120 交差する糸
その頃、バロードを出たタロスは、一先ず自由都市サイカを目指していた。
少しでもウルスの情報が欲しかったのだ。
ベゼルから餞別としてもらった馬に乗り、緩衝地帯を南東に下って行った。
途中どこにも寄らなかったため、ニノフとボローが好意で用意してくれた食料と水が徐々に心細くなったが、それが底をつく前に、商人の都、サイカが見えるところまで辿り着いた。
都市をぐるりと囲む城壁に唯一ある門の前には、長槍と盾を持った門番が両側に立っている。
タロスは馬を下り、通行証を差し出した。
ニノフの口利きでバロード共和国が発行した、正式なものである。
門番がそれを検めていると、タロスの頭上から大きな声が聞こえて来た。
「おまえ、戻って来たのかい!」
タロスは驚いて上を見た。
アーチ状の門の上は矢狭間があり、さらにその上に門楼がある。
その門楼から突き出した露台から身を乗り出すようにして、一人の女がタロスに手を振っていた。
年齢の頃は三十代半ばほどであるが、身に纏っている真っ白な長衣は、身分の高さを思わせた。
遠目でも、キリリとした美貌の持ち主であることが見て取れる。
だが、すぐに女は自分の見間違いに気づき、「あら、ごめんなさい」と謝った。
「でも、ちょっとだけ話をさせておくれ。今下りて行くからさ」
そう言うと、女の姿が消え、バタバタと階段を走る音が聞こえた。
門番は飲み込み顔で、「どうぞ、中にお入りください」と丁重に招き入れた。
訳もわからぬまま、タロスが門を潜って中に入ったところへ、ちょうど女が階段から下りて来た。
女は失礼な程まじまじとタロスの顔を見つめ、「なんと、まあ」と声を上げた。
「まるで双子のようだね、こりゃあ。目の色と髪の色は違うけどさ。ああ、ごめんよ。まだ名乗りもしていなかったね。わたしはライナ。この街を仕切ってる女さ。あんたは?」
「タロスだ。わたしに似ているというのは、闘士のガイアックという男のことだろうか?」
「ううん、違うよ。わたしの知ってるのはゾイアって男さ」
「すると、ニノフが言っていた、北方警備軍の男かな」
ベゼルから聞いた自分が闘った相手のガイアックという闘士と、ニノフの窮地を救ったゾイアという千人長は、タロスの中では結びついていなかった。
「へえ、そんなに何人も似た男がいるのかい? だったら、一人ぐらい、わたしの婿になっておくれよ」
タロスの驚いた顔を見て、ライナは吹き出した。
「冗談だよ。立ち話もなんだ。ちょっと飲みながら話そうじゃないか」
馬を門番に預けさせられて、強引に屋敷まで引っ張って行かれた。
応接間に座らされ、薬草茶でも飲ませてくれるのかと思いきや、出てきたのは泡立つ麦酒であった。
「いや、これは」
タロスが断ろうとするのを、「別に、酔わせて手籠めにしやしないよ!」と、豪快に笑い飛ばされた。
「そんなことより、あんたがサイカに来た理由があるんだろ? 場合によっちゃ、相談に乗るよ」
そう言うと、自分から先にグッと麦酒の杯を空けた。
タロスは迷ったが、相手がこのサイカの実質的な支配者であることは、周りの人間の対応を見てよくわかった。
覚悟を決めて、自分も麦酒を飲み干した。
ライナは、「おお、いい飲みっぷりじゃないか!」と喜び、お代わりを持って来させた。
さらに一杯ずつ飲んだところで、タロスは徐に切り出した。
「実は、人を探している。十歳の金髪の少年だ。瞳はコバルトブルー」
麦酒の杯を口に近づけていたライナの手が、ピタリと止まった。
また、タロスの顔をジロジロと見た。
「あんた、本当にゾイアじゃないんだね?」
タロスは苦笑して、「そのつもりだが」と答えた。
ライナは天井を見上げて、「偶然にしちゃ、出来過ぎだね」と独り言のように呟いたが、応接間の外に向かって「ちょっと、誰か!」と叫んだ。
如何にも用心棒という風体の男が駆け込んで来て、「姐御、どうした!」と言うや、タロスを睨んで、剣の柄に手を掛けた。
「馬鹿、勘違いするんじゃないよ。頼みがあるから、呼んだのさ。一っ走りして、ギータを連れて来ておくれ。愚図愚図言うようなら、今後の商売を考えさせてもらうよって、脅かしな!」
「承知!」
タロスは不審な顔で、「ギータとは、誰だ?」と訊いた。
「情報屋さ。ゾイアから同じような依頼を受けたらしい。あんたと何か繋がりがある気がする。尤も、情報屋だから、金を払わないと詳しいことは教えちゃくれない。だから本人を呼ぶのさ」
やがて、情報屋のギータがやって来た。
タロスはボップ族とは聞いていなかったため、最初は子供かと思ったが、顔に皺の多く、寧ろ老人のようだった。
その一方、目がクリッとして黒目勝ちなため、幼くも見える。
無理やり連れて来られたらしく、不機嫌な顔であったが、こちらを見てパッと表情が変わった。
「おぬしは、タロスだな?」