96 旧知
(作者註)
今日はティルスさん目線です。時間を少しだけ戻します。
その日は朝から変だった。
自分でも起きているのか、まだ夢を見ているのか、わからなかった。
どこか遠くから、ドンドンと部屋の扉を叩く音が聞こえていた。
「おれだ、ベゼルだ。どうした、ティルス、今朝は寝坊か?」
知っている声だ。
そうか、自分はティルスなのだと思い出した。
薄い膜を通して見るように、ごつい体つきの大男が見えて来た。
身体中に傷跡があり、うねうねと波打つ癖のある長い黒髪を後ろで束ねている。
瞳の色は焦げ茶色だ。
「ん? どうした、ティルス。おまえ、様子が変だぞ。目の色が薄くなってないか?」
フッと現実感が戻った。
「おお、ベゼルか。すまん。寝過ごしたようだ」
ベゼルは不審げにこちらを見ていたが、首を傾げた。
「うーん、目の色が戻ってるな。光の加減だったのか。まあ、いい。そんなことより、今朝は稽古は中止だ。ルキッフが呼んでる」
砦の中でも、とりわけ大きな建物に二人は入っていった。
中は円形の広間になっており、大勢の仲間が集まっている。
その正面の一段高い場所に、ルキッフが座っていた。
「みんな、急に集まってもらって、すまない。おれ一人で決めてもいいんだが、一応、主だった者の意見を聞いておきたい、と思ってな。実は、先日手打ちしたばかりの『暁の軍団』から、同盟の申し入れがあった」
広間は騒然となった。
「おまえたちの気持ちは良くわかる。おれだって、バポロを信じちゃいない。だが、今回の話は、バポロからじゃないんだ」
前以上に喧しくなった。
「静かにしやがれ!」
と、広間の奥から、シャン、シャン、と鈴を鳴らすような音が聞こえてきた。
同時に、聞いたことのない言葉で、呪文を唱える声もしている。
現れたのは、明らかに北方蛮族とわかる者たちに取り囲まれた、派手な仮面の男だった。
この男だけは蛮族ではないらしく、仮面からはみ出した髪が金色だった。
「わたしは、蛮族の帝王、カーンである!」
その声を聞いた瞬間、また、ティルスの意識が遠退いた。
「ああ? 今、何て言った、ティルス?」
隣のベゼルがこちらを見た時には、意識がハッキリした。
「いや、特に何も言っていないが」
ベゼルは「いいんだ、忘れてくれ」と言った。
自分の空耳と思ったようだ。
仮面の男の話が始まったために、ティルスもそちらに顔を向けた。
要約すると、五百年に一度北方を襲う危機が迫っており、しかも、今回は中原にも大きな影響があるから、中原を護るために、自分たちと協力してその西半分を征服しないか、という誘いであった。
その過程で手に入る領土を山分けすれば、領主や国王になれるぞ、と言うのである。
だが、広間はシーンと静まり返ったままだった。
ルキッフはニヤリと笑い、「見てのとおりだ」と告げた。
「あんたが言うように、危険は迫っているのかもしれんが、かと言って、そのために他所の国に戦争を仕掛けるのは、違う気がするぜ。みんなも、別に王さまになりたくはないようだしな。あんたらのやることの邪魔はしないが、協力もしねえ」
ルキッフが仲間の方を向いて「それでいいか、野郎ども!」と呼び掛けると、広間中から「おおっ!」という返事が湧き起った。
蛮族の帝王は、負けじと声を張った。
「だが、これだけは言って置く! いつでも気が変わったら、われらの許に来るがいい。誰でも歓迎する!」
ルキッフは忌々しそうに舌打ちした。
「余計なことを言いやがる。さあ、とっとと帰ってくれ!」
壇上から降りようとした蛮族の帝王の足が、ふと止まった。
派手な仮面の顔を、広間のこちら側に向けている。
と、壇を駆け下り、真っ直ぐこちらに走り出した。
途中にいる男たちも、その勢いに押されて左右に分かれた。
ティルスの目の前に来ると、蛮族の帝王はジッと顔を見つめた。
「おぬし、生まれはどこだ?」
すると、横に立っているベゼルが「聞いても無駄さ。河で溺れて何も覚えちゃいないんだ」と代わりに答えた。
「ほう。名前もか?」
今度は自分で「ああ。一応、ティルスという名を貰った」と告げた。
「ティルス? タロスではないのか?」
ティルスは、タロスと言われた瞬間、身体がビクンと震えるのを感じた。
その様子を見て、蛮族の帝王は「子供はどうした?」と畳み掛けた。
さらにティルスの身体が震え出し、立っていられずに、その場に座り込んだ。
頭を抱えて、呻く。
見かねてベゼルが、「おい! もう、よせ! 苦しんでるだろう!」と二人の間に割って入った。
蛮族の帝王は「うむ。そうだな。まだ時間がかかるだろう」と頷いた。
「わたしは『暁の軍団』の砦に戻らねばならん。機会があったら、また、会おう」
そのまま立ち去ろうとする蛮族の帝王を、ルキッフが「ちょっと、待ちやがれ!」と呼び止めた。
「おまえ、ティルスが本当は誰だか知ってるのか?」
すると、蛮族の帝王は、ルキッフではなく、ティルスに「気になるなら、バロードに行ってみるがいい」と告げ、後ろも見ずに広間を出て行った。