47 悪い仲間
この時点で、ガルマニア帝国軍の戦死者は三千名近くまで膨らんでいた。
それでも凡そ一万二千名は残っており、圧倒的に人数は多い。
僅か数百騎のニノフたちが愚図愚図していれば、押し潰されていただろう。
事前の作戦会議でも、そこが一番の難点と見做された。
そこでニノフが考えたのが、互いにそのまま前進する、という案であった。
北の丘陵を駆け降りる、ニノフ率いる金狼騎士団を中心とする一団は、一定の戦果を挙げれば、そのまま前進して南の丘陵を駆け登る。
一方、南の丘陵から下るボローの大熊騎士団を中心とした一団は、そのまま北へ上がる。
こうすれば、馬の方向転換をせずに済むため時間と労力の節約となるばかりでなく、参加している傭兵たちの心理的な負担が少ないである。
自分たちの十倍以上の人数の敵に突っ込むのは、誰しも恐ろしい。
戦いの後、敵に背中を向けて元の場所に帰る行為は、その恐怖心を呼び覚ましてしまう。
そこで、前へ前へと進ませることにしたのだ。
先に南の丘陵に登ったニノフは、伝令を飛ばして再び横一列に並ばせ、勝鬨を上げさせた。
少し遅れて北の丘陵に着いたボローも同じように団員たちを横に並ばせ、自らは、十字槍の先に突き刺したゴッツェ将軍の首級を高く掲げた。
「ガルマニア帝国ゴッツェ将軍の首、討ち取ったりーっ!」
南北の丘陵で、同時に同じ言葉を連呼した。
ゴッツェは独断専行型の将軍であったため、副官以下、自分で考える訓練がなされておらず、その瞬間、一気に統制が崩れた。
一斉に国に引き返そうと、撤退し始めたのだ。
大勢が狭い渓谷に犇めくように進むため、あちこちで小競合い起こり、あろうことか、同士討ちする場合すらあった。
それだけではない。
ガルマニア帝国の厳しい軍律を考えれば、このまま帰国しても軍事裁判にかけられ、良くて投獄、悪くすれば処刑されかねない。
続々と逃亡者が発生した。
そのため、無事に帰国した兵士は数千名のみで、彼らの予想どおり投獄される者もあったが、人数が多すぎるため、大半はガルム大森林の強制労働所送りとなった。
ガルマニア帝国軍破れるの報は、瞬く間に中原中に広まった。
それと共に、バロードの傭兵騎士団とその団長の一人であるニノフの名が高まったのである。
一方、プシュケー教団については良い評価が少なく、不気味な存在という認識がまだ一般的であった。
緩衝地帯を旅するゾイアとロックの二人も、シャルム渓谷の戦いの噂を耳にした。
ゾイアがカルボン総裁の下から逃れた後、すぐにバロード共和国がガルマニア帝国と開戦したため、追跡はされなかった。
あのガイ族の親子もまた、戦争のための諜報活動に駆り出されたらしく、追っては来なかった。
そこで二人は、水や食料の調達を優先し、昼間の旅に戻していた。
それでも、あまり人目につかぬよう、大きな自由都市などには寄らず、緩衝地帯に点在する宿場町を縫うように進んでいる。
ゾイアたちがガルマニア帝国軍の敗退を聞いたのは、そんな宿場町の酒場であった。
「驚いた。あまり犠牲が出なければ良いがと思ったが、勝ってしまうとは」
ゾイアは麦酒を飲みながら感心したが、ロックは異を唱えた。
「違うよ、おっさん。勝ったのは何とかって教団じゃなくて、バロードの傭兵騎士団のニノフとかいう若い団長だろ?」
そう言って、ロックは麦酒を一口飲み、肉団子を撮んだ。
「そうかもしれんが、それもプシュケー教団の善戦の賜物だろう」
「まあ、おいらはどっちでもいいけどさ。それより、そろそろ何かして稼がないと、ヤバイぜ。どこへ行っても足元を見られて高い買物になるから、ギータがくれた路銀も乏しくなってきたし。いっそ、おいらが」
ロックがニヤリと笑ったため、ゾイアは麦酒の杯を置いて、首を振った。
「いや、それはやめてくれ。漸く熱が冷めたのだ。余計な敵を増やしたくない」
その時、酒場に入って来た人相の悪い男が、「おう、ロックじゃねえか」と声を掛けてきた。
顔に大きな刀創がある。
ロックはちょっと嫌そうな顔になったが、作り笑顔で「久しぶりだね、リゲス」と応えた。
リゲスと呼ばれた男は勝手にゾイアたちのテーブルに座り、店の親爺に「おれにも麦酒をくれ」と注文した。チラリとゾイアを見て、「ほう」と唸った。
「あんた、ロックの連れみてえだが、とてもコソ泥には見えねえな」
ロックは驚き、「やめろ、リゲス。このおっさんは、そんなんじゃないんだ」と言い返した。
「へえ。じゃあ、何だ。おめえの用心棒か?」
「いや、その、ええと、闘士だよ。武者修行の旅をしてるところで、偶然知り合ったんだ」
すると、リゲスという男は刀創のある頬を歪めて笑った。
「そいつは丁度いい。おれは今頼まれて優秀な闘士を探してるんだ。『暁の軍団』って野盗団があるんだが、そこの闘士が縄張りを懸けた勝負で『荒野の兄弟』の闘士にあっさり負けちまったらしい。そこで、もう一回だけ勝負をやらせてくれと頼みこんで、強い闘士を探してるんだ。礼は弾むらしいぜ」