112 本心
タロスの険悪な態度に、言うべき言葉を失ったベゼルに代わり、落ち着いた声でニノフが応じた。
「別に騙したつもりはない」
「では、これは何だ!」
タロスは、細剣を持っていない方の手で、ニノフの書見台の上から書類を取った。
そこには、出動命令書という文字が見える。
「この署名は、あの裏切り者、カルボン卿のものではないか! しかも、肩書きはバロード共和国総裁となっているぞ! あやつは、遂に国を乗っ取ったのか!」
タロスの剣幕に動じることなく、ニノフは極めて冷静に説明した。
「誤解されないよう、時間をかけて説明するつもりだった。確かに、カルボン卿は王家を裏切り、この国は一旦はガルマニア帝国傘下の自治領となった。しかし、その後、ガルマニアとは袂を分かち、独立して共和国となった。今はまだ弱小だが、周辺の諸国などと協力し、ガルマニア帝国の中原制覇に抵抗し続けている。これから着々と国力を充実させ、いつの日かガルマニアの野人どもをガルム大森林へ追い返すつもりだ」
「世迷い言をいうな! 無念の死を遂げられた国王陛下のことも、流浪の身となられた王子殿下のことも、全ての元凶は、裏切り者のカルボンではないか! その悪逆非道のカルボンが統治するバロードなど、最早わが祖国ではない! この生命ある限り、必ずや裏切り者のカルボンに鉄槌を下す!」
そのまま飛び出して、カルボンに復讐しに行くのではないかというほど激昂しているタロスに、ニノフは一歩も退かず、恐るべきことを告げた。
「カルボンは、いずれ、おれが斃す。それまで待て」
これには、後ろで成り行きを見守っていた副官のボローが蒼褪めた。
「将軍、それを言っては……」
ニノフは皮肉な笑みを浮かべた。
「良いではないか。タロスどのに、こちらの真意をわかってもらうためだ。おまえたちには、あからさまに言ったことはないが、薄々察していただろう。これが、おれの本心だ」
だが、二人のやり取りを聞いて、タロスは嘲笑った。
「裏切り者は、必ず自分も裏切られるものよ。まあ、精々悪党同士で共喰いするがいい!」
侮辱するような言い方に、ニノフを想う気持ちが強いボローが反発した。
「無礼なことを言うな! ニノフ将軍は、あんな下種とは違う! そもそも、この国を治める正当な権利を持つお方なのだ!」
意味がわからず、タロスは不審な顔になった。
「正当な権利?」
「そうとも! ニノフは、先王カルス陛下の落とし胤なのだ!」
タロスは顔を歪めて、激しく首を振った。
「嘘だ! ウルス王子には、ウルスラ王女以外の同胞など……」
しまったという顔で口を噤んだタロスを見て、ニノフはハッと驚いた顔になり、「ああ、やはり、そうなのか」と呟いた。
ニノフは振り返ると、「ボロー、ベゼルどの、すまないが、暫くタロスどのと二人にしてくれぬか」と頼んだ。
「いかん! おまえの身が危険だ!」
顔色を変えるボローに、ニノフは微笑んで見せた。
「心配ない。何かあれば、自分の身ぐらい護れる。おれは将軍だぞ」
「しかし」
猶も反対しようとするボローを、ベゼルが止めた。
「ボローどの、少し外に出よう。おれも、ティルスのあんな姿を、これ以上見たくない」
ベゼルはそう言って、溜め息を吐きながら、先に稽古場から出て行った。
ボローは迷いながらも、「何かあったら、必ず呼んでくれ」と告げ、ベゼルに続いて外に出た。
二人がいなくなった後の扉をキッチリ閉めると、ニノフは、何故か嬉しそうな笑顔で、「さて」とタロスに話し掛けた。
「言葉は虚しいもの。おれがいくら先王の血筋だと言ったところで、信じられぬのも無理はない。正直に言うと、自分でも半ば疑う気持ちもあったのだ。しかし、先程のおぬしの言葉で確信した。間違いなく、おれとウルス王子は兄弟だ」
「ふざけるな! どこにそんな証拠がある!」
タロスは、自分の愛する王子を馬鹿にされたと思うのか、一向に怒りが治まらない様子である。
「証拠は、これだ」
そう言うと、ニノフは目を閉じて俯いた。
再び顔を上げて目を開くと、コバルトブルーだった瞳の色が限りなく灰色に近い薄いブルーに変わっていた。
面差しも全体に女性的になっている。
その口から出る言葉も、明らかに女性の声であった。
「初めまして、タロスさま。ニノフの妹のニーナにございます。どうか、兄の話をお聞きください」