138 窮鳥懐に入れば
ウルスたちの一行は、自然な流れでタロスが馬に乗って先導する形になっていた。
残る三人は馬車で、その手綱はギータが握っている。
視力の優れたタロスには、間もなく巡礼軍の全容が見えてきた。
ゾイアとロックが出会ったプシュケー教団は連隊(三千人隊)規模であったが、こちらはもっと大きく、旅団(五千人隊)程いるようであった。
やはり、騎乗してる者を含め、殆ど全員が平服で、甲冑は一切身に着けていない。
槍などの武器は手にしているが、楯は持っていない。
防御ということを、全く考慮していないのである。
進路は、ほぼ真北であった。
と、旅団から単騎で離れた者がこちらに駆けて来た。
害意がないことを示すように、白い上着を脱いで、片手でクルクルと回している。
若い男だ。
声が届く距離まで近づくと、男は馬を止め、大声で叫んだ。
「旅のお方と見たーっ! 恐れることはなーいっ! われらはプシュケー教団であーるっ! この中原に天国を創るために戦っておるのだーっ! 仲間にならぬかーっ!」
タロスたちは勿論知らないが、ゾイアたちが呼び掛けられた時と全く同じ科白であり、こういう場合の決まり文句であるようだ。
タロスは少し考えて、負けないくらいの大声で返事をした。
「見てのとおり、われらは他宗を信ずる巡礼でござーるっ! 仲間になることは叶いませぬが、老人と子供と怪我人を抱え、難儀をしておりまするーっ! どうか、助けていただけませぬかーっ!」
「おお、それはお困りであろうーっ! 団長の許しを貰う故、暫し、待たれよーっ!」
若い男は、クルリと馬首を巡らせて戻って行った。
「親切なんだね」
感激したように言うウルスに、ギータが「そうではあるまい」と異を唱えた。
「あれは、普通の軍で云うところの斥候さ。相手に害意がないか、伏兵が隠れていないか、確かめに来たのだ。ただ、教義上、あからさまにそういう素振りができぬからな。お為ごかしさね」
タロスが苦笑した。
「プシュケー教団を推薦したのは、おぬしだぞ」
すると、熱で苦しんでいるはずのツイムが掠れた声で「あんたが老人呼ばわりしたから、臍を曲げたのさ」と教えた。
ギータが小さな鼻を鳴らした。
「ふん、口の減らん怪我人じゃな。まあ、そんなことはない、こともないがの。それより、何があろうと、油断禁物ということよ」
タロスが「そのつもりだ」と応えたところへ、先程の若い男が戻って来た。
「団長からの伝言であーるっ! これよりわれらはベルギス大山脈の麓にある拠点、聖地シンガリアを目指して進むっ! それで宜しければ、同行されよーっ! 水、食料、薬など、必要なものは、全て布施として差し上げーるっ!」
「忝ーいっ! お言葉に甘えさせていただーくっ!」
タロスは馬車の方を振り返り、「葉を隠すには森の中、だ。これだけの人数に紛れてしまえば、まず、見つかるまい。用心はするが、行くしかないぞ」と笑った。
その頃、ウルスラとツイムの消えた戴冠式の会場は、大混乱の真っ只中であった。
だが、気絶から醒めたブロシウスが各国の代表たちを宥め、最後にはガルマニア帝国の権威で脅し、何とか治まりをつけた。
そのままエイサから帰国する者が大部分であったが、折角だからともう一泊して観光する者などもいた。
それでも、翌々日には全員がエイサから退去した。
無論その間、ブロシウスは血眼になってウルス、もしくはウルスラの行方を捜したが、エイサの宿坊でそれらしい子供を見たとの情報を最後に、ふっつりと消息が途絶えてしまった。
「やはり、外法を使ったのか。結晶毒が出た以上、それしか考えられぬ。しかし、あんな小娘が、何故それ程の理気力を持っているのだ?」
もう一度現場を見ようと、迎賓館の大広間を検分しながら、ブロシウスは自問自答を繰り返していた。
ところがそこへ、事件直後に姿を消していた宰相のチャドスが戻って来るという知らせがあった。
しかも、想定外のある人物と一緒に。
役人からその報告を聞いたブロシウスは、飛び上がって否定した。
「何を寝言を云っておる! 皇帝がエイサになど来られるはずが……」
ヒュンと空気を切る音がし、今までブロシウスが立っていた床に、ダンと音を立てて大剣が突き刺さっていた。