの肩を抱き寄せ、ゾイアは力強く宣言した。
「われの覚悟は決まっている。襲い掛かって来る敵は、ただ斃すのみ!」
ウルスを護るためなのか、或いは、ゾイアがタロスの肉体に馴染んで来たためなのか、獣人に変身することはなく、人間の姿形のまま闘うつもりのようだ。
その間にも、ンザビとなった男たちが、わらわらと寄って来ていた。手に手に剣を下げている。
「ウルス! われの背に乗れ!」
「あ、はい!」
王子とはいえ、躊躇っている場合ではなかった。
ゾイアが少し腰を屈めた折に、ウルスは素早く背中に飛び乗り、確り首っ玉に腕を回した。
「よし、落ちるなよ!」
一声かけた次の瞬間、すでに目前まで迫っていた最初の一体が振り上げた剣を体を開いて躱すと、石のような拳をそいつの顔面に見舞った。
ゴン、と鈍い音をたてて相手は倒れたが、勿論、一言も発しない。
次の一体は、何の予備動作もなく、いきなり剣で突いて来た。
ゾイアは、それをギリギリで見切って避けると、伸び切った腕から剣をもぎ取り、重さを感じていないかのように軽々とそれを振るって、相手を袈裟懸けに斬った。
斬られた相手はヨロヨロと数歩後ろに下がったが、一滴の血も流さず、再びこちらに近づいて来ている。
ゾイアは不敵に笑った。
「長い夜になりそうだな。ウルス、今のうちにわれの背中で寝ておけよ!」




