180 亡命政権
どうしても自分がゾイアを捜しに行くというペテオを、その場の全員が止めた。
特に主筋に当たるマーサ姫は、かなりキツイ言葉で「おまえのような木偶の坊が行って、何になる!」とまで云い放った。
険悪な雰囲気の中、真っ先に冷静さを取り戻したのは、やはり外交交渉の修羅場を幾つも潜っているクジュケであった。
「やはり、わたくしが参りましょう。赤目族のこともございますし、魔道の心得がある者の方が良いでしょう」
これには進行役のアーロンが反対した。
「いや、それは困ります。閣下以外は、外交も国際政治も素人の集まり。話が纏まりません」
ケロニウスが「なんなら、わしが行くぞ」と提案したが、クジュケは首を振った。
「アーロンさまは褒めてくださいましたが、わたくしは所詮文官です。平和な時の外交と、軍略は違います。そして、和戦両面の目配りができる方こそ、ゾイア将軍です。あの方を欠いては、机上の空論となるでしょう。わたくしたちには、どうしてもあの方が必要なのです。わたくしの身命を賭しても連れ帰ります」
普段の紳士的なクジュケからは想像もつかないような覚悟が漲っていた。
それに気圧されるようにアーロンも頷いた。
最後まで抵抗したペテオには、クジュケがピシャリと「ゾイア将軍との約束をお忘れか!」と釘を刺した。
「そ、それは、ここにみんなを連れて来ると言っただけで」
「後は任せる、と仰ったではないか!」
いつになく激しいクジュケの言葉に、返答に詰まったペテオに向かって、クジュケはフッと表情を和らげた。
「わたくしを信じてください。必ず、ゾイア将軍と共に戻ります」
ニヤニヤ笑いながら二人のやり取りを見ていたルキッフが、「やるじゃねえか、尖がり耳の旦那」と感心した。
「そういうことなら、途中までおれが案内するぜ」
「おお、では、お願いしましょう」
ペテオは天井を見上げて長い息を吐き、「ホントに頼むぜ」と諦めたように呟いた。
決着がついたと見て、アーロンが「では、閣下が留守中、われわれは如何しよう?」と尋ねた。
クジュケはいつもの温厚で有能な官僚の顔に戻り、必要な指示を与えた。
当座バロード本国からの帰還命令は無視しましょう。
正規軍と違い、ニノフ殿下の機動軍は共和国となってから設立されたもの。
理屈の上では、王国に指揮命令権はありません。
然る後、亡命政権の樹立を宣言しましょう。
首班はニノフ殿下にお願いします。
ここまでは問題ないと思いますが、当然、バロード本国が攻めて来るでしょう。
それをどうやって凌ぐのか、それこそゾイア将軍のお知恵が必要なのです。
立て板に水と捲し立てるクジュケに皆唖然とする中、室内でも真っ赤な鎧を脱がないマーサ姫が、「ちょっと待って」と口を挟んだ。
「ニノフどのを殿下って呼んだけど、まだ正式には決まってないでしょう?」
クジュケは強かな笑みを浮かべた。
「それを既成事実にするのです。蛮族の帝王として戻って来たカルス王に、国民は胡散臭さを感じています。厳しい粛清も不興を買っています。ところが、一方、共和国という言葉にはカルボンの悪政の印象が拭えません。でき得れば、殿下には歴史上一度だけ置かれたバロン大公となっていただき、バロン大公国として再出発を図りたいと存じます」
ニノフが笑い出した。
「何もかもお膳立てができているのですね」
クジュケは、寧ろ表情を引き締めた。
「後はゾイア将軍さえ、ここにいていただければ、完璧でしょう。逆に、わたくしが懼れるのは、その前に本国と交戦状態に入ってしまうことです。ですから、一刻も早くゾイア将軍に戻っていただかなければなりません。会議中申し訳ありませんが,この足で出発します」
言いたいだけ喋ると、クジュケは本当に席を立って出て行った。
唖然とする一同の中、ペテオは溜め息を吐いた。
「なんだか、北長城に戻りたくなったぜ」
その北長城では、時ならぬ警報喇叭が鳴り響いていた。
自分の執務室で、娘のマーサ姫からの近況を知らせる手紙を何度も読み返していたマリシ将軍は、ハッと顔を上げた。
「まさか、敵襲か?」
殆どの蛮族は中原に渡ってしまい、残っているのは、他部族から嫌われているマゴラ族など千名程度のはずであった。
それを見越し、ゾイアは北長城には二千名だけしか残さず、ほぼ全軍を連れて遠征に向かったのである。
「やれやれ、何をトチ狂ったのか、蛮族め。こっちは倍の兵力で長城に籠っておるわい。諦めたかと思っておったに、性懲りもなく来おったか。どれ、久々に蹴散らしてやろう」
話し相手になるような人間がみんな派遣軍として行ってしまったため、以前にも増してマリシは独り言が多くなっていた。
愛用の甲冑を身に着け、出撃門近くの馬場に降りると、なんだか様子が変であった。
大部分の兵が、慌てたように長城の上に登って行く。
既に第一線から退いたはずの元の小隊長、ジーノの姿を見つけ、マリシは声を掛けた。
「どうした、ジーノ? 敵は何名だ?」
ジーノはハッとした顔になり、「おお、将軍閣下!」と叫んだ。
「報告いたしまする! 敵は凡そ千名!」
「ほう、総動員か。よし。こちらも全軍で出撃し、一気に勝負をつけてやろう」
だが、ジーノは激しく頭を振った。
「なりませぬ! 襲って来る千名は全て腐死者にございます!」
「何っ!」
「こちらは上からありったけの矢を射掛けておりますが、針鼠のようになっても何ら痛痒を感じぬらしく、爪を立てて徐々に城壁を攀じ登って来ておりまする!」