173 聖魔王(1)
サンジェルマヌスの潜時術による時の狭間の中で、かつて蛮族の帝王カーンであったカルス王は彫像のように固まっていた。
動いているのは、サンジェルマヌス本人と、蛮族たちにはカーンの父ドーンとして知られている人物であったが、今、サンジェルマヌスは「アルゴドラス」と呼びかけたのである。
「その名で呼ばれるのは、随分久しぶりだな。正確には、二千年ぶりと云うべきか」
その返事に、サンジェルマヌスはフンと鼻で笑った。
「確かにわしにとっては二千年じゃが、おまえにとっては二十年程であろう。時を渡ったな?」
ドーンは、いや、アルゴドラスはニヤリと笑った。
「まあ、そういうことになるかな」
「何故じゃ! 外法じゃぞ!」
アルゴドラスは両方の眉を上げた。
「わが孫ウルスラを救うため、誰かも時渡りの外法を使ったような気がするが?」
「僅か一日じゃ! おまえとは違う! 無茶な時渡りで、北方に結晶毒の森ができておるではないか!」
激昂して言い募るサンジェルマヌスに、アルゴドラスは冷笑を浮かべて「少しは落ち着け。自分の歳を考えよ」と宥めた。
興奮がやや治まり、サンジェルマヌスは寧ろ悲しげに頭を振った。
「かつては聖王とさえ呼ばれたおまえが、いったいどういう理由なんじゃ?」
ドーンの時にあった温かみのようなものが消え、冷厳そのものの表情で、アルゴドラスは真面にサンジェルマヌスを睨んだ。
「それは人間どもの勝手。余から聖王などと名乗ったことはない。それから、おまえは頻りに理由を聞くが、数千年を生きるおまえには、言ってもわかるまい。限りある生命の哀しみはな」
「わしとて不死ではないわい! その証拠に、間もなく寿命が尽きるはずじゃ!」
アルゴドラスは、皮肉な笑みを浮かべた。
「ほう。それはお気の毒だな。残り少ない生命なら、大切にすることだ。余の邪魔などせずにな」
何か攻撃を仕掛けるように身構えるアルゴドラスを、サンジェルマヌスは「待て!」と止めた。
「邪魔をするつもりもないし、そのような力もないわい。それは、おまえもわかっておろう。わしはただ、朋友として知りたかっただけじゃ。おまえほどの男が、外法を使ってまで何をやろうとしておるのかをな」
アルゴドラスは構えを解き、フッと表情を緩めた。
「朋友か。そう呼ぶ相手も、最早他におらんな。よかろう。話してやろう」
おまえも知っているように、ダフィニア滅亡後、中原に渡った余は、自分の国を創った。
最初は、今のバロードと同じ場所に、同じくらいの大きさであったよ。
それで良いとも思っていた。
余の思いどおりの小天地、地上の楽園を目指したのだ。
ところが、これは今でもそうだが、大河や山脈などの遮るものが何もない平坦な中原では、その一部だけで独立して国を保つのは困難であった。
全体を統一する強大な帝国を築かぬ限り、際限のない戦乱に陥る。
それは、中原という地域の、地政学的な宿命なのだ。
余は中原を統一するしかなかったし、その力もあった。
聖剣、即ち干渉機を持っていたのでな。
干渉機は人に使えばその精神を自由に操り、時空に使えば自在に時間や空間を越える。
統一は、然程の難事ではなかった。
そうして自らの王国を子孫に残し、静かにこの世を去るつもりであった。
少なくとも、中原の中には、不安な要素はなかったからな。
その頃、北方は今以上に未開で、脅威にはなるまいと思いながら、念のため調べてみた。
そこで、余は見つけてしまったのだ。
本当の脅威、真の危険をな。
そうだ。白魔だ。
ドゥルブ自体が何なのか、余にもわからん。
あれは、明らかにこの世界のものではない。
だが、危険な存在であることはよくわかった。
そこで、余は少し未来を見たくなったのだ。
折角創った王国が、どうなるのかを。
見たら、結果に拘らず、戻るつもりであった。
ただ、大きく時空に干渉することになるから、結晶毒の発生は避けられない。
なるべく差し障りのない場所として選んだのが、今の結晶の森さ。
蛮族が近づかぬよう、預言者のフリをしたのが、蛮族の帝王の始まりだが、それはまた別の話だ。
とにかく、余は北方で未来に跳び、中原に戻って自分が創った王国のその後の様子を見た。
そして、心底ガッカリした。
余の子孫の血が薄まり、次第に人間に近づくことは想定していたが、あそこまで堕落するとは思わなんだ。
ついには王国が滅び、戦乱の世となったが、いずれ子孫の誰かが立ち上がり、再び中原を統一するのではないかと、仇な期待をしたが、無駄であった。
子孫はすでに完全に普通の人間になっており、干渉機を操作できぬようになっていたのだ。
このままでは、後何千年戦乱が続くとも知れぬ。
余は、本格的に未来に関わることを決意し、一度自分の時代に戻った。
替え玉を用意し、干渉機で自分はアルゴドラスだと信じ込ませた。
周囲の人間にもな。
問題は干渉機をどうするかだ。
未来に持って行く訳にはいかない。
歴史が変わってしまうからな。
そこで、干渉機自身に複製を作らせた。
それが『アルゴドーラの魔剣』だ。
だが、これには重大な欠陥があった。
文字どおりの、魔剣であったのだ。