122 波紋(1)
正確に言えば、ウルスは拉致された訳ではなく、自ら進んでガルマニア帝国に身を任せたのだが、事情通である程、そこを勘繰った。
しかし、この情報がジワジワと中原の各地に知られつつある時に、それを上回るものが正式な外交文書として、各国・各自治領・各自由都市に通達された。
即ち、ウルス王子のバローニャ公継承と、近日中に新バロード王国を再興した上で、新王として即位する旨の宣言である。
「馬鹿馬鹿しいわ。僅か十歳の坊やが公爵さまになって、もう少ししたら王さまになりますって、そんなのガルマニアの操り人形にされてるに決まってるじゃないの!」
自由都市サイカの実質的な長として、通達を受け取ったライナは、そう憤慨した。
場所は例によってライナの屋敷の応接間で、あれから五日間、居候状態だったタロスと、情報屋のギータも来ている。
ギータはタロスに頭を下げた。
「すまん。わしも必死でウルスの情報を探っていたのだが、結果として、単におぬしを五日間足止めしただけであったな」
タロスは微笑んで、軽く首を振った。
「いえ、わたしがこのサイカに立ち寄らなければ、今頃はもう早船に乗って沿海諸国のある南方に向かっていたでしょう。ウルスさまがエイサにいらっしゃるとわかりましたからには、ここから陸路を東に行くことにいたします」
ギータは、皺だらけの顔をさらに顰めた。
「うーむ、それはどうであろう。かつてのエイサならともかく、焼き討ち後は、完全にガルマニア帝国の支配下にある。ウルス王子がいるというバローニャは、その中心部に近い荘園にすぎん。謂わば、敵地の真っ只中だ。とても辿り着けまいよ。考え直した方がよくないか?」
タロスの返事は明快であった。
「そこにウルスさまがいらっしゃるのであれば、たとえ地獄の底にでも参ります」
「ちょっとお待ちよ」
ライナがいつになく穏やかな口調で割り込んで来た。
「やっぱり見かけは似ていても、中身は別人なんだねえ。あんたの心意気は立派だけど、真っ直ぐ過ぎるよ。わたしのゾイアなら、もう少し策戦を考えるはずさ。城は、正面から攻めるばかりじゃ落ちないよ。搦め手に回るとか、兵糧攻めにするとか、色々あるだろう。幸い、ここにギータっていう智慧袋がいるんだ。利用しない手はないよ」
言われたギータも苦笑して話を続けた。
「仕方あるまい。わしも、もう少し情報を集め、智慧も絞る。もう二三日待ってくれぬか?」
「わかりました。但し、申し訳ありませんが、たとえ何も上手い方法がなくとも、三日目の朝には出立いたします」
表情は笑顔でも、タロスの顔には決意が漲っていた。
衝撃は各地に拡がったが、勿論、最も動揺したのは、かつての新バロード王国、即ち、現在のバロード共和国である。
「いったいどうして、ウルスの後ろ盾にガルマニアがついたのだ!」
共和国総裁の執務室で大量の書類に次々に署名しながら、カルボンが大声で叫んだ。
相変わらず、削いだように頬がこけた陰気な顔をしている。
怒鳴られた相手は、例の黒尽くめのガイ族の女である。
「わからない。ウルス、カリオテにいた。ガルマニア、身柄要求した。大公、ビビッて引き渡した。それが何故、味方になる。不思議」
「馬鹿者! それを調べるのが、おまえらの役目であろうが!」
そこへ、総裁付きの役人が、来客を知らせて来た。
「誰だ? 今は忙しいからと断れんのか?」
役人は困った顔をした。
「はっ。それが、連れて来られたのは参与のクジュケさまなのですが、是非とも総裁に会っていただきたいと。ですが、お客さまがどなたなのか、どうしても仰いません」
「あの魔道師上がりめ。失礼にも程がある。構わん、門前払いにしろ!」
しかし、役人の後ろから声がした。
「畏れ入りますが、もう参っております」
共和国参与のクジュケであった。
前を切り揃えた銀色の髪に、薄いブルーの瞳をしている。
耳がやや尖っていた。
いつもと違い、魔道師の服ではなく、文官の制服を着ている。
しかし、その後ろには、典型的な魔道師の恰好をした人物が立っており、深々とフードを被っている。
そのことが、一層カルボンの機嫌を損ねた。
「どこの誰を連れて来たのか知らんが、今は忙しいのだ!」
クジュケが何か答える前に、後ろの魔道師がフードを脱いで顔を見せた。
見事な白髪であるが、灰色の瞳に計り知れない叡智を湛えている。
改めて、カルボンに挨拶した。
「失礼いたしました。総裁閣下。お初にお目に掛かります。かつてエイサの魔道師を束ねておりました、ケロニウスにございます」