137 第三勢力
戴冠式当日の朝、ギータは近所を駆けずり回って安い馬車を手に入れた。
連れの擬闘士トルースの業病が悪化し、愈々危篤状態になったため、乗せて帰る、という触れ込みである。
馬も、元々連れていた一頭とは別に、もう一頭買い求めた。
その後、ギータが宿坊を引き払うと告げると、主人は布で口を押えながらも、気の毒がった。
「ルードの泉の水も、霊験がなかったねえ」
ギータは悲しげに首を振った。
「いや、これも全て定めでありましょうな。それから、トルースを運び出すために、知り合いの親子を呼んだんじゃが、部屋に上げてよろしいかのう? 何しろわしはボップ族じゃで、とても抱えきれんのでなあ」
断れば自分が手伝わされると気を回し、主人は慌てて「いいとも、いいとも」と告げて、逃げるように立ち去った。
外から来る親子連れとは、ギータが用意した違う服を身に着けたタロスとウルスであり、逆に、業病で寝ているトルースの役はツイムに入れ替わっている。
「動けるか?」
タロスが聞くと、ツイムは「何とかな」と、意外に確りした声で答えた。
「しかし、あんたとおれとじゃ、随分体格が違う。誤魔化せるのか?」
それには、ギータが答えた。
「病で縮んだ、ということにするさ。それより、怪我の具合はどうだ?」
「ああ、有難いことに、だいぶ楽になった。礼を言う」
だが、ギータは「礼はまだ早い」と手を振った。
「恐らく、今夜熱が出る。その熱が高い方が治りは早い。じゃが、少々辛いぞ」
ツイムは苦笑した。
「こっちは怪我人だぞ。もう少し楽しいことを言ってくれ」
そのやり取りを横で聞いているウルスは目を潤ませていた。
因みに、前夜の話し合いで、残念ながら危険を避けるために、当分はウルスラを表に出さないことにしたのである。
「ごめんね。ぼくたちを庇うために、怪我をさせてしまって」
「ああ、良いのです。それがおれ、いや、わたしの務めですから」
それを聞いたタロスも頭を下げた。
「今回のことだけでなく、北長城からずっとウルスさまたちを護ってくれて、本当に感謝している。今度はわたしの番だ」
ギータが「これこれ、そういうことはエイサを出てからにしろ」と窘め、一行は宿坊を出発することになった。
ウルスラが何故時を越えたかについては、誰も深くは詮索しなかった。
それが外法であることは、皆薄々わかっており、敢えて触れなかったのである。
また、もし聞かれたとしても、記憶のないウルスラには答えようもなかった。
エイサに入る時の厳重な取り調べに比べ、出て行く方は楽であった。
まして、病人がいるということで、一刻も早く退去するよう促されたくらいである。
緩衝地帯に出て、道すがら当面の行き先を相談した。
実は、前夜の話し合いでも、それだけがなかなか決まらなかったのだ。
「やはり、ガルマニア帝国にも、バロード共和国にも組しない、第三の勢力に頼るしかないと思う」
タロスがそう言うと、ギータが首を傾げた。
「かと言って、小国の集まりである沿海諸国では意思統一ができず、無理であろうな」
ウルスが「サイカは?」と聞くと、ギータは苦笑して頭を振った。
「無理じゃよ。アッという間にやられてしまうわい」
唯一、可能性がある存在として名前が挙がったのは、国ではなかった。
プシュケー教団である。
「わたしは良く知らんのだが、ガルマニアからも、バロードからも追われるわれわれを、受け入れてくれるものなのか?」
タロスの問いに、言い出しっぺのギータでさえ、首を傾げた。
「実は、わしもよくわからん。まあ、ガルマニア帝国とは例のシャルム渓谷で戦ったから、敵対関係であろうが、バロード共和国とは、今のところ無関係とは思う。じゃが、教義の中に、困っている者は親の仇でも助けよ、という一条があったはずじゃ。それに縋るしかない」
馬車に横たわっているツイムが、「心許ない限りだな」と、少し怠そうに評した。
「お、どうした? 苦しいのか?」
タロスがツイムの顔を覗き込むと、真っ赤になっている。
ギータも近くに寄って、ツイムの額に手を当てた。
「うむ。熱が出てきたようじゃな。少し早いが、宿営の準備をするかの」
と、前の方を見ていたウルスが、「あれは、何?」と指差した。
見ると、濛々と土煙りが舞っている。
「お、噂をすれば何とやら、恐らくプシュケー教団の巡礼軍じゃ」
タロスも目を細めて、「そのようだ。これは、当たって砕けるしかあるまいな」と呟いた。