186 因果応報
因果とは、時にこうしたものであろう。
皮肉にも、自分たちの都合でゾイアを無力化した赤目族は、結果として、クジュケがウルス一行と接触し、廃都ヤナン行きを中止させる原因を作ったことになる。
しかも、元魔道師のクジュケの巧みな結界により、一行がいつ出発したのか、どこへ向かったのかすらも、わからず仕舞いであった。
「どうするのだ?」
仲間から責められたカルボン、いや、カルボンに憑依している赤目族は、呻くように応えた。
「已むを得ん。これ以上国境警備軍に圧をかければ、必ずやカルスかアルゴドラスに気取られる。ここは、一旦引くしかあるまい」
「その後はどうする?」
仲間に聞かれ、カルボンらしい狡賢そうな笑顔になった。
多少、人格が融合しているようである。
「カルスの第一子、ニノフの方に接触してみるか」
逆に、陰謀を巡らせた側の意図を、敵対する側が後押しするという妙な事態が、別の場所では起こっていた。
同じ中原の中でも遥か東の外れ、ガルマニア帝国の旧帝都ゲオグストである。
その中心部に、新帝都ゲルポリス建設に夢中の皇帝ゲールの留守を預かる、宰相チャドスの館があった。
既に夜も更け、庭では篝火が焚かれている。
その大きな館の奥まった一室で、弛めの部屋着だけを身に纏い、体が埋まりそうなフカフカの安楽椅子に、踏ん反り返るようにして座っているのが、チャドス本人である。
体毛の薄いツルリとした肌をし、目は細く吊り上がっている。
そして、その前で片膝をつき、畏まっている男も似たような風貌をしていた。
但し、随分若い。
年齢は親子程も違うであろう。
チャドスの遠縁に当たるというチャダイであった。
ブロシウス率いる遠征軍の行軍が遅過ぎることへの厳しい督促を伝え、新帝都にいるゲールにその結果を報告した後、旧帝都に戻っていたのである。
今しも、ブロシウスとゲールそれぞれの反応を、チャドスに報告し終わったところであった。
「おまえはどう見る、チャダイ?」
いきなり自分の意見を訊かれ、チャダイは思わず反問した。
「どう、とは?」
チャドスは、皇帝の前では決して見せたことのない、苛立った顔をした。
「阿呆! 決まっておるであろう! ブロシウスはそろそろ謀叛を起こしそうか、そして、それにゲールが気がついているのか、だ!」
「失礼いたしました!」
チャダイは飛び退り、床に額を擦りつけた。
睨みつけていたチャドスは、フッと表情を緩めた。
「ああ、そこまでせずともよい。親戚ではないか。して、どうだ?」
チャダイは恐る恐る顔を上げた。
「はっ。ブロシウスめは、なかなか決断がつかぬようでしたが、自分が皇帝から疑われていると知り、焦っておるようでした。切っ掛けさえあれば、叛旗を翻すのは時間の問題かと。但し、ご指示のとおり、皇帝には、ブロシウスは恐縮しており、すぐにバロードに攻め掛かるでしょう、と申し上げました」
チャドスは「うむ」と言って、少し考え、念を押すように、チャダイに告げた。
よいか。
わしの前の宰相ザギムの時は、失敗させるのが目的であった。
皇帝に筒抜けの状態で謀叛を起こさせて失脚させ、その後釜にわしが座るためにな。
しかし、今度は是非とも成功させるのだ。
本国マオールからも、早くゲールを始末せよと催促された。
あやつは危険すぎる。
操り人形には、もっと無能な人物の方がよい。
幸い、ゲールの三人息子の中に、お誂えの者がおる。
次男のゲルカッツェだ。
ブロシウスが謀叛を起こした際、ドサクサで他の二人の息子も殺し、然る後、仇討ちを大義名分としてゲルカッツェにブロシウスを討たせるのだ。
聞いていたチャダイは、首を傾げた。
「ゲルカッツェにそのような力がありましょうか?」
「阿呆! われらがその力だ! 大マオール帝国が後ろ盾となるのだ!」
その時、庭にいた黒い影が、スーッと外に出て行ったが、自らの野望に興奮するチャドスたちは気づかなかった。
影は道に出ると、月明りに照らされ、目立たない容貌の吟遊詩人となった。
ブロシウスの腹心の魔道師、カノンであった。
「早く、お知らせせねば」
そう呟くと、その場から跳躍し、闇の中へ消えた。
だが、その頃ブロシウスは、遠征軍の主だった将軍やその補佐官たちを自分の宿舎に集め、後戻りのできない宣言をしようとしていた。
「夜分にすまぬ」
いきなり低姿勢で頭を下げたブロシウスの態度に、集められた将軍たちはザワついた。
「軍師、何事ですか、これは! バロードに夜襲でもお掛けになるおつもりか!」
中の一人に問い質されて、ブロシウスは、寧ろホッとした顔になった。
「夜襲ではないが、愈々決心した」
「おお、では、明日にでも、バロードのやつらに目にもの見せてやりましょうぞ!」
ここ何日かの停滞に嫌気がさしていたらしい将軍たちは、大きな声を上げた。
「ついにやるか!」
「絶対に勝つ!」
「鉄の巨人など怖るるに足らず!」
一頻り勇ましい言葉が出たところで、ブロシウスは、徐に「待たれよ」と告げた。
「敵はバロードには非ず」
そのブロシウスの言葉が、冷水のように将軍たちの昂ぶりを鎮めた。
そして、静まり返った中、ブロシウスの口から次の言葉が発せられた。
「敵は、新帝都ゲルポリスにあり!」