110 帰還
「どうした、ペテオ、何があったのだ!」
異変を察知したゾイアが、最後尾から呼び掛けた。
声が隧道の中を木霊する。
「何か変な音が聞こえるんで、ロックが一人で見に行っちまったよ!」
「それは危険だ! おまえもすぐに行ってくれ! われもすぐに追いつく!」
アーロンが、「馬が邪魔になるだろうから、ゾイアは待っていろ! わたしが行く!」と叫び、すぐ後ろのマーサ姫に、「すまんが、この馬も頼む」と手綱を渡そうとした。
だが、マーサ姫は、逆に自分の手綱を差し出した。
「わらわの方が小柄故、隧道を進み易いかと」
ところがその間に、馬組の先頭にいたレナが「ウマニ、ノル!」と宣言して、自分の引いている馬に乗って走り出した。
驚いたのはペテオである。
「おい! 無茶をするな!」
迫って来る馬を避けるため、隧道の壁面に張り付いた。
その横を、馬の腹が擦るように通り過ぎたが、馬はすぐに立ち止まって嘶いた。
「ドシタ? ナニ、コワガッテル?」
レナが前を見ると、丁度隧道の脇道の方からロックが出て来るところだった。
少し、ぼんやりした表情をしている。
「おお、どうした? ビックリするじゃねえか、急に飛び出して行きやがって!」
ホッとしたように話し掛けるペテオの顔を見て、ロックはハッとしたように、「あ、ペテオ!」と驚いた表情をした。
「そうとも! どうした、頭でも打っちまったか?」
ロックは、こちらに歩きながら「それが、自分でもよくわからないんだ」と喋り続けたが、だんだん意識がハッキリして来るようであった。
「変な音がすると思って、こっちの細い道を走ってたんだけど、途中で気を失ったみたいで、気がついたら倒れてたんだ。目の前の道は壁が崩れて塞がってて先に進めないから、こっちに戻って来たんだけど、思ったより遠かった。おいら、そんなに走ったのかな?」
「ワルイクウキ、スッタノダ」
レナが馬から下りて、そう断言した。
「悪い空気?」
「ソウダ。イシアブラデルトコ、トキドキ、ワルイクウキモ、デル」
恐らく、有毒ガスのことであろう。
「ワルイクウキスウト、キ、ウシナウ。マタハ、オキテテ、ヘンナユメ、ミル。サイゴ、シヌ」
漸くマーサ姫を説得したらしいアーロンが、近くに来ていた。
「それはいかんな。引き返した方がいいかもしれん」
しかし、やり取りが全部聞こえているらしいゾイアが、「戻るのも危険は同じだ。脇道ではない方を進もう。早く外に出た方がいい」と提案した。
アーロンは少し考えたが、「そうだな。では、今度はわたしが先頭を行こう。ペテオ、わたしが引いていた馬を頼む」と告げ、ペテオから松明を受け取ると、先に進み始めた。
やがて、再び道が分岐している箇所に出た。
真っ直ぐ進む緩い上り坂と、右に曲がって下る道である。
アーロンは、誰にということなく「どう思う?」と訊いた。
「ちょっと、待っててくれ!」
そう声を掛けたのは、最後尾のゾイアである。
先に進んでいる者たちと馬の横をすり抜け、先頭に出て来た。
両方の道をジッと見ている。
「うむ。間違いないと思うが、念のためだ」
そう言って、右に下る方の道に松明を差し入れた。
ゆらゆらと炎が揺らぐ。
次に、正面の上り坂の方へ差し出すと、炎は、殆ど動かなかった。
「見てのとおり、右に下る方は、外が近い。ところが、正面は出口までかなり遠いようだ。中原の『暁の軍団』の砦までの距離を考えると、正面が本来の道だろう。では、右の方はどうかといえば、非常用の避難路だと思う。正面を進んで敵のど真ん中に行く必要はないし、凡そのことはわかったから、右から出て良いのではないかな」
アーロンも「成程」と納得したが、マーサ姫は少し不服そうな顔をした。
アーロンがゾイアの言いなりになっているのが、面白くないようだ。
尤も、ゾイアの意見に反対する程の理由はないから、黙って右の道を進んだ。
ゾイアの判断が正しかったことは、すぐに明かるい光が見えて来たことで証明された。
「おお、外に出られるぞ!」
先頭のアーロンが叫ぶと、歓声が上がった。
皆の足が速まり、隧道の出口から順次外に出た。
「ひぇーっ、眩しい!」
目を押さえて燥ぐロックに、笑いながらペテオが、「うんと空気吸っとけよ!」と声を掛けた。
少しは体調を心配していたらしい。
ゾイアとアーロンは、並んで周辺を確認していた。
「向こうに、薄っすらスカンポ河が見えるな」
アーロンが手で庇を作り、日差しを和らげながら、遠くを眺めて、そう言った。
既に目が慣れたらしいゾイアも、そちらを見て頷いた。
「ああ。それだけではない。その手前に街並みがあるが、あれは、恐らくリード湊だ」
「そこまでわかるのか!」
「他人より目がいいのでな。蛮族の帝王カーンが、最初にリードを狙ったのは、いざという時に避難路を塞がれないためだろう」
「おお、そういうことか」
その時、「アーロンさま、馬が腹を減らしております。早く参りましょう!」とマーサ姫が急かせた。
「そうだな。一先ずリードへ行き、船で辺境に戻ろう」
レナが「ワタシ、イッショ、イク!」と、アーロンの腕を掴んだ。
困り顏のアーロンと、怒った顏のマーサ姫を見て、ゾイアは久しぶりに声を上げて笑った。
機動軍の練兵を終え、自宅兼稽古場に戻ったニノフは、最近いつもそうするように、まず客間を覗いた。
すると、まだ寝ていると思った相手が、珍しく起きているのに驚いた。
「ティルスどの、起きて大丈夫なのか?」
ところが、相手はニノフの顏がわからないらしく、不思議そうに周囲を見回した。
半分開いた窓から、外の様子を見ていたが、振り返るとニノフに尋ねた。
「ここはバロードのようだが、おぬし、ウルス王子が、今どこにおられるか知らぬか? いや、そもそもご無事なのか?」