22 裏切りの代償
ゾイアの瞳が緑色に変わり、夜行性の獣のように爛々と光り始めた。
肌には細かな黒点が多数生じ、見る間に剛毛となった。
髪の毛の部分も焦げ茶色に変わり、鬣のように見える。
顔はボコボコと膨らみ、顎がヌーッと伸びてきた。
獣人化であった。
ギータは怯えたように、「聞きしに勝る変身だな」と呟く。
ロックは身を乗り出し、ゾイアの目の前で手を振って見せた。
「おっさん! 気を確り保つんだ! わかるかい、おいらの顔が?」
「ぐ、ぐあっ!」
ゾイアも必死で歯を食いしばり、自分の情動を静めようとしているようだ。
それに勇気づけられたように、ロックはゾイアに声を掛け続けた。
「おっさん、おいらだ、ロックだよ!」
「ロッ、ク、……?」
「そうだよ! わかるかい?」
「あ、ああ、……、わ、かる」
ゾイアは徐々に平静を取り戻しつつあった。
それと共に顔が平たくなり、体毛も少しずつ短くなって行き、頭髪や瞳の色も変化を見せた。
「おっさん、落ち着いたかい?」
「う、うむ。すまん、もう、大丈夫だ」
ずっと息を詰めていたらしく、ギータがホーッと長く息を吐いた。
「いや、驚いた。先程経緯を聞きながら、話半分のつもりでいたが、いや、とんでもないな。小人族のわしが言うのも何だが、此の世のものとは思えん。残りの金貨五枚も返したいくらいだが、また押し問答になるから、それは止めておく。しかし、このまま話を続けて、おぬしは大丈夫か?」
ほぼ平常の状態に戻ったゾイアは、漸く少し笑顔を見せた。
「本当にすまぬ。不意打ちのように、沢山の塔が繋がった街が頭に浮かんだ。その途端、何やら理由のわからぬ激情が突き上げて来たのだ。もう大丈夫だ、落ち着いた。ところで、そういう都市なのか、その、エイサ、というのは?」
エイサという言葉を発音する時だけ、ゾイアの全身に緊張が漲った。
だが、再び獣人化が始まることはなく、ゾイアはホッとしたように笑った。
ギータもそれを確かめると、「そうだ。その光景はエイサに間違いない」と笑った。
「恐らく、おぬしの過去に係わる何かがエイサにあるのだろう。わしも心掛けて情報を集めておこう。話を続けるが、良いか?」
「むろんだ」
「さて、このエイサには『塔の都』という別名の他に『中原の臍』という呼び名もあり、ほぼ中原の中央に位置している。古代バロード聖王国崩壊後の戦乱の中にあって、千年もの間中立を保っていたが、ついに先日ガルマニア帝国に焼き討ちされ、壊滅してしもうた」
「ガルマニア帝国とは、どういう国なのだ?」
「うむ。元々はガルム大森林の中で狩猟を生業としていた赤毛の野人だったが、ゲールという梟雄が現れ、中原の東端に強引に新しい国を建てたのだ。建国後、凄まじい勢いで周辺の国や自由都市を蚕食し、大帝国となった。今では、直轄領と傘下の自治領を併せると、中原の凡そ半分を勢力下に置いている」
「ウルスの国も、ガルマニアに滅ぼされたのだな?」
「いや、直接に、ではない。新バロード王国は、古代バロード聖王国の血筋を引くカルス王が再興した国だが、辺境に近い中原の西北に位置し、ガルマニア帝国の勢力圏から少し離れている。だが、カルス王を補佐していた宮宰のカルボン卿の裏切りによって、国ごとガルマニア帝国に身売りされてしまったのだ」
ギータの言うとおり、かつて新バロード王国であった地域は、今ではバロード自治領となっていた。
その王都であったバロンも、変わらず自治領の首都であった。
但し、王都であった頃の賑わいはなく、街中を闊歩しているのは、ガルマニア兵ばかりである。
王宮は、実質的な占領軍であるガルマニア軍に明け渡され、名ばかりの自治領執政官であるカルボン卿は、市庁舎の一角で執務に当たっていた。
カルボン卿は、髪に白いものが目立つ痩せた男で、削いだように頬がこけた陰気な顔をしている。
山のような報告書の束を捲りながら、ブツブツと独りで喋り続けていた。
そこへ、自治領の役人の一人が駆け込んで来た。
「執政官さま! 大変でございます!」
カルボン卿は、苛立たしげに眉を顰めた。
「大きな声を出すな。聞こえておる」
「失礼いたしました。ですが、間もなく、軍師のブロシウスさまが視察にお見えになります」
「何! それを早く言え!」
だが、カルボン卿が応接の準備をする暇もなく、「邪魔するぞ」という声が聞こえて来た。
魔道師が着るようなフード付きのマントを身に纏った、小柄な老人が入って来た。
フードを被っていないため、地肌が透けるほど髪が薄くなった頭部が丸見えになっている。
ガルマニアの軍師、ブロシウスであった。
カルボン卿は、席を立ってブロシウスの前に駆け寄り、跪いた。
「これはブロシウスさま、お出迎えもせずに申し訳ございません」
「ああ、構わんよ。卿もお忙しいであろうからのう」
「忝うございます」
「実は、少々訊きたいことがあって来たのじゃよ」
「はっ、何なりとお尋ねくださいませ」
「卿が処刑されたはずのウルス王子が、どこかで生きておるというのは、真実かの?」
カルボン卿の顔色が、紙のように白くなった。