165 首都陥落(3)
「取り敢えず、参与と老師はこの天幕の中にお隠れになっていてください。場合によっては、危害が及ぶやもしれません。結界をお張りになった方がよいでしょう。では、使者に会って参ります」
ニノフは、慌ただしく二人にそう告げると、カルス王の使者が待っているという場所へ急いだ。
懐かしい王家の紋章を付けた龍馬に跨っている相手を見て、ニノフは思わず驚きの声を上げた。
「ガネス将軍、あなたでしたか!」
首都防衛軍を率いて戦死したという老将軍クマールの甥である。
クマール程ではないが、立派な口髭を蓄えている。
伯父のクマールの命令で、東側国境の警備に就いていたはずであった。
しかし、その視線は死んだ魚のように冷たかった。
「先程伝えたように、直ちに叛乱を止め、カルス王の許に帰参されたし。愚かなわが伯父の如く裏切り者に味方すれば、国賊として、わが軍が討つ。覚悟せられよ」
「そのことですが、その相手は真実にカルス王陛下なのでしょうか?」
ガネスはギロリと嫌な目つきでニノフを睨んだ。
「開戦前から、蛮族の帝王カーンとは、即ち先王カルス陛下であると主張していたのは、おぬし自身ではないか」
「そのとおりです。なれど、証拠があった訳ではありません。まして、蛮族の帝王として戻って来られるなど、普通に考えればあり得ぬことです。皆さま納得されたのでしょうか?」
不快そうなガネスの表情から、決して心から納得している訳ではないことが見てとれた。
が、ガネスは自らを説得するように強く頷いた。
「勿論だ。お顔、お声も然ることながら、王家の秘宝をお持ちであった」
「王家の秘宝?」
「『アルゴドラスの聖剣』と並び称される『アルゴドーラの魔剣』だ」
ニノフは首を傾げた。
「恐れながら、初耳にございますが」
「そうだろうな。これは王家の秘事なのだ。元々一対のものであったが、アルゴドラス聖王亡き後、魔剣のみが行方知れずとなっていたという。カルス王は、カルボンの謀叛から逃れ、北方を彷徨う内に発見されたそうだ」
あまりにも胡散臭い話だとは思ったが、ニノフ自身は、カーンがカルスであることは確信していた。
それは、親子としての直感であった。
「皆さまが納得されているのであれば、おれ、ああ、わたし如きがとやかく言う必要もありませぬ。但し、少し時間をいただきとうございます」
「どういう意味だ?」
「申し上げたとおりの意味でございます」
ガネスの死んだ魚のようだった目に、怒りの炎がメラッと燃え上がった。
「おい! あんまり思い上がるなよ! カルス王の落とし子だと正式に認められた訳ではないぞ!」
ニノフは、相手が何に怒っているのか全くわからずに戸惑っている善人のフリをした。
「おお、わたしが思い上がるなど、とんでもないことでございます。実は、この度の戦いで、副将のボローが深手を負って臥せっております。せめて、もう少し容態が安定するまで、この地に留まりたいだけでございます」
ガネスはフンと鼻を鳴らした。
「ならば、移動の日も含め、十日だけ待つように王に執成してやろう。それ以上は、如何におれでも無理だ。良いか、おれに恥をかかせるなよ!」
「有難き幸せに存じます。必ずや、十日目の日没までには、首都、あ、いえ、王都バロンに馳せ参じまする!」
「では、十日後、王都で会おう!」
龍馬で風のように走り去るガネスを笑顔で見送りながら、ニノフの唇は「下種め!」と動いた。
そこへ、蛮族軍の行方を捜していたペテオとマーサ姫が戻って来た。
早くも何か言いたげなマーサ姫を抑え、ペテオが尋ねた。
「ニノフ将軍、なんだかみんなの様子がおかしいようですが、何かあったんですかい?」
「ちょうど良かった。ペテオどのとマーサ姫に相談したかったのす。一先ず、おれの天幕へ。ああ、そうでした。クジュケ参与とケロニウス老師もいらっしゃいます。皆の智慧をお借りして、早急に善後策を練らねばなりません」
マーサ姫が、「敵はどうするのじゃ!」と苛立たしげに問い質した。
ニノフは、フッと気が抜けたような表情で、呟くように反問した。
「敵とは戦えばいいのでしょうが、それが急に味方となった時、どうすればよいのでしょう?」
気色ばんで更に言い募ろうとするマーサ姫をペテオが止め、代わりに穏やかな、しかし、それでいてキッパリとした口調で答えた。
「詳しい事情はわかりませんが、心配いりませんぜ。何故なら、もうすぐウチの大将が来るはずですからね」
その頃には、バロードの異変は、遠征して来ているガルマニア帝国軍にも伝わった。
小規模な自由都市の大部分を宿営地として接収し、市庁舎を本営にしているブロシウスの前に、顔に特徴のない吟遊詩人が片膝をついて畏まっていた。
「凡その状況は、今申し上げたとおりにございます」
吟遊詩人が報告を終えると、ブロシウスは額に手を当てて呻いた。
「カルスが生きていたとは! しかも、蛮族の帝王だと! それに、その鉄の巨人とは何だ、カノン! わからんことだらけではないか!」
吟遊詩人は、魔道師のカノンであった。理不尽な怒られ方をしても、慣れているのか、表情は変わらない。
「私見ですが、あれはかつてアルゴドラス聖王が造ったという機械魔神でしょう」
ブロシウスも思い当たる節があるようで、「いや、まさか、そんなはずが」と頭を振った。
カノンは「これから如何されますか?」と尋ねた。
何か喋りかけたのを止め、ブロシウスは窓に目をやった。
ヒラヒラと灰色のコウモリが飛んで来たのだ。
「おまえの連絡用か?」
カノンは黙って首を振った。
と、灰色のノスフェルは、空中でクルリと宙返りすると、銀髪の年増の美女に変身した。
「軍師ブロシウスどの。わたしたちと手を結ぶ気は、ないかえ?」