185 危機回避
クジュケが急に大声を出したため、皆驚いた。
それどころか、ウルスは顔を上下させて、ウルスラと人格交替してしまい、掌を突き出す寸前で止めていた。
クジュケは声調を低めて「すみませんでした」と詫びた。
「おお、瞳の色が変わられておりますな。噂には聞いております。ウルスラ王女殿下でいらっしゃいますね?」
「ええ。そんなことより、ヤナンに入るなと云うのは、何故なの?」
完全に声まで変わっていることに驚きつつも、クジュケは再び微笑んだ。
「畏れ入ります。わたくしの言葉足らずでした。そもそも、今回のゾイア将軍の行方不明は、将軍の部下でお友達のロックどのが失踪したのを一人で捜しに行かれたことが切っ掛けでした」
ギータが「ほう、ロックがのう」と声を漏らした。
クジュケは、何故ギータがロックを知っているのか疑問に思ったようだが、取り敢えず、話を先に進めた。
「はい。その少し前から、ロックどのは何者かに憑依されているのではないかと疑われておりました。それをケロニウス老師が、赤目族だと喝破されたのです」
今度はウルスラが、「えっ、老師が、あの建物から外に出られたの?」と声を上げた。
クジュケは苦笑して、「後程、お互いの持っている情報を突き合わせた方が良さそうですね」と提案した。
「まあ、とにかく、一通りお聞きください」
この赤目族とは、歴史上最初の異端派と呼ばれた魔道神教徒が弾圧を受け、当時の王都ヤナンの地下に隠れ住んだのが始まりと云われております。
ヤナンからバロンに遷都した際、地上への出入口を塞がれ、そのまま地下に住み続けたため、目が赤い色に変わったそうです。
本当かどうかは、どうか聞かないでください。そういう伝承なのです。
赤目族は、偶に地上に現れることがあり、何度も目撃されていますが、今のところ大きな軋轢は生じていません。
尤も、狂信的な一派であることは間違いなく、『アルゴドラスの聖剣』は元々自分たちのものだ、などと言っております。
この百年ほどは目撃例もなく、既に滅んだものと思われていました。
ところが、わたくしたちの仲間であったロックどのに、かれらが憑依していたのです。
それをケロニウス老師に見破られ、赤目族は離脱したのですが、その後遺症でロックどのは記憶を失い、その時わたくしたちのいたワルテール平原からいなくなってしまいました。
すぐにロックどのを捜しに行ったゾイア将軍も戻って来られず、その後の状況から見て、やはり記憶を喪失しているのではないかと思われます。
そして、この両方に廃都ヤナンが絡んでいるのです。
と、なれば、今尚そこに赤目族が潜んでおり、何らかの陰謀を行なっているということでしょう。
そこに、先程お伺いしたタロスどののお話を重ねてみれば、答えは明らかです。
これは、罠です。
さあ、そこで思い出したのは、ロックどのに憑依していた赤目族が、離脱する際に云った言葉でした。
『アルゴドラスの聖剣』が偶然手に入った、というようなことを言ったのです。
しかし、聖剣はアルゴドラス聖王の子孫でなければ、その力を引き出せないと聞きました。
そうです。
赤目族の狙いは、あなたなのです、ウルス、いや、ウルスラ王女。
ロックどのの例を見ても、ゾイア将軍の例を見ても、かれらに相手を尊重するような気持ちはありません。
利用するだけ利用して、後は捨てて顧みません。
あなたにも、同じ運命が待っているのです。
従って、ヤナンに行くべきではありません。
話を聞き終わったウルスラは、少し考えていたが、「そうね」と頷いた。
「クジュケさんの言うことは、理に適っていると思うわ。それともう一つ。わたしは、ずっとガルマニア軍の動きが気になっているのだけれど」
クジュケは、わが意を得たりと笑顔になった。
「さすがでございます。この距離まで迫って、軍を留めるのは、あまりに不可解。何らかの裏取引があったと見て、間違いないでしょう」
「わたしもそう思うの。ここに来るまでは、ガルマニアとの開戦前に国に入って、少しでも役に立てたらと考えていたけれど、そんな単純なことじゃないみたい。だったら、今は少し離れて、様子を見た方がいいわ」
「おお、では、辺境伯領のニノフ殿下の許に来られますか?」
クジュケの誘いを受け、ウルスラはまた考えたが、やがて、ゆっくり首を振った。
「本当は、わたしもニノフお兄さまに会ってみたいの。でも、今はその時期じゃないわ。お父上の本心もわからないし。時間が必要よ。だから、暫く別の場所で身を隠そうと思います」
「そう、でございますか」
気落ちした様子のクジュケを、聞き役に徹していたタロスが「焦らずとも良いではないか」と慰めた。
ツイムも黙って頷いている。
「そうですね。いずれはご兄妹が一緒に暮らせるよう、わたくしも努力いたします。それで、差し支えなければ、行き先を教えていただけますか?」
それは考えていなかったらしく、ウルスラは首を傾げて、タロス、ツイム、そして最後にギータを見た。
ギータはニヤリと笑った。
「わしが決めてよければ、一先ずサイカへ行ってはいかがかな?」
ウルスラも頷いた。
「いい考えだと思うわ。あそこなら、色々な情報が入って来るでしょうし」
クジュケも、ポンと膝を打った。
「ああ、それは良い考えです。うむ。よろしければ、わたくしも同行させてください」
「それはいいけれど、ゾイアを捜しに行かなくていいの?」
「そのためです。確かに、王女が言われたように、あの街には情報が集まります。それも、表だけでなく、裏社会のものも。それともう一つ。これが罠とすれば、必ず赤目族の追っ手が来ます。失礼ながら、皆さまの中に、わたくしほど魔道の心得がある方はいらっしゃらないでしょう?」
ギータが苦笑した。
「確かにな。お願いした方がいいかの、王女?」
ウルスラも笑顔になった。
「ええ。こちらからお願いしますわ」
こうして、クジュケが加入した一行は、翌日には、サイカを目指して旅立った。