181 死者の群れ
【おことわり】
今回のエピソードではンザビ(一般的な言い方ではゾンビ)との戦いを描く都合上、どうしても残酷な描写が多くなってしまいました。また、この時期にいかがなものかと思う部分もありますが、物語の中での必然性なので、どうかお許しください。もし、ご不快に思われるようでしたら、このエピソードを飛ばしていただいても大丈夫です。後のストーリーとのつながりは、問題がないようにいたします。
北方警備軍の最高責任者である将軍マリシは、北長城の楼台へ続く昇降塔へ、騎乗のまま入った。
塔の内部は、緩やかな螺旋状の斜面になっており、そこを馬で駆け上がって行く。
屋上に附設された楼台に到着すると、馬を柵に繋ぎ、楼台の扉を開いた。
寒さで息が白くなる。
その位置からは、遠くの方にキラキラと輝く結晶の森が見えるが、マリシは見慣れており、目もくれない。
既に戦闘中の大勢の兵士たちに「ご苦労!」とだけ声を掛けた。
兵士たちも、ちゃんと答礼するような余裕はなく、軽く頷くだけだ。
マリシは、そのまま速足で長城の外壁のそばまで近づくと、胸壁から身を乗り出すようにして下を覗き込んだ。
そこには、見るだにおぞましい光景が広がっていた。
外壁には夥しい数の腐死者が張り付き、蠢いているのだ。
まともな形状を留めているものは少なく、片腕がないもの、首がないもの、両足がないものなど、死体の損壊が甚だしい。
その理由はすぐにわかった。
ンザビの身体に血のように赤い塊が幾つもぶら下がっており、モゾモゾと動いている。
外壁のすぐ外の濠で放し飼いにされている人喰いザリガニである。
今までは有効なンザビ対策であったが、これだけ大勢が一度に来ては、とても対処しきれなかったようだ。
ガンクが何匹喰らいつこうが、ンザビたちは一向に気にする様子もなく、平然と壁を登って来る。
北方警備軍が上から散々矢を放っているのだが、大して効き目がない。
針鼠のような状態になっても構わず上がって来るのだ。
当然、ンザビたちは無言であり、互いの意思疎通もないはずだが、長城の上に餌があることだけはわかるのであろうか。
マリシは豪傑めいた顔を歪め、唸った。
「いかに北方では瘴気が強く、ンザビは昼間でも動けるとはいえ、何故一糸乱れず外壁を登って来るのだ! 誰かがこやつらを操っているのか? ああ、いや、今はそんなことを詮索している場合ではないな。うむ、そうだ。誰か、火矢を持ってこい!」
すると、近くにいた兵士が悲しげに首を振った。
「駄目です! 寒すぎて、火が点きませんでした!」
「そうなのか。だが、どうすれば……」
救いを求めるように視線を彷徨わせたマリシの目に、最近できた地上から楼台まで人を乗せて運ぶ昇降機の扉が開き、汗だくの太った男が出て来るのが見えた。
男は大きな木桶のようなものを抱えている。
「おお、ヨゼフではないか! ここは危ないぞ! 下で待っておれ!」
工兵のヨゼフは「うう」と言いながら首を振った。
言葉が不自由なのである。
しかし、ヨゼフの抱えている重そうな木桶から、鼻をつく刺激臭が漂ってきたため、マリシはハッと気づいた。
「そうか! ゾイアたちが北方で見つけたという石油だな! よし! 皆の者、この石油を火矢に塗って火を点けよ! 急げ!」
マリシの呼びかけに、続々と兵士が火矢を持って集まり、鏃の根元に巻いてある襤褸に石油を染み込ませた。
それに火打石で火を点け、一斉に構えた。
「よーし! 放て!」
火矢は次々にンザビに当たったが、何しろ数が多すぎる。
燃えている仲間を乗り越えて登って来るのだ。
「くそっ! これじゃ、埒があかんな」
焦るマリシの横で、ヨゼフは大きな木の筒を取り出した。
筒の一方の端は塞がれているが、真ん中に小さな穴が開いている。
もう一方の端は全部開いており、その内側にピッタリ嵌る襤褸の塊に細い棒が付いたものを差し込んだ。
グッと中まで押し込むと小さな穴の方を木桶の石油に漬ける。
その状態で細い棒を引くと、木桶の石油はスーッと減った。
「おお、そうか! それで直接ンザビへかけるのだな。しかし、いくらなんでも、おまえ一人では」
ヨゼフは「うう」と言って首を振り、昇降機の方を顎で示した。
ちょうど、同じ木の筒を抱えた工兵たちが大勢上がって来ていた。
「うむ。いいぞ、ヨゼフ! ンザビに目にもの見せてやれ!」
ヨゼフを始め、工兵たちが石油を噴射し、そこへ更に火矢が飛んだ。
モクモクと黒煙が上がってくる。
その臭いも凄まじい。
それでもンザビの何体かは、すぐそこまで登って来ていた。
「ヨゼフ、もうよい! 下がっておれ! 工兵たちもだ!」
そう叫ぶと、マリシは愛用の大鎚を手にした。
通常のものより柄が長く、鎚の部分も大きい。
「さあ、ンザビめ! わしが叩き落してやるわ!」
ちょうど胸壁を乗り越え、屋上に上がって来ようとしていたンザビに、マリシの渾身の一撃が炸裂した。
ンザビの体がバラバラに砕けて落ちて行く。
同じような光景が長城の各所で見られたが、やはり、何箇所かは防ぎきれず、ンザビが上がってしまった。
それには、残っていた工兵たちが果敢に石油を浴びせ、燃やしていった。
激闘は夕方近くまで続き、このまま日没になればンザビが勢いを増してしまい、危険な状態になったであろうが、辛うじてその前に決着がついた。
戦い続けて倒れ込みそうになりながら、マリシは「勝鬨を上げよ!」と命じた。
いつものような元気がなかったが、皆生き延びた喜びに溢れる声であった。
「それにしても、何故こんなことになったのだ?」
訝しげに薄暗くなった北の空を見上げるマリシの目に、不吉な予兆のように禍々しく揺れる緑色の極光が見えた。