98 探索行(1)
「やはり、おかしい」
そう言ったのは、スカンポ河東岸の湊町全てに一通りの防衛態勢を整え、北長城へ帰還中のゾイアであった。
ヨゼフが造った例の箱のような形の船に乗っている。
すでに日が暮れかけていた。
「何がだ?」
聞き返したのは、千人長となったゾイアの副官に昇進したペテオである。
それに伴って、伸び放題だった黒髭を、見映えよく刈り込んでいた。
但し、ゾイアから対等に話すよう言われているため、今でも言葉遣いは同僚だった頃と変わらない。
ゾイアは、夕日に照らされる眼下のスカンポ河を見渡しながら、自分の懸念を説明した。
「うむ。あのリード湊の攻防には何とか勝利したが、当然、第二波、第三波の攻撃があるものと考えていた。それが、一向に動きがない」
ペテオは肩を竦めた。
「そりゃあ、ビビってるんだろうさ。これだけの厳戒態勢だからな。制河権は完全にこっちが握ってる。蛮族には、これを突破する程の船はないだろう」
「それはそうだが、何か重大なことを見落としている気がしてしょうがないのだ」
その時、ふと中原側の対岸に目を向けていたペテオが、「おや?」と声を出した。
「どうした、ペテオ。敵か?」
ペテオは苦笑して首を振った。
「驚かせてすまん。向こうに篝火が見えたが、だいぶ内陸の方だ。随分高いところにあるから、遠くまで見えているだけさ」
「何っ!」
何故かゾイアは顔色を変え、ペテオが篝火と言った光を見た。
「あそこは、確か『暁の軍団』の砦がある辺りだ。夕暮れ時にこの距離まで見えるとは、尋常ではない。夜ともなれば、相当遠くからでもわかるはずだ。うーむ、何かある」
「灯台みたいだな」
何気なく言ったペテオの一言に、ゾイアはハッとした。
「そうか! 目印だ!」
「目印?」
「うむ。遠くから来る者は、あれを目指せばよい。つまり、移動は夜ということだ」
「はあ? 夜の間にこのスカンポ河を渡ってるっていうのか? いくらなんでも、あの光じゃ河面まで照らすのは無理だぜ。真っ暗闇の中を、この広い河を渡り切れるもんじゃねえよ」
「いや、そうではない。移動は徒歩だろう。昼間こっそり河を渡り、夜を待ってあの光を目指して歩くのだ。当然、少人数だ。もしかしたら、一人ずつバラバラかもしれん」
「こっそり渡るっていったって、夜中だって、一応おれたちの仲間が見張ってるんだぜ」
「ああ、無論、ここでは無理だ。河幅が広いし、人食いザリガニも多い。だが、もっと上流なら」
そこまで言って、さらにゾイアはアッと声を上げた。
「われとしたことが、やはり蛮族と見て侮っていたのか。橋だ! 恐らく、上流に橋を架けたのだ」
ペテオは、「そんな馬鹿な」と呆れた顔をした。
「たとえ上流に橋を作ったとしても、渡った先は、すぐにベルギス大山脈だぜ。河のすぐ傍まで山が迫ってるぞ」
ゾイアは悩ましげに首を捻っていたが、「まさか、とは思うが」と唇を噛んだ。
「隧道を掘ったのかもしれん」
「隧道って何だ?」
「山に穴を掘り、通した道のことだ」
つまり、トンネルのことである。
ペテオは、お手上げだというふうに手を拡げ、「おれにはわからん」と両方の眉を上げて見せた。
「と、いうか、おまえ、なんでそんなことまで知ってるんだ?」
ゾイア自身もわからないらしく、苦笑している。
「ここで議論しても始まらんな。われも河の向こうにばかり目が行って、北方警備軍の本来の役目を忘れていたようだ」
「本来の役目?」
「そうだ。北方の哨戒だ。戻り次第、マリシ将軍にお願いして、スカンポ河上流域の探索に向かうことにする」
ペテオもニヤリと笑い、「理屈はよくわからんが、おれも行くぜ、千人長!」とゾイアの肩を叩いた。
北長城に戻り、マリシ将軍を探すと、来客中だという。
しかも、その客がゾイアに会いたがっていると、伝えられた。
ペテオに探索の準備を任せ、ゾイアは長城内の将軍の執務室を訪ねた。
「ゾイア千人長、只今帰参仕った!」
「おお、ゾイアか。構わん、入ってくれ!」
将軍のやや燥いだような返事に促され、「失礼する」と告げて入室した。
将軍の机のさらに奥にある、賓客用の椅子に座っている凛々しい表情の青年を見て、ゾイアは「おぬしは、あの時の!」と声を上げた。
青年はアーロンであった。
ゾイアを見て、笑顔で頷いている。
「一別以来だな。こうして再び、互いに無事な姿で逢うことができ、先ずは良かった。千人長になったらしいじゃないか。あの後、わたしの方も運命が変転し、辺境伯になったよ」
ゾイアは頭を下げ、「お父上のこと、誠にお気の毒に思う」と悔み言を述べた。
アーロンは「ありがとう」と小さな声で礼を言ったが、「ところで」と表情を改めて、ゾイアに頼んだ。
「北方を探索したいと思っているのだが、同行してはくれまいか?」