187 敵はゲルポリスにあり
能力主義が徹底しているガルマニア帝国では、将軍と雖も純粋なガルマニア人は少ない。
例のシャルム渓谷で首級を獲られたゴッツェ将軍などは例外中の例外で、今ブロシウスの周りにいる将軍たちも他民族の出身者が多い。
抑々ガルマニア人自体が森林地帯の少数民族であり、ゲールという梟雄が出現することによって急速に領土を西に拡大した。
その過程で飲み込まれた小さな国や民族から、有能な者は分け隔てなく登用したのである。
能力次第で幾らでも出世できる代わりに、一度無能と見做されれば生命はない。
ブロシウスの恐るべき宣言を聞いた将軍たちは、誰も一言も喋ろうとはしなかった。
言質を取られることを怖れているのだ。
その気持ちは、長年ゲールに仕えて来たブロシウスにも、痛い程わかった。
しかし、最早引き返すことはできない。
ブロシウスは、語気を強めた。
「もう一度言う! 敵はゲルポリスにあり!」
ついに将軍の一人が我慢できなくなったのか、「軍師は正気か!」と叫んだ。
髪も目も黒に近い焦げ茶色で、南方の出身のようである。
黒い髭が顎を覆っている。
すると、それを皮切りに、次々とブロシウスを非難する声が上がった。
「馬鹿も休み休み言え!」
「寝惚けるな!」
「阿保らしい!」
ブロシウスは寧ろそれに救われたように、開き直った。
「わしは正気だ! 考えに考えた末だ! おぬしらは、シャルム渓谷の敗戦後、生き残った者たちの運命を見たであろう!」
最初に口火を切った顎髭の将軍が、「それは負けたからだ! 勝てばよいことだ!」と応じた。
ブロシウスは覚悟が決まったらしく、落ち着いた声になった。
「わしも勝てると思いたい。だが、それは大きな犠牲を払い、限りなく痛み分けに近い勝ちとなろう。今のバロードは昔とは違う。蛮族という未知の勢力と繋がり、わしらの知らない武器も手に入れた。勝てるとしても、楽な勝ち方ではない。だが、それでは皇帝は満足されぬだろう」
ブロシウスの本心を言えば、とても勝てるとは思えなかった。
しかし、軍人を相手に、それを言ってはならないこともわかっていた。
その真意は将軍たちにも通じたようで、皆黙って聞いている。
「辛うじて勝って戻ったところで、決して賞賛はされぬ。待っているのは、投獄か、強制労働か、悪くすれば断頭台か」
別の将軍が「そ、そんな馬鹿な」と声を震わせた。
痩せてはいるが、見事な金髪碧眼である。
ブロシウスは、自信たっぷりに頷いた。
「そうとも。そんな馬鹿な話はないだろう。それがあるのが、わが帝国だ。それを変える機会は、今しかないのだ!」
顎髭の将軍が再び叫んだ。
「みんな、騙されるな! 今われらがここから反転すれば、バロードに追撃されるだけだぞ!」
ブロシウスは、肩を竦めた。
「目前まで迫って来ていた嵐が遠ざかろうとするのに、態々追いかけて行く馬鹿はおるまい?」
今度は金髪碧眼の将軍が、「逃げ切れるかな?」と情け無い声を出した。
皆の本心であろう。
ブロシウスは、ここぞと首を振った。
「逃げるのではない。攻撃目標を変えるのだ」
顎髭の将軍も負けずに言い返した。
「ここから反転するとしても、ゲルポリスまでは最速でも六日かかる。皇帝が気づけば、本国から援軍を呼ぶぞ!」
ブロシウスは、ニヤリと笑った。
「そうかも知れん。だが、ここからの方が、ゲオグストからよりゲルポリスにかなり近い。要は、援軍到着の前に皇帝を斃せばよいのだ。すぐに周辺国に通達を出せば、援軍はその対応に追われる。その間に、こちらの体制を固め、投降する者は全て赦すと告知するのだ。皇帝がしていた処罰のようなことは、決してせぬ、とな」
金髪碧眼の将軍が弱々しい声で「だ、だが、大義名分が」と呟くように言った。
ブロシウスは、最早堂々と「大義名分はある!」と断言した。
「皆も薄々気づいておるだろうが、チャドスが宰相になって以来、重要な役職に次々とマオール人が送り込まれておる。このままでは、わが帝国はマオールの属国になりかねん。これは、由々しきことだ。これを放置している皇帝は、既にマオールの傀儡に等しい。われらは、国を異民族に売り渡そうとする皇帝を倒し、新たな帝国を打ち建てるのだ!」
思わず数人の将軍が「おお!」と拳を挙げてしまい、慌てて引っ込めた。
顎髭の将軍は、猶も喰い下がった。
「たとえわれらが同意したとしても、部下たちをどう納得させるのだ! 困惑し、混乱し、多数の脱走兵が出るような事態になれば、その時点で終わりだ!」
他の将軍たちも動揺し、ザワついたが、ブロシウスは、逆にニヤリと笑った。
「取り敢えず、下の者には、こう伝えて欲しい。今のゲルポリス、かつてのエイサの近くにギルマンという国があった。謀叛を計画したあのザギム宰相の母国だ。ガルマニアに併合された後も、国外に逃れた残党どもが何度も何度も叛乱を起こし、最後は、同国出身のザギムを担ごうとしたが失敗し、大弾圧を受けた。最近になって、残党の動きがまた活発化し、皇帝の生命を狙っているらしい。ここまでは、事実だ。さあ、そこでだ、ギルマンの残党を中心とした、反ガルマニア連盟が形成され、ゲルポリスに迫っている、ということにする。われらは、急遽呼び戻されたのだと」
金髪碧眼の将軍が、ホッとしたように頷いた。
「成程。それなら急いで戻っても、怪しまれないな」
ブロシウスは、頃合いと見て、畳み掛けた。
「後は、充分にゲルポリスに近づいてから、真の敵は誰か告げればよい。三万対一千だ。たとえ皇帝が百人力でも、焼け石に水。万に一つも、こちらの勝ちは揺るがない。と、なれば、皆自分の輝かしい未来に奮い起つだろう」
殆どの将軍が納得したようだが、例の顎髭の将軍だけは渋い顔を崩さない。
逆に、ブロシウスの方から呼び掛けた。
「ガズル将軍。協力してくれぬか?」
ガズルと呼ばれた顎髭の将軍は、不承不承という感じで頷いた。
「皆の気持ちがそうなら、一応は、従おう。但し」
「おお、何なりと言ってくれ」
「但し、これがおぬしの私利私欲とわかったら、おれがその首を獲るぞ!」
「うむ。そうならぬよう、自ら戒めよう」
他の将軍たちは、すでに自分の明るい将来に気もそぞろのようで、そそくさと自分の宿舎に戻って行った。
それから暫くして、一人でこれからの軍略や、再建した後の帝国の在り方などを考えているブロシウスの許に、来客があった。
「開いておる。勝手に入ってくれ」
ブロシウスが応じると、あのガズル将軍が入って来た。
「おお、おぬしか」
ガズルは完全に扉を閉めると、ニンマリと笑った。
「あれで良かったか?」
対するブロシウスも満足そうな笑顔になった。
「うむ。見事であった。戦の前だか、おぬしこそ、勲功第一だ。帝国再建後は、全軍の将になってくれ」
二人は、顔を見合わせ、声を上げて笑った。