167 赤目族
ロックは肩を竦めた。
「おいおい、何訳のわかんないこと言ってんだよ。ケロニウスのじいさん、惚けちまったのか?」
すると、クジュケも立ち上がり、「わたくしにもわかりました」と言いざま、両手で印を結んでスッと前に押し出した。
微かに光る大きな輪のようなものがフワリと飛んで、ロックの頭の上から降りて来ると、肩の少し下辺りでギュッと絞まり、両腕の自由を奪った。
「おい! 何すんだよ、この銀髪、尖り耳野郎!」
藻掻くロックの前に、ゾイアが割って入った。
「老師、参与、何か誤解があるようだな。この者は口は悪いが、われの部下、いや、朋友なのだ。確かに昔はコソ泥であったらしいが、今は真面目に働いている。行き違いがあったなら、われが話を聞こう」
このような状況であったが、ケロニウスの目に好奇心が溢れた。
「おお、おぬしが、かの獣人将軍か。噂は聞いておる。後でじっくり話したいものだ。しかし、今は一刻も早くこの者の憑依を解かねば、二つの心が融合してしまう。既にもう、かなり深く喰い込んでいる。今直ぐ分離せねばならんのだ」
珍しくゾイアは迷っているようだ。
そこへ、ペテオが口を挟んだ。
「ゾイア、おれが言ったろう? ロックが悪い訳じゃない。なんかにとっ憑かれてるんだよ。あんたがロックの本当のダチなら、どうするのが本人のためか、考えるんだ!」
ゾイアは戸惑って視線を彷徨わせた。
ペテオの横にいるマーサ姫は、われ関せずとソッポを向いている。
ニノフはゾイア同様、どうしていいのか途方に暮れている。
そして、ロック自身は。
「おっさん! こんなやつらに騙されるんじゃねえよ! おいらはおいらだ! なんにも変わっちゃいねえよ!」
だが、ゾイアは目を瞑り、大きく首を振った。
いつだったか、背中に感じた冷たい視線に思い当たったのである。
「ロック、すまぬ。もし、おまえに危害があるようなら、いつでもわれが止める。一先ず、老師の言うとおりにしてくれ」
「何、馬鹿なことを……」
ロックが言い返そうとした時には、ケロニウスがすぐ傍まで寄って来ており、頻りに呪文のようなものを唱えていた。
「おいっ、止せって言ってんだろ! そんなこと、いくらしたって、いくら、したって。ううっ。もう止めよ!」
ロックはグッと目を閉じて俯いた。
再び顔を上げた時には、目全体が真っ赤になっており、妖しく光っていた。
「もうよい! わかったから、それはもう止めてくれ!」
ケロニウスは呪文を止め、ロックに憑依している存在に問い質した。
「おまえは赤目族の者じゃな?」
「ああ。魔道神に仕える神官よ。おまえはエイサの者であろう?」
エイサという言葉が出た時、一瞬だけゾイアの身体がビクンと反応したのをケロニウスは見逃さず、「ほう」と呟いた。
が、すぐに、ロックの方に注意を集中した。
「そうじゃ。かつてエイサを束ねておったケロニウスという。じゃが、今は、わしのことなど、どうでもよい。この若者から、疾く離れよ!」
「ふん。そうはいかぬ。おまえたちエイサの魔道師を信じ、干渉機を託したにも拘わらず、易々と奪われたではないか!」
「干渉機?」
「おまえたちが聖剣と呼ぶものだ」
ケロニウスの表情が曇った。
「おお、そうか。うむ。確かに聖剣を奪われた責任はわしにある。じゃが、それとこれは別の話。聖剣は、何としても取り返す。じゃから、この若者は巻き込むな」
更に反論しようとしたロック、いや、赤目族の神官は、急にパッと上を向いた。
「なんと! そうか! うむ、すぐに戻る!」
「どうしたのじゃ?」
赤目族の神官は、訝るケロニウスに顔を向けると、ニヤリと笑った。
「干渉機が向こうから転がり込んで来たようだ。最早この者に用はない。望みどおり、お返ししよう!」
真っ赤だったロックの目が、スーッと普通の色に戻ると、崩れるようにその場に倒れた。
その少し前。
首都バロンが陥落し、蛮族の帝王カーンとなって舞い戻った先王カルスに追われる身となったカルボンは、『アルゴドラスの聖剣』だけを持って逃亡していた。
無論、カルボンを匿ってくれるような国民はおらず、頼るのはガイ族だけであった。
農民の姿に身を窶し、夜陰に紛れて少しずつ移動して、ガイ族の新しい拠点として与えた廃都ヤナンを目指したのである。
緊張と不安で、すっかり頬が痩けていた。
漸くヤナンに到着し、ガイ族を探したが、機を見るに敏なかれらは、とっくに逃げ出していた。
それでも、食料などがそのまま残されていたから、当分の間はここに身を潜めることにした。
カルボンが、適当な塒を求めて歩き回っている時、不意に足元の地面が無くなったように、仰向けに下に落ちた。
見上げると、四角く切り取られたような青空が、どんどん小さくなって行く。
叫び声を上げようとした時には、バタンと音がして四角い空が消え、真っ暗になった。
同時に、ドスンと背中から下に着いた。
「ぐえっ!」
幸い、下は柔らかい砂で、大怪我はしなかった。
それでも、痛みですぐには声も出ない。
「……くうっ。こ、ここは、いったい?」
その時、下の方で大勢の人の気配がしたかと思うと、目の前にフワリと浮かんだ真っ白な人の姿が見えた。
その目は真っ赤に光っていた。