126 波紋(5)
北長城のマリシ将軍の部屋に、ゾイアとマーサ姫の二人が呼ばれていた。
会議用の円卓を囲んで、正面に将軍、その左にゾイア、右にマーサ姫が座っている。
将軍は執務用の平服、ゾイアは訓練用の胴着であったが、マーサ姫は、兜こそ被っていないものの、お気に入りの真っ赤な鎧のままである。
円卓の中央には、アーロンから来た手紙が乗せられていた。
マリシ将軍は、ゾイアとマーサ姫がそれぞれ一通り目を通した後、二人を呼んだ趣旨を説明した。
「本来なら、千人長全員を集めるべきだが、間違いなく収拾がつかなくなるだろう。こう言っては何だが、現場を預かる千人長たちには、ちと荷が重すぎる議題だ。そこで、先ずこの三人で揉んで、ある程度の方向性を決めたいのだ。どうだ、ゾイア。忌憚の無い意見を聞かせてくれ」
三人で、と言いながら、将軍の目はゾイアだけに向けられている。
マーサ姫もそれがわかったのか、フンと鼻を鳴らしたが、さすがにそれ以上の茶々は入れなかった。
ゾイアは天井を見上げて何か考えているようだったが、「うむ」と言って、改めてマリシを見た。
「詳しい状況が全くわからないから、これから言うことは推測だ。恐らくウルスは、自分を受け入れてくれたカリオテに迷惑を掛けまいと、自ら進んでガルマニア帝国の人質になったのだろう。いや、人質どころか、逆にガルマニアを手玉に取ろうとしているのだな」
黙っていられなくなったのか、マーサ姫が割り込んだ。
「まだ十歳の男の子であろう? わらわには、そこまで考えるとは思えぬ」
「いや。ウルスは、決して見かけどおりのお坊ちゃんではない。それに」
ウルスラの事を言うべきか、ゾイアは迷った。ロックとギータ以外には、まだアーロンにさえ話していないのだ。
だが、今それを言っても、混乱を招くだけだと思い直した。
「それに、一応、帝王学は教えられているはずだ。しかし、危ない橋だ、とは思う。利用するつもりで利用されることになる。ガルマニアの目論見は明らかだ。ウルスを即位させ、バロードの正統な統治者はこちらだと主張する。そのようなことを言われたとて、カルボンがすんなり政権を明け渡す訳がない。すると、バロード奪還を大義名分として、ウルス王の名で大軍を催すだろう。勿論、実質的にはガルマニア帝国軍だ」
マリシ将軍が、苦々しい顔で尋ねた。
「どのくらいの規模であろう?」
「シャルム渓谷の轍を踏まぬよう、それ以上の軍勢を、何手かに分けて攻めるだろう。現状のガルマニア帝国の戦力から見て、総勢凡そ三万」
重苦しい沈黙が落ちた。
が、ゾイアは、「それだけではない」と続けた。
「先般、アーロンどのと北方探索をした際、蛮族たちが密かに中原側に渡るために使っている鉄の橋を発見した。一旦はわれらが焼いたものの、骨組みは残っているから、すぐに修復しただろう。今頃は、蛮族の大半が『暁の軍団』の砦に至っているはずだ。蛮族と軍団を併せて、総勢は約一万。かれらの狙いも、恐らくバロード」
マーサ姫が「下手をすると、東西から挟み撃ちじゃな」と呻くように言った。
ゾイアは、小さく首を振った。
「それを、させてはならないのだ。今のところ、ガルマニア帝国と蛮族に接触した気配はないが、放って置けば、いずれそうなるのは目に見えている」
マリシ将軍が「放って置けば、だな」と繰り返した。
「左様。つまり、放っては置けぬのです。勿論、われらの第一の役目は北方の警備。なれど、その北方の蛮族が中原に移動した以上、役目を果たすため、わららも後を追うべきと存ずる。幸い、ヨゼフが既に七艘の箱船を用意してくれた。これを何往復かさせ、リード湊などへ渡ればよい」
将軍は暫し考えていたが、「そうだな」と頷いた。
「蛮族がスカンポ河を渡って以来、われわれの役目も変わったのだな。して、中原側に、どのくらい派遣すればよい?」
「アーロンどのにも声を掛け、でき得れば、総勢一万」
マリシ将軍は笑い出した。
「こいつめ! 北長城を空っぽにせよ、と言うのか! よかろう、好きなだけ連れて行け! この場で、おまえを派遣軍の将軍に任命する!」
ゾイアは、立ち上がって敬礼した。
「場合が場合故、遠慮はせぬ。謹んでその大役、お引き受けいたす!」