174 聖魔王(2)
アルゴドラスはフッと話を止め、サンジェルマヌスに尋ねた。
「おまえは昔の余を知っている。記憶の彼方かもしれぬが、今の余をどう思う?」
サンジェルマヌスは鼻の頭に皺を寄せた。
「正直に言うぞ」
「ああ、構わん。思ったとおり、言ってくれ」
「昔のおまえは本物の英雄じゃった。時に苛烈な言動はあっても、皆に尊敬されておった。じゃが、今のおまえは、悪党の親玉にしか見えん。お気の毒だが、そこで固まっておる、おまえの息子もそうじゃな。エイサの長老たちが聖剣を渡さなかったのは、カルス王に邪悪の匂いを嗅いだからじゃというぞ」
アルゴドラスは肩を竦め、話を続けた。
余は、バロード王家の血を入れ換えるため、若い女性の姿になって、当時はバローニャ公であったピロスに近づき、まんまとその子を身籠った。
しかし、ピロスには妃の生んだ三人の男子がいた。
ピロスが死んだ時、息子のカルスを王位に就かせるため、少々強引な方法を採った。
簡単に言えば、三人を始末したのだ。
まあ、そのことも含め、余の倫理的な敷居は随分下がったと思う。
それが魔剣の副作用なのだ。
『アルゴドーラの魔剣』も時空に干渉する力はあったが、元となった『アルゴドラスの聖剣』と違い、相手の精神を支配する力がなかった。
その代わり、使用する者の心を闇に引き込むようなのだ。
息子にも、その影響が徐々に出てきている。
恐らく、他者の精神を制御する力が逆流しているのだと思う。
おお、だから、副作用というより、反作用だな。
魔剣は、それを使用する者の、精神的な自制力を弛める。
つまり、悪いことをしても、あまり良心の呵責を感じなくなるのだ。
アルゴドラスの自己分析を聞いて、サンジェルマヌスは溜め息を吐いた。
「今のおまえの言い方は、そうなったのが嬉しいように聞こえるぞ」
その指摘どおり、アルゴドラスは笑顔であった。
「そうかもしれん。今の余は、窮屈な倫理観に縛られず、自由だからな。しかし、それが無用な反発を招いていることもわかっている。だからこそ、聖剣を取り戻さねばならんのだ。聖剣さえあれば、最早誰も裏切らず、誰も逆らうことはできないからな」
アルゴドラスの悪魔じみた笑顔を、サンジェルマヌスは哀しそうに見ていたが、諦めたように首を振った。
「残念だが、それを止める力も寿命もわしにはない。そうなった時に、おまえや、おまえの息子に、少しでも良い心が残っていることを願うばかりじゃ。間もなく術を解くが、あの世への土産に、わしの我儘を聞いてくれぬか?」
「ほう。よかろう。願いは何だ?」
サンジェルマヌスは、この状況ではあったが、少し照れたように、顔を赤らめた。
「最後に一目、アルゴドーラに逢いたいんじゃ」
アルゴドラスはニヤリと笑った。
「そうか。おまえは妹に惚れておったな。暫し、待て」
アルゴドラスは目を半眼にし、ゆっくりと深呼吸した。
ごつい筋肉質な身体の線が、徐々に柔らかな曲線に変わり、銀色の髪が伸びて来た。
一旦、ドーラと名乗るいつもの美熟女の姿となったが、変化は止まらず、どんどん若返っていった。
カーンの女性形であるカンナよりも、さらに若い姿となり、髪の毛も金色に光り輝いた。
顔も、初々しい美少女となり、微笑んだ。
「お久しぶりね、サンジェルマヌスさま。あなたには、出会った頃のこの姿の方ががいいと思ったからよ。舞姫としてピロスに近づいた時も、この姿だったわ」
「おお、ありがとうありがとう。これで、思い残すこともない。さらばじゃ!」
サンジェルマヌスの姿が消えると、すぐに時が流れ始めた。
彫像のように固まっていたカルスの口が、再び動き出す。
「……ます。ニノフのことは暫く好きにさせ、当面は全力を挙げてカルボンの行方を追いますよ。ん? そのお姿は?」
カルスは、今までごつい初老の男であったはずの相手が、自分の娘と言ってもおかしくないくらいの少女に変わっていることに驚いた。
「あら、ごめんなさい。どうしたのかしら?」
時の狭間の記憶を失っているアルゴドラスは、いや、アルゴドーラは、可愛らしく首を傾げた。
その手の白く長い指に、先程までなかったはずの金の指輪が光っていたが、本人が気づく前にスーッと消えた。
その頃、闇に堕ちた聖王の、もう一人の孫は、自分の寿命が残り少ないことを自覚したもう一人の男と対峙していた。
プシュケー教団の後継者にしたいという、教主サンサルスの申し出を受け、ウルスラは毅然とした態度で答えた。
「わたしたちのことを、わたしたち以上によくご存知なのね。でも、わたしの返事はもう決まっているわ。せっかくですけど、お断りします」
サンサルスの顔が、微笑みの形のまま凍りついた。
「随分即断なのですね。考える余地もないのですか?」
「わたしは、というより、ウルスはバロードの世継ぎよ。たとえ今は流浪の身であっても、いずれ時が来れば王位に就かなければならないの。兼務することはできないわ」
サンサルスの顔に、微かに嘲りの色が浮かんだ。
「おやおや。王女はエイサでの出来事をお忘れのようだ。中原各国の代表が見護る中、魔女として断罪されたあなたが、王位を継承できるとお思いか?」