14 明日への逃走
すでに武器を失って丸腰のゾイアは、一時も止まらずに動いた。
降り注ぐ矢を、或いは体を捻って避け、或いは手刀で叩き落し、或いは宙で掴み、それでも全ては防ぎ切れず、手足に数本が突き刺さった。
「うぐっ!」
ゾイアの動きが緩んだとみて、二の矢を番えようとした野盗の男たちは、しかし、その手を止めてしまった。
尋常ならざることが起きていることに気づいたのだ。
ゾイアの肌に細かな黒点が多数生じ、見る間に剛毛となって全身を覆った。
髪の毛は焦げ茶色に変わり、鬣のようだ。それに並行するように、顔がボコボコと膨らみ、顎がヌーッと伸びると、唇の隙間から大きな牙が生え出て来る。
手足の筋肉は岩のように盛り上がり、刺さった矢が圧力に負けて体外に押し出され、ポトリ、ポトリと地面に落ちた。
凍りついたように見守る男たちの前で、ゾイアの野獣のような咆哮が響き渡る。
次の瞬間、ゾイアの体が弾かれたように跳躍し、男たちに襲いかかった。
半ば戦意を喪失していた男たちは、矢を射ることも忘れ、悲鳴のような声をあげて逃げ惑う。
それを追いかけ、ゾイアは容赦なく鉤爪と牙で切り裂いて行った。
茫然と仲間が殺られて行くのを見ていたルキッフが、その時になってようやく命令を発した。
「退却だーっ! 全員、退却しろーっ!」
言いながら、ルキッフは真っ先に楼台の入口に駆け込んだ。
中の螺旋階段を転げるように降りながら、猶も「退却だーっ!」と叫び続ける。
城門の近くに待機していた仲間たちは、まだ充分な戦利品を盗っていないと騒いだが、ルキッフは一喝した。
「てめえら死にたいのか! 相手は怪物だ! とにかく一刻も早く逃げるんだ!」
仲間たちは、野盗の荒くれ稼業を続けながら、ルキッフが数々の修羅場を潜り抜けて来たことを知っている。
そのルキッフの、今の形相を見て、只事ではないことを理解した。
「うおーっ! みんな逃げるぞーっ!」
戦士ではない野盗たちに、逃げることへの躊躇いはない。
数百人が散り散りに逃げた。逃げる時には固まらないのが、彼らの鉄則なのだ。
首領のルキッフも、昨日仲間になったばかりの男たちと同じように、身一つで逃げた。
全力で走りながら後ろを振り向き、「いつか必ず、おまえを手に入れてみせるぞ!」と叫び、おかしくて堪らぬように笑った。
そのまま大声で笑いながら、ルキッフは月明かりの中を駆け抜けて行く。
一方、ゾイアの変身を物陰に隠れて見ていたロックは、腰が抜けて蹲っていた。
「どうすりゃいいんだ。今出て行ったら、おいらも殺られちまう。早く逃げなきゃいけねえのに、足が動かねえ」
野盗たちはさすがに逃げ足が速く、最小限の犠牲者だけが城壁の上に転がっている。その中には、あの巨漢アジムの屍もあった。
と、ロックの後ろ側にある牢屋の中に隠れていたらしいガルマニア兵たちが、一斉に飛び出て来て、城壁から中庭の方へ次々に跳び降りて行った。
「畜生っ! おいらの策じゃねえか!」
だが、ガルマニア兵の立てる物音に気づいたゾイアが、こちらに向かって来た。
当然その途中で、隠れているロックに気づいて立ち止まった。
獣人となったゾイアの緑色の目が、爛々と光っている。
「わーっ! わーっ! おっさん、おっさん! おいらだ、ロックだ! 殺さねえでくれーっ!」
「ロック……?」
「そ、そうだよ! おいらが、おっさんを助けてやったんだぜ! 恩を忘れたのかよーっ!」
「恩?」
ゾイアの顔から怒りや攻撃性が徐々に消え、平静を取り戻しつつあった。
それと共に顔が平たくなり、体毛も少しずつ短くなって行き、頭髪や瞳の色も変化を見せた。
「お、おお、ロック、か」
ロックはヒラヒラと手を振って見せ、「おっさん、正気に戻ったかい?」と尋ねた。
「ああ、大丈夫、だと、思う」
「良かったあ。おいらも殺されるんじゃねえかと心配したぜ。で、これからどうする?」
「勿論、われらも逃げるのだ」
そう言うと、ゾイアはウルスと別れて以来、初めて笑った。