121 ギータの後悔
紹介される前に自分の名前を言われたタロスも驚いたが、ギータというボップ族の情報屋を呼んだ当人のライナも、目を丸くしていた。
「どうしてギータがこの人の名前を知ってんのさ?」
ギータは、一瞬、しまったという顔をしたが、すぐに苦笑した。
「まあ、いいじゃろ。別にゾイアからは口止めされた訳じゃなし、当の本人には説明した方がいいと思う。だが、ライナよ、おまえには言わぬが花かもしれんぞ」
ライナは少し迷ったが、「いいわ、話してちょうだい。内容によっちゃ、お礼もするわ。とりあえず座って」と言って、ギータ用に極々小さな杯を持って来させ、泡の出る麦酒を注いだ。
それを一口飲んだだけで、ギータの皺だらけの小さな顔が真っ赤になった。
「ふーっ、わしには効き過ぎるようだ。これくらいで止めておこう。それにしても」
と、話し始めた。
見れば見るほどゾイアにそっくりじゃな。
あ、いや、本当は逆か。
まあ、よい、順を追って説明しよう。
さて、わしが聞いたのは、ゾイアが直接記憶していることと、後に他人から聞かされてゾイアが知ったことの両方が混じっている。
従って、必ずしも事実そのものではないかもしれぬことを、最初に断っておくぞ。
ゾイアが覚えている最初の記憶は、自分が獣の姿となって闘っているところであったという。
ああ、ライナは知らなかったな。
ゾイアは時々、獣になるんじゃ。
いやいや、譬えではない。本物の猛獣だ。
まあ、一とおり聞いてくれ。
ゾイアは、何故闘っているのか、誰と闘っているのかもわからず、唯只管に襲って来る相手を斃した。
まあ、相手の大半は、恐ろしがって逃げたらしいがな。
ところが、逃げずに残っている子供がいた。
金髪で青い眼をした少年じゃ。
近づくと剣を構えたので、本能的に襲い掛かろとした。
さあ、そこからがわしにもよくわからんのだが、突如、少年が少女に変わったという。
同時に、その掌から見えない波動が出て、ゾイアの巨体が吹き飛ばされた。
ほう。心当たりがあるようだな、タロス。
まあ、それで目が醒めたようになり、ゾイアは人間の姿に戻った。
すでに少年の姿に戻った相手も、ゾイア本人も、タロスの身体をゾイアの魂が乗っ取ったと思ったようだ。
目と髪の色が濃くなっただけで、身体はタロスそのものだとな。
実際には、おぬしを雛型に、同じ姿の人間が生み出された、ということかのう。
真相はわからんが。
そうか、その時おぬしは溺れて記憶を失くしていたのか。
だいぶ流されたのかもしれんな。
それを知らぬまま、ゾイアは、自分が救った相手が、滅ぼされた新バロード王国の王子ウルスと聞かされたらしい。
元々がタロスなら、引き続き自分を護って欲しいと言われ、何の疑問も持たず、ゾイアは引き受けた。
腐死者化した敵を凌ぎつつ、朝を待ってスカンポ河を渡り、辺境に至った。
そこへ偶々辺境伯の息子アーロンが通りかかり、ウルスを預けることになった。
途中で怪我をしたゾイアに吸血コウモリが寄って来たので、それを撒いてから合流するつもりであったらしい。
ところが、約束したクルム城に行ってみると、ガルマニア帝国に占領されており、ウルスはおろかアーロンもおらず、自分は囚われの身となった。
そこに『荒野の兄弟』が襲撃して来たため、ドサクサに紛れて逃げ出した。
その後、ゾイアはウルス王子との約束を守るため、情報を求めてわしのところへ来た。
報酬よりも、話そのものに興味を持ったわしは、全力で調べたよ。
だが、クルム城が二度も落城したため、情報が錯綜していた。
漸く北長城に逃れたとの消息を掴み、ゾイアに伝えたんじゃ。
ところが、ゾイアが出発して随分経ってから、北長城に入ったはずのウルス王子が、すでに早船で沿海諸国へ向かったとの情報が入った。
何とかゾイアに伝える方法はないものかと焦ったが、正規の経路ではなく、緩衝地帯を縫って進んでおり、どうしようもなかった。
風の便りに北方警備軍に入ったと聞いたから、あやつなりに思うところがあったんじゃろう。
程なく、ウルス王子が沿海諸国のカリオテ大公国に無事到着したとの情報も入ったからな。
そうか、おぬしはそこへ行くつもりなんじゃな。
それなら、少し待ってくれぬか。
いや、どうも、ゾイアの時のこともあり、おぬしがカリオテに着いたときに、肝心のウルス王子がいないとなったら、困るであろう。
最新の情報が間もなく入る手筈になっておる。
何故、わしがウルス王子の消息を気にするかというのかね?
ゾイアに知らせてやりたいからさ。
結果としてゾイアに無駄足を踏ませてしまったことへの、償いじゃよ。
ウルスが元気に暮らしておると聞けば、あやつも安心するだろう。
そこへ、さらにおぬしのことじゃ。
ゾイアは、知らぬこととは云え、自分がタロスの身体を奪ったのではないかと、えらく気にしておった。
こうしておぬしが生きていると知れば、どれほど喜ぶことか。
おお、そうじゃ、いっそ、わし自身が北長城へ伝えに行こう。
わしも、一度は北方を見てみたいしな。うん、それがいい。
酔いもあってか、いつになく燥いだギータは、ウルスの情報が入り次第知らせると言って帰って行った。
話の内容に衝撃を受けるかも知れぬとギータが心配していたライナは、逆に「ますますゾイアが好きになったよ」と喜び、分身ともいえるタロスに好きなだけ屋敷に逗留するよう勧めた。
だが、その三日後、蒼褪めた顔のギータが、ライナの屋敷に駆けこんで来た。
タロスを見つけると、動揺を隠さず、涙声で叫んだ。
「大変じゃ! ウルス王子はガルマニア帝国に拉致されたようじゃ!」