125 波紋(4)
「王宮を襲撃する前に、全ての抜け穴は塞いだはずだ……」
カルボンの生々しい告白に、ケロニウスはおろか、部下であるクジュケも眉を顰めた。
しかし、ニノフだけは無表情に聞き流し、「現時点では、あくまでも推測ですが」と話を続けた。
「もし、そうであれば、今後の策戦に、新たに二つの要素を加味しなければなりません。一つは、相手がこちらの内情を熟知している、ということ。土地鑑もあり、兵力の配分なども知っていると思わなければなりません。そして、もう一つは、動機です。真っ先にバロードを狙う理由は色々あるでしょうが、恐らく一番は、報復、です」
怒りで赤かったカルボンの顔が、今は紙のように白くなっていた。
通達が直接行く訳もないが、ウルスのことは、当然、『暁の軍団』にも伝わった。
例によって小姓を侍らせ、昼間から葡萄酒を飲んでいるバポロの前に、派手な仮面をつけたカーンが腕を組んで立っていた。
バポロは酒焼けした鼻を赤くしながら、「で、これは吉兆だと、おまえは言うのか」と酔った目でカーンを睨んだ。
カーンは、腕を解いて肩を竦め、「吉兆とまでは言っておらん」と、バポロの視線を撥ね返した。
「とにかく、バロードとしても放っては置けまいから、軍の何割かは東側国境に配置して、万が一に備えるだろう。必然的に、西側は手薄になる。『荒野の兄弟』と同盟を結んだといっても、所詮野盗だ。おっと、これは失礼。一方、橋の修復も終わり、クビラ族も大半がこちらに集結した。攻勢をかけるには、今こそ好機だぞ」
自信に満ちた声のカーンに比べ、バポロは不安を紛らすように、再び葡萄酒を呷った。
フーッと息を吐くと、上目遣いにカーンの顔を見た。
「バロードに攻め込む前に、おまえの正体を明かせば、労せずして勝てるのではないか? まあ、本当にそうならば、だが」
カーンはツカツカと歩み寄り、片手をついてバポロの机に半分腰を乗せた。
そのまま空いている方の手で、バポロの襟首を掴む。
「先ずはバロードに攻め込んで、カルボンに鉄槌を下してからだ」
「く、苦しい、手を離せ!」
ところが、カーンは相手の襟首を掴んだまま机から下り、バポロの体ごと机の前に引き摺り降ろした。
小姓がオロオロしながら「カーンさま、お止めください! 人を呼びますよ!」と叫ぶが、カーンは一向に意に介しない。
「勘違いをするな。机越しでは話がしにくい故、距離を縮めただけだ。なあ、団長?」
バポロは、茹で上がったような真っ赤な顔で、ガクガクと頷く。
カーンがパッと手を離すと、バポロは崩れ落ちるようにその場に座り込み、激しく咳込んだ。
それが治まると、今度は怒りで顔を真っ赤にした。
「よ、よくも余にこんな真似を! この砦の主に対する無礼は、高くつくぞ!」
だが、カーンは含み笑いをしながら、バポロの顎を蹴り上げた。
「おやおや、ご無礼いたしました。大丈夫でございますか、団長どの?」
言いざま、今度は反対側の足でバポロの腹を蹴った。
「げほっ!」
盛大に葡萄酒を吐いたバポロを見て、悲鳴を上げて逃げ出した小姓の前に、蛮族数名が立ちはだかった。
カーンは、尚も嘔吐くバポロの頭に足を乗せ、自分の吐瀉物の上に突っ伏すように押さえつけた。
「言っただろう? 大半の蛮族がこの砦に集結したと。最早、おまえの軍団は少数派なのだ。これからは、大人しくわれらの言うことを聞かねば、生きて行けぬぞ。わかったか?」
吐瀉物にまみれた顔を上げたバポロは、泣くように叫んだ。
「い、生命ばかりは、お助けを!」
這い蹲ったバポロの脚の下に、水たまりのようなものが拡がった。
通達は当然、辺境伯のアーロンにも届いた。
「シメンはどう思う?」
アーロンに問われた傅役のシメンはここぞとばかりに持論を展開した。
「それがしは予てより、あの王子は怪しいと睨んでおりました。査問の結果、魔女ではないとされましたが、かの英傑アルゴドラス聖王の子孫とは、とても思えませぬ。この通達を見て、ああ、然も有りなん、と得心致しました。あの王子は元々ガルマニア帝国の回し者であったのです。皆、見事に騙されたのですぞ」
アーロンは苦笑した。
「そのようなことはあるまい。一見、弱々しく思えるが、一本筋の通った、将来が楽しみな少年であった。この度の事は、何か深い仔細があってのことだと思うぞ」
「そうでしょうか?」
不満顔のシメンをそれ以上刺激しないよう、アーロンは話を変えた。
「そうだ、シメン。この知らせは、さすがに北長城には届いておらぬはず。早馬を飛ばしてくれ」
「御意!」
張り切って出て行くシメンの後ろ姿を見ながら、アーロンは、「ゾイアなら、どう考えるであろう?」と呟いた。