15 暗殺者の影
翌日、蛻の殻となったクルム城にアーロンの姿があった。
「いったい、何があったというのだ?」
ガルマニア軍が司令室として使っていたらしい、元の城主ソロンの部屋で独り言ちたところへ、傅役のシメンが入って来た。
「アーロンさま。敵味方全ての遺体を集め、中庭で枯れ枝と共に火をかけることにしました」
「うむ。そうしてくれ。火葬しなければ、敵味方関わりなく腐死者になるだけだからな。しかし、ガルマニア軍を蹴散らしたのが荒野の兄弟だとしても、その荒くれ男たちすら逃げ出すとは、あの男、どれほどの化け物なのだ」
「あの男とは?」
「ウルス王子の連れさ」
忽ち渋い顔になったシメンに、アーロンは苦笑した。
「おまえの疑いもわかるが、おれは王子は本物だと思う。一度だけカルス王のご尊顔を拝したことがあるが、面差しが良く似ておられる。それに、一見気弱な少年に見えるが、持って生まれた威厳のようなものが窺える。いずれにせよ、国が滅び、身一つで逃げて来られたのに、軟禁状態はお気の毒だ。少々不審な点があったとしても、何か他人に言えぬ事情があるのだろう。大目に見てやってはくれぬか」
シメンが何か反論しかけたところへ、部下の兵士が駆け込んで来た。
「シメンさまに申し上げます! 隠し部屋となっている宝物庫に潜んでおった、ガルマニア軍の幹部らしき者を引っ捕らえました!」
「何っ!」
屈強な兵士二人に左右から抱え上げるように連れて来られたのは、軍人とは思えぬほどデップリ太った男だった。アーロンの姿を見ると、すぐに顔を伏せた。
シメンが男の前に進み出た。
「おまえがガルマニア軍の指揮官か?」
男は怯えたように頭を振った。
「いえいえ、とんでもないことでございます。わたしは、千人隊所属の雑役士にすぎません。偶々隠し部屋があることを知り、難を避けておっただけです」
疑わしそうに男を睨むシメンの横で、突然、アーロンが「気をつけ!」と命じた。
部下の兵士たちはおろか、シメンですらピンと背筋を伸ばす中、太った男だけは動かなかった。
アーロンは「ほう」と目を細めた。
「おまえは随分お偉いようだな。そういえば、ガルマニアの千人長で、おまえのように太った男の噂を聞いた覚えがある。名は確か、サ」
みなまで言わせず、男はガバッと土下座した。
「ど、どうか、命ばかりは!」
アーロンの顔が、みるみる鬼の形相に変わった。
「やはり、おまえがサモスか! おまえは少しでもわが父に憐れみを掛けたか! 楼台の上に首を晒すことを、止めたとでも言うのか!」
アーロンは、腰の剣を抜き放ち、今にもサモスの首を刎ねようと振り被ったところで、強靭な意志の力で自ら押し止めた。
深く息を吸って気を静め、喰いしばった歯の間から押し出すように、サモスに尋ねた。
「おまえが千人長のサモスであるなら、言え! 何故クルム城を襲った? この城は辺境にある。ゲール皇帝が目指すという中原制覇には、殆ど意味のない城だ。目的は何だ? 言えば、命は助けよう!」
「そ、そればかりは!」
ビュッと剣が空気を斬る音がし、バラバラと赤毛が飛び散った。サモスの頭皮スレスレまで、アーロンの剣によって髪の毛が刈られていた。
「ひーっ!」
仰け反るサモスの鼻先に、アーロンは剣を突き付けた。
「二度目は髪では済まん。さあ、言え!」
「ア、アルゴ……」
そこまで言いかけたサモスの口に、刀子が生えていた。
ハッとしてアーロンが窓を見ると、黒い人影が上から逆さまにぶら下がっていた。手にはまだ何本も刀子を持っており、こちらに向けて次々に投げてきた。
「くそっ」
アーロンは手に持った剣で、飛んで来る刀子を叩き落したが、部下の兵士たちは避け切れず、手傷を負わされた。幸い、アーロンの陰にいたシメンだけは無傷のようだ。
アーロンがそれを確認した時には、もう黒い人影は消えていた。
「逃げたか」
改めてサモスの様子を見たが、刀子に喉を貫かれ、すでに絶命している。
一方のシメンは、痛みを訴える部下たちよりも、先にアーロンの安否を確認した。
「アーロンさま、ご無事でしたか?」
「おれは無事だ。シメン、皆の手当をしてやれ」
「はっ、有難きお言葉! しかし、今の者は?」
「雇われの暗殺者だろう。ガルマニアには、何か知られては困る秘密があるらしい」
アーロンは、窓の外にその秘密があるかのように、目を細めて見つめていた。