118 密談(3)
立ち上がって再び掌を突き出そうとするウルスラを、ブロシウスは「よせ! 人を呼ばねばならなくなるぞ!」と止めた。
ウルスラも、今のこの姿を人前に晒す愚を悟り、意識的に呼吸をゆっくり整え、「もう、大丈夫よ」と椅子に座り直した。
ブロシウスはホッとしたように微笑んだ。
「やれやれ、さすがに若いのう。この短い時間で理気力が回復したのだな。わしも波動そのものの力では負けぬつもりだが、今はまだ全力では打てぬ。しかし、ここでわしが怪我でもすれば、困るのはおまえじゃぞ」
ウルスラは、いつも以上に静かな声で「わかってるわ。話を続けてちょうだい」と促した。
ブロシウスは両方の眉を上げ、「よいのか? ここからは、本来、子供に聞かせるべきではない話となるが」と、らしくもない念を押した。
ウルスラは、平静に「諄いわ」とのみ答えた。
「ならば、続けるが、聞き辛いところは、聞き流してくれ」
おまえも知っておるだろうが、千年前に古代バロード聖王国が滅んだ後、王家の子孫はエイサの中の直轄領、通称バローニャに移り住んだ。
勿論、最早王ではなく、正式にはバローニャ公ということになった。
公爵と言っても、実質は居候さ。
明け透けな言い方ですまんがの。
それでも、細々と血脈は繋がれておったが、おまえの祖父であるピロスが身罷った時に、断絶の危機が訪れた。
妃の生んだ三人の男子が、ピロスと相前後して亡くなっていたからだ。
一人は流行り病、一人は喧嘩沙汰、そして最後の一人は自殺であった。
そこで、本来なら跡継ぎになれるはずもない落とし胤の四男、即ちカルス王子にお鉢が回って来たのだ。
すでに成人しておったが、それまで誰も注目しておらなんだ。
母親は旅の舞姫であったというが、出産後すぐに姿を消したため、今でも詳しいことは何もわかっておらぬ。
魔族ではないか、というのは噂に過ぎん。
もし、王国の後継者ということであったなら、到底認められなかったであろう。
しかし、たかが荘園一つしか持たぬ公爵であれば、血を絶やさぬことが最優先と見做されたのだ。
ところが、このカルスという庶子は、亡くなった兄たちと違って、とんでもない傑物であった。
あれよあれよという間に新バロード王国を建国し、王となった。
そして、即位と時を同じくして、エイサに『アルゴドラスの聖剣』を渡すように命じて来たのだ。
長老たちは即座に断った。
理由は、もうわかったろう。
直接かれが手を下したのではあるまいが、父親と兄三人の都合の良過ぎる死といい、そもそもピロスの子を宿すのが目的で近づいたらしい舞姫といい、何らかの陰謀があったとしか思えぬ、という理屈だ。
当初、怒りを露にしたカルス王だったが、自分が信用されていないからだと思い直したらしく、一人息子、ではないが、まあ、いいだろう、子供をエイサに留学させたりして、関係改善を図っていた。
さすが、殆ど独力で王国を再興した男、決して焦りは見せず、国力の充実を最優先に努力していた。
わしも、何度か新バロード王国の軍師になろうかと考えたよ。
しかし、どうも違うのだ。
カルスの目は中原ではなく、北方に向いていた。
中原の統一を目指すとは言うものの、それは、北方との戦の準備のためだという。
わしは、早々に見切りをつけ、その頃急成長して来たガルマニア帝国に接近した。
後は、まあ、知ってのとおりだ。
一言だけ弁明させてもらうと、新バロード王国の反乱はわしが唆したわけではないぞ。
あれは、勝手にカルボンが寝返って来たのだ。
尤も、それを好機と見て、エイサの焼き討ちを決め、同時に聖剣の託し先となりそうな辺境伯のクルム城を攻めさせたのは、このわしだがな。
ところで、ここだけの話だが、ゲールのやり方では、ガルマニア帝国はあと何年も続くまい。
恐怖だけでは、人はついて行かぬ。
宰相ザギムの謀叛が良い例じゃ。
そこに追い討ちをかけるようなシャルム渓谷の敗戦もあり、じわじわと同盟国の中に離反する動きが拡がっている。
しかも、劣勢を跳ね返そうと、ゲールは暗黒帝国マオールへ接近を図り、その布石として、チャドスを宰相に据えた。
庇を貸して母屋を取られねば良いがな。
だか、まあ、そうはなるまい。
今カルボンが持っている『アルゴドラスの聖剣』を取り戻しさえすれば、一挙に逆転できるはずだからな。
何故なら、わしらには、おまえがいるからだ。
聖剣は、聖王アルゴドラスの血筋を引く人間にしか使い熟せぬらしいではないか。
カルボンは自分も遠い親戚だから何とかなるはずと思ったようだが、如何せん、血が薄すぎたようだ。
さあ、そこで、話は最初に戻る。わしから、おまえに頼みたいことがあるのだ。
「わたしに頼みとは?」
ウルスラがそう訊くと、ブロシウスはグッと歯を噛みしめて、その隙間から押し出すように答えた。
「いずれその時が来たら、わしはゲールを倒して帝国を乗っ取る。そして、聖剣も手に入れ、中原を統一するつもりだ。その際、わしの味方となって欲しいのだ!」