99 探索行(2)
ゾイアと一緒に北方を探索したいとのアーロンの言葉に、それまで和かに二人の会話を聞いていたマリシの方が顔色を変えた。
「な、何ですと! それは、なりませぬ!」
マリシの反応は予想していたらしく、アーロンは「お許しあれ」と頭を下げた。
「わたしは辺境伯として、北方蛮族を中原に侵入させた責任を取らねばなりません。そのためにも、一度北方を直に見る必要があるのです」
マリシは豪傑めいた顔をクシャクシャにして、その場に平伏した。
「申し訳ござらん。わが北方警備軍が不甲斐ないばかりに、閣下にそのような思いをさせてしまうとは。この上は、この老体に鞭打って、北方探索に行って参る所存!」
「どうか、お顔をお上げください、将軍」
形の上では臣下とはいえ、半ば独立した勢力である北方警備軍の将軍には強引に命令することもできず、困っているアーロンを救ったのは、扉の外からの声であった。
「父上、わらわが代わりに行って参りますわ」
入って来たのは真っ赤な鎧に身を包んだ、マーサ姫であった。
兜は被っていないため、見事な金髪が胸の辺りまで伸びている。
今度はアーロンが「折角ながら」と断ろうとしたが、マーサ姫は皮肉な笑みを浮かべて反論した。
「あら、何故ですの? 剣の腕なら、そこにいる千人長と互角と自負しておりますわ。それに、剣に頼らずとも、好きな男につれなくされれば、わらわとて獣に変化するやもしれませぬぞ」
父親のマリシが「こ、これっ、ご無礼だぞ!」と横から窘めた。
複雑な感情が絡まり、話が拗れるかと見えたが、そうはならなかった。
その場の空気など忖度せず、ゾイアが「どなたが行ってもよいが、総勢五人までだな」と宣言したのである。
「実は、アーロン閣下に言われる前に、われも北方探査の必要を痛感し、準備しているところであったのだ。だが、こちらの動きを蛮族に気取られてはならぬから、それ以上の人数ではまずい。われとペテオ以外、気の利いた兵を三人連れて行くつもりであった。閣下と姫がご参加ならば、あと一人を人選するとしよう。但し、目的は探索故、決して相手を挑発せぬようお願いする。よって、姫は地味な服に着替え、その目立つ御髪は隠していただく。それで宜しければ、ご同行願おう。出発は明日早暁だ」
呆気にとられた三人だったが、最初にマーサ姫が笑い出し、つられてアーロンも笑うと、さしものマリシも泣き笑いのような表情で認めざるを得なかった。
一応の段取りを決めた後、ゾイアが兵舎に戻ると、最後の一人に、強引にロックが立候補してきた。
これには、ペテオが猛反対した。
「辺境伯閣下と姫御前は、まあ、仕方ない。おれも断り切れない恩や義理がある。しかし、おまえは駄目だ。自分の身を護れないような人間を、北方に連れては行けぬ!」
当然、ロックは反発した。
「冗談じゃねえよ! おいらとおっさんは、あのクルム城が落城した時に二人して脱出して以来の仲なんだ。どんな困難だって、共に乗り越えて来たんだぜ。昨日今日の付き合いのおめえとは違うんだよ!」
二人の対立も、結局は、ゾイアの裁定に委ねられた。
「ペテオの心配もわかるが、ロックは数々の戦場を生き抜いたコソ泥だ。抜群の勘と比類ない運の良さを持っている。それに、正規の兵士たちの知らぬような妙な知識もある。同行させて、損はないと思うぞ」
鼻高々のロックから、ペテオは顔を背け、「ふん。千人長がそう言うなら、もう反対はしないが、この先何かあっても、おれはこいつを助けねえぜ」と吐き捨てるように告げ、準備がまだ終わってないからと出て行った。
「ありがとな、おっさん!」
喜ぶロックに、ゾイアは「ペテオにはああ言ったが、自分の身は自分で護れよ」と念押しをして、ペテオを追うように出て行った。
一人兵舎に残ったロックは目を瞑り、再び開けた時には、目全体が真っ赤に光っていた。
「滅多になき機会を得たものよ。もしかすると、白魔に出会えるやもしれぬぞ」
両方の口角をキュッと上げて笑うと、懐から小さな紙切れを取り出した。
そこに携帯用の羽根ペンで【明日より、北方へ行く】と書きつけた。
その紙を小さく丸めて掌に乗せ、ヒューッと口笛を鳴らすと、どこからともなくコウモリが飛んで来て、紙を脚で掴み取り、ヒラヒラと何処かへ飛び去っていった。