152 ワルテールの会戦(2)
『暁の軍団』の砦がゾイアの軍によって制圧されたとの知らせは、どこよりも早く、その夜の内に『荒野の兄弟』に伝わっていた。
ニノフたちがそれを知るのは、翌朝を俟たねばならない。
『暁の軍団』と『荒野の兄弟』は長年敵対関係にあったため、常に動静を探り合っていたからである。
伝令から話を聞いたルキッフは、ピシャリと膝を打った。
「やるじゃないか、あの獣人将軍。おれたちとは、縄張りを懸けた闘士試合の時といい、いつもギリギリですれ違うが、ある意味救いの神、いや、獣神だな。最初、クルム城でアジムを殺られた時には、おれも生命辛々逃げて、いつかこの借りは返してもらうぞと思ったが、それ以上のご利益はあった、という訳だ」
ルキッフは喜んだが、その闘士試合の日に重傷を負い、最近漸く回復した長老のドメスは、顔を顰めた。
「なんの、攻め倦んでいるところを、バポロの阿呆が蛮族を裏切ったお陰で勝てたそうではありませぬか」
「どんな方法であれ、勝ちゃいいじゃねえか」
「既に本隊が出払った砦ですぞ。これで相手の退路を断ったのだと云っても、それはこちらが勝った後の話でしょう。会戦で負ければ、何の意味もありませぬ」
ルキッフも真面目な表情になり、「そりゃ、そうだな」と自分の顎を撫でていたが、「うん、そうだ!」とパッと顔を輝かせた。
「じゃあ、本隊の方に知らせてやろうじゃないか!」
「はあ?」
ルキッフは悪巧みをする悪戯小僧のように笑った。
「特に、『暁の軍団』の連中にさ。おめえたちの砦は落ちたぜ、それも、団長のバポロの裏切りで、とな」
その『暁の軍団』の四千名を率いているのは、元闘士の赤毛のザクブルであった。
あの闘士試合に於いては、バポロやリゲスと共謀して、砦にやって来たルキッフたち、及び本来味方であるはずのゾイアたちをも窮地に陥れた男である。
最後にはロックを人質にとったが、獣人化したゾイアに放り投げられて気絶した。
逆に、それが幸いして生命拾いしたとも云える。
三千名を少し切る程だった軍団を、蛮族の帝王カーンの命令で増員して強化するということになった時、団長のバポロでは無理だろうと、カーン直々にザクブルに白羽の矢を立てたのだ。
個人技の強さや、下の者に容赦のない統率力に加え、ガルマニア人であるということが決定的であった。
「いずれ、それが役に立つ」
ザクブルを副団長に指名した際のカーンのその言葉は、いずれガルマニア帝国と手を結ぶと宣言したに等しい。
それはともかく、下の者の評判は、ある意味バポロ以上に悪かった。
元々の性格もあるが、大役を与えられたことで必要以上に高圧的な態度になり、やたらと威張り散らすのである。
『暁の軍団』は、前々日に野営地を出発した蛮族軍の最後尾であったが、闘志剥き出しの蛮族たちと違って、別の意味でピリピリしていた。
「おれさまの戦斧の手入れは済んだか!」
その朝も、天幕での仮眠から醒めた開口一番の言葉が、これであった。
「はっ、こちらに!」
ザクブルは、当直兵から差し出された、とても実戦には使えそうもない程キラキラと宝石や貴金属で飾られたバトラックスを受け取った。
それをジッと見ていたかと思うと、いきなり当直兵を足蹴にした。
「馬鹿者! バトラックスの刃に、おまえの手脂が付いておるではないか! 磨き直せ!」
「ははーっ!」
バトラックスを捧げ持った当直兵が下がるのと入れ違いに、警備兵が矢文のようなものを持って入って来た。
「畏れ入ります、副団長! 昨夜の内かと存じますが、近辺にこのようなものが!」
「うむ」
不機嫌そのものの顔で矢文を読んでいたザクブルの顔色が変わった。
改めて、警備兵の方を見た。
「おまえ、このことを、誰かに言ったか?」
「いえ! 内容が内容ですので、まず、一番に副団長にお知らせすべきかと」
「ほう、読んだのか?」
「はっ、役目柄、内容を確認しました!」
「そうか。ご苦労であったな。些少だが、褒美を与えよう」
「あ、いえ、それは」
「良いではないか。少し待て」
ザクブルは天幕の奥に行き、何かを持って来た。
「無礼者!」
いきなりザクブルはそう叫ぶと、手にした護身用の剣で警備兵を斬った。
「ぐあーっ!」
声を聞きつけて、当直兵が戻って来た。
「副団長、大丈夫でございますかっ!」
剣に付いた血を、警備兵の服で拭ったザクブルは、その剣を当直兵に渡した。
「無礼な振る舞いがあった故斬った。この剣も磨いて置け」
蒼褪めた顔で剣を受け取る当直兵に、ザクブルは「遺骸は燃やせ。辺境からだいぶ離れたが、万が一腐死者になると厄介だ」と言い捨てて天幕を出た。
そこへ、周辺の斥候に出ていた騎兵が駆け戻って来たのである。
「敵襲だあーっ! 『荒野の兄弟』が攻めて来たぞーっ!」