160 もう一つの戦い(1)
ワルテール平原でニノフの軍が蛮族軍と戦い始めた頃。
勝手に攻撃目標を変更したザクブル率いる『暁の軍団』は、夜通し行軍を続けて、漸く『荒野の兄弟』の砦の近くまで辿り着いていた。
平地にある『暁の軍団』の砦と違い、やや小高い丘の上である。
完全に城塞化した『暁の軍団』のものに比べられば、如何にも野盗の砦という造りではあるが、それでも一通りの防御はできる。
ザクブルは、丘の麓を囲むように布陣した。
その数、凡そ三千。野営地を出発した当初からみれば、千名近く減っていた。
対する『荒野の兄弟』は、全軍が砦の中には居ないようだが、まだ外に潜んでいるであろう少数部隊を併せると、二千五百はいるはずであった。
ほぼ互角といっていい。
勿論、攻城戦は守備側の数倍の兵力で攻めるべきであるという常識から云えば、あり得ない話である。
抑々、平原での戦いを想定した装備で来たため、攻城用の武器なども一切持って来ていない。
しかも、丘の上の砦からは、ザクブル側の動きが丸見えになっている。
無茶である。
ザクブル自身がそう思った。
しかし、今更引き返せない。
で、あれば、挑発して、ルキッフたちを砦から引き摺り出すしかない。
ザクブルは部下たちに、鳴り物を鳴らし、大声で『荒野の兄弟』を罵倒するよう命じた。
盛んに、「臆病者!」「出て来い!」「正々堂々と戦え!」などという筋違いの文句を大声でがなり立てたが、返事は雨のように降り注ぐ矢であった。
一旦矢が届かないところまで下がっていると、例の神出鬼没の少数部隊がちょっかいを掛けてくる。
早くも、ザクブルは後悔し始めていた。
そこへ、また蛮族軍から龍馬に乗った使者が来た。
いや、派手な仮面を被っているから、蛮族の帝王本人だろう。
ザクブルの陣地内にズカズカと走り込んで来た。
「どうだ! 懲りたであろう! すぐにワルテール平原に戻れば許してやる! 今すぐここを引き払え!」
言葉の内容より、ザクブルは、その声に驚いた。
「おまえ、カーンじゃねえな! 何者だ!」
「そのようなことはどうでもよい! わしの言葉はカーンのものと思え! どうしても知りたくば、言っておこう! わしはカーンの父、ドーンだ!」
「そんなこと初めて聞いたぞ! カーン本人はどうした! あんたを影武者にして、逃げたんじゃあるまいな!」
ドーンは龍馬から下りると、ツカツカとザクブルに歩み寄って胸倉を掴んだ。
背の高さはあまり変わらないが、ドーンの方が幾分ほっそりしている。
しかし、そのまま片腕一本で、元闘士のザクブルの身体を持ち上げた。
ザクブルの顔が真っ赤になり、手足をバタつかせている。
「く、苦しい! 放せ、馬鹿野郎!」
「それはこちらの科白だ、愚か者め。これから戻ってバロード軍を徐々に北側に誘導する。おまえたちは、伏兵となって待ち伏せるのだ。日没までに間に合えばよい。途中、敵軍に遭遇するかもしれんが、戦わず回避しろ。よいか、これは命令だぞ!」
ドーンは地面に叩きつけるようにザクブルを下ろすと、返事も聞かずに龍馬に跨って走り去った。
「くそっ、舐めやがって!」
部下たちの目の前で恥をかかされたザクブルは怒りに震えたが、これ以上の攻城が無意味であることは悟っていた。
「仕方ねえ! 全軍、ここを引き払ってワルテール平原に向かう! 準備しろ!」
一斉に不満の声が上がったが、皆攻城戦の困難さがわかったためか、意外に素直に従った。
ところが、いざ出発するという段になって点呼を取ると、更に五百名程減っていた。
準備のどさくさに紛れて、また逃げたのである。
「何だと! ふざけやがって! もういい! 探しに行くだけ無駄だ! 出発せよ!」
ザクブルは号令を掛けながらも、果たして平原に到着するまでに何名残るのかと、薄ら寒くなった。
ところが、行軍を開始して早々に、前方に放っていた斥候が駆け戻って来た。
「申し上げます! 敵軍が接近中! その数、凡そ二千! 率いているのは、かの獣人将軍ゾイアと思われます!」
「あいつか!」
ザクブルの脳裏に、闘士試合での屈辱が蘇ってきた。
「あいつだけは許さねえ! ワルテール平原に行く前に片付けてやる!」
ドーンの命令など無視し、ザクブルの軍は戦闘態勢に入った。
実は、その日の朝、ゾイアたちは『暁の軍団』の砦を出発し、ワルテール平原へ急行していたが、その途中、ニノフからの伝令が来た。
進路を変更し、『荒野の兄弟』の援軍に行って欲しいというものであった。
「了解したと伝えてくれ」
「はっ、ありがとうございまする!」
伝令が去ると、早速、ロックが文句を言い出した。
「おっさん、いいのかよ! 主戦場から外されちまってよ!」
ゾイアは苦笑した。
「情報部隊の長とも思えぬ言い様だな。この任務は重要だぞ」
「ふん。それくらい、わかってるさ! ザクブルの率いる兵は四千。これが主戦場から離れるのは一見有利だけど、いつ戻って来るかわからない。こんなでっかい不確定要素があったんじゃ、オチオチ戦ってなんかいられない。これを無力化することが、勝敗の決め手となる、ってこったろ?」
「さすがだな」
ゾイアに褒められ、ロックの小鼻がヒクついたが、すぐに表情を引き締めた。
「おいらが気にしてんのは、折角おっさんの名を中原に轟かす機会だったのに、ってことさ」
ゾイアは珍しく、声を上げて笑った。
「心配せずとも、活躍の場はあるだろうさ」
その言葉のとおり、昼過ぎにはザクブルの軍が接近しているとの伝令が来たのである。