142 開戦前夜(1)
「東側国境警備に五千、首都バロン防衛に三千、残る二万を西側国境付近に集結すべきと考えます」
ニノフの提案に、総裁カルボンは苦い顔をした。
西側に蛮族と『暁の軍団』の連合軍一万二千が進軍して来ているとの一報を受け、急遽催された会議の席上である。
正面にカルボンが座り、左側にニノフとボローを含む新参組、右側に新バロード王国以来の古参組の将軍たちが居並んでいる。
古参組を代表するように、立派な口髭を蓄えた老将軍クマールが異見を述べた。
「そんなに要らんだろう。例の野盗軍や、北方警備軍に牽制させれば、半分の一万ぐらいで良いのではないか? 首都防衛がたった三千など、あり得ん話だ。東側も五千では心許ない」
あからさまにカルボンの心情を忖度した発言だが、カルボンは「一理あるな」とのみ評し、あくまでも超然とした態度を崩さなかった。
議論の結果に責任を持ちたくないのであろう。
ニノフはクマールの方は見ず、カルボンに向かって自説の意図を説明した。
「時期はズレるにせよ、ガルマニア帝国軍は必ず遠征して参るでしょう。その際に後顧の憂いがないよう、今のうちに蛮族を殲滅し、二度と中原侵攻など企てぬようにするのです。そのためには、二万でも足りぬくらいです」
自分を無視されたと思ったらしく、クマールが色をなして反論してきた。
「だからこそだ! 蛮族に感けておる間に、ガルマニアが攻めて来たらどうする? 蛮族など適当にあしらって、北方へ追い返せば良いのだ。それとも、ニノフ将軍には、蛮族の帝王とやらに個人的な恨みでもあられるのかな?」
ニノフは、皮肉な笑みを浮かべているクマールに向き直って、恍けた顔を見せた。
「さあ、自分には恨みなどありませぬが、向こうには、あなた方への恨み辛みがあるでしょうね」
蛮族の帝王が本当に先王カルスであるとすれば、右側に座っている将軍たちは皆、カルボン卿の謀叛に加担した裏切り者ということになる。
クマールはダンと卓を叩いて立ち上がり、「きさま! 無礼であろう!」と叫んだ。
騒然とした空気の中、伝令が駆け込んで来た。
「会議中申し訳ございません! 火急の連絡でございます! ガルマニア帝国軍凡そ三万が、数日前、エイサ改め新都ゲルポリスを出発した由にございまする! 軍を率いるのは、かの軍師ブロシウスであります!」
立ち上がったままのクマールが、「それ見たことか!」と叫んでニノフを睨みつけた。
だが、ニノフは顔色一つ変えなかった。
「三万の軍勢が東側国境付近に到着するには、更に十日以上はかかりましょう。その間に蛮族を撃破すればよいのです」
「ならん!」
甲高い声でそう叫んだのは、カルボンであった。
「首都防衛が第一じゃ! クマール、差配せよ!」
「はっ!」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、クマールが命令を下した。
「総裁閣下の御下命により、不肖ながら、わがはいが各将軍に命ずる。首都バロン防衛にわが軍を中心とした兵一万、東側国境警備には、わが甥ガネス将軍の下に一万三千、蛮族軍についてはニノフ将軍直属の機動軍五千で当たられよ。無論、機動軍が、野盗軍や北方警備軍と共同戦線を組むことは、差し支えない。皆の者、直ちに準備を始めよ!」
悔しげに唇を噛むニノフの代わりに、ボローが立ち上がった。
「お待ちください! それはあんまりです!」
クマールはジロリとボローを睨みつけた。
「わがはいは、お願いしたのではない。命じたのだ。何だ、おまえは。髭を伸ばすなら、キチンと整えよ。見苦しいわ!」
言い捨てて会議室を出て行くクマールに古参組の将軍たちが続き、新参組も気の毒そうにニノフとボローを見ながら退室した。
残ったニノフとボローは、最後の望みを賭けて、カルボンに交渉するつもりであった。
カルボンは座ったまま、削いだように痩せこけた頬を一層青白くさせ、何事かブツブツと呟いている。
ガルマニア帝国軍が余程恐ろしいらしく、目は虚ろで、とても一国の最高責任者には見えない。
ニノフは、ツカツカと歩み寄った。
「総裁閣下、お願いがございます」
カルボンは、夢から醒めたような不機嫌な顔で、「クマールの命じたことは、撤回せんぞ!」と吐き捨てるように告げた。
ニノフは一度深く息を吸った。
「ならば、仕方ありませぬ。わたくしに、アルゴドラスの聖剣をお貸しいただけませんか?」