116 密談(1)
ウルスは、少し震える声で問い返した。
「どういう意味でしょうか?」
ブロシウスは上機嫌のまま、軽く首を振った。
「いやいや、惚けずともよいではないか。カノンがバロードより知らせて来たのだ。しかし、事は極めて重大。まだ誰にも知らせるなと言って置く故、心配することはない。無論、皇帝陛下にも、な」
最後の方は、ノスフェルに言い聞かせているかのようである。
ブロシウスが腕を上げ、「今申したこと、戻って伝えよ」と命じると、ヒラヒラと飛び去った。
唇をきつく結んで、頑なに一言も喋るまいとしているウルスに、ブロシウスは皮肉な笑みを浮かべた。
「ほう。この期に及んで、まだ弟君の後ろに隠れておるつもりかの、王女殿下?」
この言葉に、ウルスの顔色が変わった。ガクンと俯くと、すぐに顔を上げた。
コバルトブルーの瞳が、限りなく灰色に近い薄いブルーに変わっており、頬から顎にかけて女性らしい柔らかな輪郭となっていた。
だが、その口から飛び出す言葉は、激越であった。
「この無礼者め! わたしを愚弄するのか!」
次の瞬間、両者はほぼ同時に掌を突き出した。
互いに見えない力が迸り、空中で激突した。
二人の真ん中辺りでパーンという大きな音が響き、周辺に小さな旋風が幾つも発生した。
ブロシウスは、「ほう」と感嘆の声を上げ、ニヤリと笑った。
「手加減しなくてよかったわい。さすがにバロード王家の血筋、侮れぬな」
だが、ウルスラの方は、まだ怒りが治まらない。
「わたしは臆病者ではない!」
ブロシウスは、孫のご機嫌を損ねてしまった祖父のように苦笑しながら、皺ばんだ顔をツルリと撫でた。
「まあまあ、そう熱くなるな。おまえと話がしたくて、少し揶揄ってみたんじゃよ。カノンから、おまえの気性についての情報も入っていたのでな。ああ、それから、わしの部屋は厳重に結界が張ってある。どんな魔道師にも、盗み聞きされる心配はないぞ。さあ、お互いざっくばらんに、腹を割って話そうではないか」
ブロシウスはそう言いながらも、ニノフとタロスのことについては噫にも出さなかった。
ウルスラはまだ警戒心を解かなかったが、怒りは急速に静まったようだ。平静な声で尋ねてきた。
「この話、誰から聞いた?」
ウルスラの対応の仕方をブロシウスは気に入ったらしく、「良き哉、良き哉」と褒めた。
「高い自尊心を保ちながらも、常に状況を把握する冷静さと、今何を為すべきかの判断力を併せ持つ。正に、王の、いや、女王の資質があるのう」
「戯言は、もうよい。誰が言ったのかと訊いている」
腹を割って話そうと言った舌の根も乾かぬうちに、ブロシウスはアッサリ断った。
それは言えぬな。
但し、本人の名誉のために言わせてもらえば、よもや聞かれたとは思っておらぬだろう。
普通の家の壁など、上級の魔道師には薄絹のようなもの。
おまえも、知っておろう。
いや、そうでもないか。
今思い出したが、ケロニウスと訣別する前、あやつの弟子の中に、特例として貴族の娘がいると聞いたことがある。
その娘は荒っぽい魔道が好みで、盗み見や盗み聞きなどの間者の技を毛嫌いしていると、あやつが嘆いておった。
成程のう。
あれは、おまえのことであったか。
すっかり冷静さを取り戻したウルスラは、ブロシウスの想い出話を遮った。
「わたしのことなど、どうでもよい。それで、いったい何を話したいというのだ?」
ブロシウスは狡そうに微笑んだ。
「勿論、中原の未来について、さ。わしの悲願である、中原統一への道筋をどうつけるのか。そのことよ。まあ、立ち話もなんじゃ、座って薬草茶でも飲もうではないか」
「要らぬ」
何を飲まされるかわかったものではないから、茶は断った。
ブロシウスも苦笑して、それ以上無理強いはしなかった。
ウルスラは用心しながらも、ブロシウスに続いて執務室の奥の客間に入り、ゆったりした椅子に向かい合って座った。
ブロシウスは「暫し待て」と言って自分用の薬草茶を持って来て、一口飲んだ。
「うむ、うまいのう。歳を取ると、身体に潤いがなくなる。よって、すぐに喉も渇くのだ。おまえは、毒でも飲まされるかと懼れているようだが、わしはただ自分が飲みたいだけさ」
ウルスラは少し苛立って、「話は何だ?」と急かした。
ブロシウスはカップをテーブルに置き、頷いた。
おお、そうであったな。
どこから話すかのう。
うむ、そうじゃな。
わしは最初、ウルス王子を操っておるのは、てっきりケロニウスだと思い込んでおった。
であれば、どうやって王子と連絡を取っているのかと思い、ずっと探っていた。
ところが、連絡どころか、ケロニウスの影も形もない。
すると、ウルス王子とは、凡人に見せかけているが、本当は傑物なのではないかと疑った。
ところが、どう見ても頼りない十歳の少年に過ぎん。
まあ、その方がわしにとっては都合がいいのだが。
しかし、カノンの報告を聞いて、ああ、そういうことだったのかと、腑に落ちたよ。
待ちきれずに、再度ウルスラの方から訊いた。
「いったい、何が言いたいのだ?」
ブロシウスは、笑みを消し、真面目な顔になった。
「どうだ、王女、わしと手を組まぬか?」