114 既視感
「条件は、ここで模擬試合をやっておれに勝つことだ!」
飛び掛かるベゼルに対し、タロスは力まずにサラリと流して距離を取った。
自然に闘う態勢に入ったため、ニノフもボローも止める暇もなかった。
ベゼルは、ティルスとは何度か素手の模擬試合をしたことはあるが、記憶を回復したタロスの技量は、それ以上であった。
大柄の割に手数の多いベゼルの打撃を悉く受け流し、一発も有効打を入れさせない。
ならばと、膝から入る速くて高い蹴りで頭を狙っても、ギリギリで見切られて、頭を下げて躱される。
その脚が通り過ぎてガラ空きになった背中を、ドンと掌底で突かれ、「あっ」とたたらを踏んだ。
ベゼルは、辛うじて踏み留まり、振り返って「この野郎!」と叫ぶと、タロスに向かって猛然と突進した。
タロスは、半眼となって、フッと腰を沈めた。
突っ込んで来るベゼルの勢いを殺さぬように襟首を掴み、仰け反るように倒れながら、両足でドンと相手の胸を蹴り上げた。
ベゼルの巨体が宙を舞う。
そのままクルリと回転し、背中から地面に落ちた。
「うげっ!」
勿論、下が柔らかい土の部分を選んで落とされたため、怪我はない。
それでも、ベゼルは動けずに呻いている。
が、その表情は、何か吹っ切れたように爽やかだった。
投げ飛ばしたタロスの方が、何故か呆然としていた。
「今の技は、前にも……」
倒れたままのベゼルが、首だけ上げて、ハッとしたようにタロスの顔を見た。
「おい! 何か思い出したのか?」
だが、タロスは小さく首を振り、「あ、いや、思い出した、という程ではないが」と言って、微笑んだ。
「何だろう。あんたの身体を投げる時に、以前にも同じことがあった、というハッキリした感覚があった。不思議と、懐かしい感じがしたよ」
ベゼルは、漸く上半身だけ起こし、「そうか、そうなんだな」と頷いた。
目が薄っすら潤んでいたが、グッと堪え、「約束だ。遠慮なく出発してくれ」とややぶっきらぼうに言うと、また寝転んで空を見た。
自分が闘っているように力を込めて試合を見ていたボローは、潤んで来た目を激しく瞬きながら、「仕方あるまいなあ」と言って、ベゼルを助け起こしに行った。
「ちょっと待て!」
ニノフがそう言ったため皆ギクリとしたが、ニノフの視線は表通りに向いていた。
そこには、ゆったりした襞のある服を着て、特徴のある尖がった帽子を被り、手に小さな竪琴を持った男が立っていた。
典型的な吟遊詩人の恰好である。
「おまえ、そこで何をしている?」
吟遊詩人は丁寧に頭を下げた。
「大変失礼いたしました。そちらのお二方の闘いがあまりにも見事で、見入っておりました。宜しければ、お礼に一曲奏でますが?」
「要らぬ。これをやるから、ここから去れ」
ニノフは、懐から銅貨を一枚出して与えた。
「おお、ありがとうございます」
銅貨を押し頂くと、相手の気が変わらぬうちにと逃げるように、立ち去った。
「どうした? 怪しいやつか?」
ベゼルを抱え起こしたボローが尋ねたが、ニノフは首を振った。
「大丈夫だ。もしや間者かと思ったが、全く殺気がないし、極々平凡な吟遊詩人だった。それより、せめてタロスどのの出発前に、おれたちで壮行の宴をやろうじゃないか。タロスどの、それくらいの時間はいいだろう?」
タロスは心から嬉しそうに、「是非とも」と笑った。
更に、ベゼルに向かって、「わたしが『荒野の兄弟』でどういう暮らしをしていたのか、詳しく教えてくれぬか」と頼んだ。
ベゼルはニヤリと笑って、「いいとも。よーし、今日は飲むぞ!」と張り切ったが、背中を伸ばすと「あ、痛て」と声を上げた。
皆が一斉に笑う声が通りに響いたが、そのすぐ裏には、まだあの吟遊詩人が立っていた。
髪も目も茶色という以外、際立った特徴のない平凡な容貌をしている。
普通の服を着て群衆に紛れれば、まず見つからないであろう。
吟遊詩人は、懐から黒い塊を出した。
フッと息を吹きかけると、塊が解けて一匹のコウモリとなった。
吟遊詩人は、ノスフェルに向かってヒソヒソと何事かを囁いた。
「よいな。このこと、必ずブロシウスさまに伝えるのだぞ」
その言葉がわかったのか、ノスフェルはヒラヒラと飛び立った。