36 模擬試合
当然のことだが、名無しはルキッフの言葉を比喩と受け取った。
「手傷を負うと、獣のように変わる闘士か。うむ、いずれ闘ってみたいものだな」
それを聞いて、ルキッフは嬉しそうに笑った。
「おお、そいつは頼もしいな。体格も、ちょうどおまえと同じぐらいだ。ふむ、なんとなくだが、顔付きも似ているな。やっぱり、そいつも少し生意気な口をきくやつだったよ」
思い出して苦笑したが、すぐに表情を引き締め、相手を真剣な顔で見た。
「だが、その前におまえに斃してもらいたい相手がいるのさ、名無し」
「ほう。それは何者だ?」
ルキッフは、逆に名無しに問うた。
「おまえ、『暁の軍団』を知ってるか?」
「いや」
「軍団と名乗っちゃいるが、おれたち『荒野の兄弟』と同じ野盗さ。長年、縄張りを争ってたんだが、ついに手打ちすることになった。しかし、これまでの確執は、そう簡単に消えるもんじゃない。互いの言い分を譲らず、最終的に縄張りの線をどこで引くのか、なかなか話がまとまらない。そこで、闘士の一騎打ちで決着しよう、ということになった。その役目をおまえに託したいんだ」
「望むところだが、わたしで良いのか?」
「ああ。おまえは新入りだが、剣の技量は抜群だ。恐らく、元は一廉の剣士だったんだろう。おれの義兄弟たちの中で、今、一対一でおまえに敵うやつはいないよ。引き受けてくれるか?」
この時代、闘士同士の闘いは命懸けである。
負ければ、死なないまでも、大怪我を覚悟しなければならない。
だが、名無しは、少しも躊躇わなかった。
「無論だ」
ルキッフは髭面をクシャクシャにして喜んだ。
「おお、そう来なくちゃ。しかし、そうなると、名無し、というわけにはいかないな。名前は、まだ思い出さないか?」
名無しは首を捻っていたが、「駄目だ。何も浮かばない」と諦めた。
「そうか。それじゃあ、おれが闘士としての名前を付けてやろうか?」
「ああ、頼む。わたしも、いつまでも名無しでは落ち着かない」
「よし。じゃあ、今日からおまえは、闘士ティルスだ」
名無しは、何か記憶に引っ掛かるのか、「ティルス、ティルス」と呟いていたが、大きく頷き、莞爾と笑った。
「良い名だ。気に入った」
ルキッフも満足そうに笑った。
「そいつは良かった。それじゃ、試合は十日後だ。ティルス、調子を整えておけよ」
「うむ。任せてくれ」
その後、ルキッフの計らいで、より実戦的な訓練をするために模擬試合をすることになった。
相手は古参の闘士であるベゼルという男である。
ごつい体つきの大男で、体中に傷跡があった。
うねうねと波打つ癖のある長い黒髪を後ろで束ねている。
瞳の色は焦げ茶色だ。その目で、ティルスは何度も睨まれたことがある。
新入りの『名無し』がルキッフのお気に入りになったことが、この大男の機嫌を損ねているのは明らかだった。
「模擬試合だからって、手加減はしねえぞ」
ベゼルはいきなり、そう宣言してきた。
ティルスは笑って応えた。
「こちらも、そのつもりだ」
試合はいつもの練習場で、木剣で行うことになった。
木剣とはいっても、固い樫材を使っているから、本気で打てば命に係わる。
大柄なベゼルと向き合うと、筋肉質なティルスでさえほっそりして見えた。
しかし、そのコバルトブルーの瞳には自信が漲っている。
ルキッフは出かけたため、試合の立ち合いは『荒野の兄弟』の長老格であるドメスという老人が務めることになった。
ティルスとベゼルを向かい合わせに立たせ、試合をする上での注意をした。
「よいか。これはあくまでも模擬試合じゃぞ。多少体に当てるのは構わんが、互いに怪我をさせるな」
ベゼルはニヤリと笑って、「なるべくそうするよ、なるべくな」と告げた。
ティルスは黙って頷いた。
ドメスは二人に距離を取らせ、等分に見比べた後、宣言した。
「始めよ!」
その言葉が終わり切らぬうちに、ベゼルは巨体に似合わぬ素早さで、突きを入れて来た。
ティルスは下段に構えていたが、木剣の先を地面に当てると跳ね上げた。
剣先に乗った土が、猛進して来るベゼルの眼元に飛ぶ。
ベゼルが一瞬怯んだ隙に、ティルスは体を開いて突きを躱し、自分の木剣を横に伸ばしてベゼルの首を狙った。
が、ベゼルは仰け反るように倒れてそれを避け、背中が地面に着く前に、木剣を捨てて両手でティルスの脚を掴んだ。
万力のような力で、脚の筋肉を握り潰そうとしてくる。
「ぐあっ!」
痛みを堪えて、ティルスが木剣を振り下ろしたが、それが当たる寸前にベゼルは脚から手を離し、ゴロゴロと転がって自分の木剣のある場所に着くと、サッとそれを持って立ち上がった。
「こらからが勝負だぜ、名無し!」




