38 廃都ヤナン
別名を『豊穣神の箱庭』と呼ばれる中原は、北のベルギス大山脈の雪解け水によって、常時潤されている。
西端のスカンポ河以外は、網の目のように細かい流れが縦横に走り、最終的に南のアルアリ大湿原に合流する。
しかし、途中の細い川は度々流れを変え、百年もすれば全く別の場所に移動してしまう。
川の流れを失った地域は、すぐに砂漠化が始まる。
ゾイアたちが進む緩衝地帯とはそういう地域であり、水や食料の確保が困難を極めた。
一晩中馬上で揺られ続け、そろそろ夜明けを迎える時間となるため、二人で塒となる場所を探しながら、ロックはゾイアに不満を漏らした。
「なあ、おっさん。そろそろ水と食い物を補充しねえと、二人とも干上がっちまうぜ」
ロックに言われるまでもなく、ゾイアもずっと気に掛かっていた。
「うむ。どこの国にも占領されないということは、その価値がない、ということなのだな。夜の間に進むのには安全でいいが、殆ど草木もないし、動物も見かけない。少し無理をしても、今日は寝ずに、日のあるうちに差し障りのない自由都市にでも寄るかな」
「だったら、もう近くだから、いっそバロードに入っちまうか?」
ロックの乱暴な提案に、しかし、ゾイアは即座に首を横に振った。
「駄目だ。われのこの体は、元々ウルスの従者のタロスという男だ。今は目と髪の色が違っているから、ぱっと見には気づかれないだろうが、昔の知り合いに出会えば怪しまれる虞がある。バロード自治領に入るのは拙い」
勿論、二人は、バロードが共和国となったことなど知る由もない。
「そりゃそうだろうけど、ここから一番近い自由都市でも、今日中には着けないぜ」
口を尖らせるロックを宥めようとしたゾイアは、ふと前方を見やって「あれは何だ?」と声を上げた。
ロックがその視線の先を追うと、遠くに都市のようなシルエットが見えた。それが何かすぐにわかったらしく、ロックは苦笑した。
「あれは廃墟さ。バロードが聖王国として中原を支配してた頃の王都ヤナンだよ。かつては水の都と呼ばれるくらい運河が発達してたけど、近くを流れる川が枯れて、人が住めなくなった。その後、今のバロンに遷都したけど、間もなく聖王国自体が滅んでしまった。カルス王が王国を再興した時も、当然王都はバロンになった。だから、もう千年以上、ヤナンには誰も住んでいない。ずっと廃墟のままさ」
「そうか。だが、千年の間に再び川の流れが変わったかもしれぬ。行くだけ行ってみよう」
ロックは肩を竦めた。
「おいらは無駄だと思うけど、どうせ、おっさんは言い出したらきかないから、いいよ、つき合うよ」
二人は馬を速め、廃墟となったヤナンを目指した。
近づくにつれて夜も明け、朝日に照らされてヤナンの現在の様子が見えて来た。
意外にも、丈なす草が生い茂り、石造りの建物の残骸には蔦が絡まっている。
これにはロックも驚き、「すげえ!」と声を上げた。
「おっさんの言うとおりだったな。川の流れが変わったんだ」
だが、ゾイアの返事はさらに衝撃的であった。
「いや、川の流れが変わったのではない。誰かが変えたのだ。見ろ」
ゾイアの示す方をロックが見ると、真新しい細い水路が遥か向こうから続いている。
「へえ、随分遠くから引っぱって来てるな。こりゃ、大仕事だったろう」
「ああ。大変だったはずだ。伊達や酔狂で、できることではない。しかも、造ったのはごく最近だ。用心しろ。どんな人間が住んでいるのかわからんぞ」
「わかってるさ。だが、せっかく草が生えてるんだ。馬だって、腹が減ってるぜ」
「そうだな」
とりあえず、廃墟に入ってすぐにあるボロボロに風化した石柱に馬を繋ぎ、周辺の草を食ませた。
ゾイアは、荷物の中から長剣一本だけ取り出し、腰に差した。
「われらも、水と食料を探そう。ただし、どんな危険があるかわからんから、離れぬように一緒に行動しよう」
「ああ、おっさんについて行くよ」
廃墟の中を進むうち、家畜の鳴き声が聞こえてきた。
地面を耕して、畑のようになっている場所もあった。
明らかに、誰かがここを生活の拠点にしている。
「こりゃあ、本格的だな、おっさん」
ロックがのんびり感想を述べた時、ゾイアが「伏せろ!」叫んで、ロックの頭を掴んで強引に下げた。
すると、ロックの頭があった位置を、ヒュンと音を立てて何かが通り過ぎ、地面にガスッと突き刺さった。刀子である。
ゾイアは長剣を抜き、次に飛んで来た刀子をカツンと弾き返した。
「何者だ!」
ゾイアが大声で誰何すると、変わった抑揚の返事があった。
「それ、こちら、言う、こと」




