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グルメ再建請負人 馬井三瀬也  作者: ンジャバダ・ンジャバダ
2/2

平成××年7月14日付 毎毎新聞 14面より抜粋


「人気飲食店プロデューサー 逮捕」


 警視庁は十三日、恐喝・詐欺などの疑いで、自称・グルメ再建請負人 馬井三瀬也こと本名・江合真澄容疑者(52)を逮捕した。


 松井容疑者は、約二十年にわたり多数の投資家や飲食店経営者に対して「必ず儲かる」「売れる店にする」などと持ちかけ金品を騙し取っていたとされ、被害総額は約八億円にのぼると見られている。


 また、「グルメ再建請負人 馬井三瀬也」の名で、テレビや雑誌などでも数多く取り上げられていた。


 警視庁の取り調べに対し、江合容疑者は「身に覚えがありません」と容疑を否認している。


* * *


「やっぱりここでしたか」

 墓前で手を合わせる真実の姿を見つけると、トレンチコートを羽織った壮年の男はホッと息を吐いた。

「警部さん……」

「照れますよ、肩書で呼ばれると。昔みたいにおっちゃん、でいいんですよ」

「そんな失礼な……」

「いやいや……しかし大きくなりましたね、あの看板娘が。しかも、まだ若いというのに店を立派に切り盛りしていただなんて。びっくりですよ」

「私の方こそ。まさか警部さんが、うちの常連さんだったなんて」


「ご記憶にないのも無理はない。十五年以上も前のことですから。あなたがまだ小学校に上がったばかりの頃でしょうか。懐かしいですな、客席の間をペタペタ歩き回っていたのが。当時はご両親がお二人で厨房に立っておられて――おっと、失礼」

「いえ、大丈夫です」

 自分が思い出に浸っていくのと同時に、真実の表情が曇っていくことに気づいた警部は口を噤んだ。


「しかし、その――とにかく、真実さんも新しいスタートを切られた、そうでしたね」

「ええ。後始末が終わったので、近所のネパールカレー屋さんで修行を始めました。今は毎日が新しいことばかりで充実してますよ。思い返せば、ラーメン屋をやっていたときに唯一お褒めの言葉を頂いたのが気紛れに作ってみたカレーでしたからね。ンパチャイ先生もいつも褒めてくださるんですよ、「 الكاري اليوم المؤهلين جيدا هو جيد

って言って」

「は、はぁ、それは結構なことですな」

 唐突に出てきた謎の言語に、警部は動揺を隠せなかった。


「と、とにかく、真実さんがまた前を向いて歩みだしているようで何よりです。……馬井の方は私たちにお任せください。必ずや然るべき報いを――」


「本当はもうどうでもいいんですけどね、馬井さんのことは」

 真実は微笑した。

「もしかしたら、あの人に騙されたことが、私にとっては良かったのかもしれません。私が甘い考えで店を継いでいて、厨房に立っていたと気づかせてくれたのかな、って。お客さんに対して、本当に失礼で申し訳なかった自分に気づかせてくれたのかな、って。だからこそ、再建を依頼したところで店は潰れたし、だからこそ今は真摯にカレーと向き合えているのかな、って。ある意味では感謝しています、馬井さんには。もっとも、詐欺師としての『江合真澄』は許せませんけど」


「……お強いですな、真実さんは。私にはわかりかねます、『馬井三瀬也』は江合の仮面でしかありませんよ」

「山中さんは同じ考えなのでしょう、原告団に加わって積極的に活動されているんですから。もっとも、一番の被害者は山中さんですからね。大金をだまし取られたんですし。――山中さんにとっては私だって加害者じゃないですか、私のために五百万も……」


「真実さん」

 警部は真実を見据える。

「そんなことを思ってはいけません。あなたのせいなどではない。山中さんも言っておられました、『金のためではない、名誉のためだ。汚された真実ちゃんと親父さんの名誉のために俺は闘っているんだ』と。山中さんも私も、皆があなたの味方です」

「ありがとうございます」

真実の目は潤んでいた。


「……なんだか不思議です。両親も、両親が遺してくれた店も、私にとってのすべてが無くなってしまった。なのに、今の私には皆さんがいてくれて、そしてカレーがあって。なんだかとても満たされている、そう思えるんです。……だけど家の厨房に入ると、ダメですね。どうしても、父の姿が浮かんでしまって。昔、父がよく使っていた寸胴鍋だってそのままにしていて――」


「おや、寸胴鍋なんて使っていたかな?」

 警部は眉をひそめた。

「業務用のラーメンスープの素をお湯で溶いていただけだったじゃないですか、昔から。常連の間では口に出さずとも知れ渡っていましたよ、『ふもとのオヤジは麺もスープも作ってない』って」


「そうだったんですか!?」

 真実が目を丸くすると逆に警部も驚き、次第に、

「これは失敬。まさか娘さんもご存じなかったなんて……。一緒に厨房に立たれていた期間もあったでしょうに」

「その頃の父は頑なに、私に仕込みの様子を見せようとしませんでしたから、『お前にはまだ早い』とでもいいたげに。私が見ていたのは寸胴いっぱいにできあがった後のスープだけでした」

「では、真実さんの目を盗んで大量のお湯で溶かしていたのでしょう。きっと、あなただからこそ、娘だからこそ知られたくなかったのでしょう。きっと師匠としての、父親としてのプライドです」

「だけど……でも、私は覚えています。小さい頃、夜中に父親が寸胴でスープを仕込んでいた姿を。汗だくになりながら、必死で鍋をかき混ぜていました。鍋からは豚骨や鶏ガラが溢れんばかりで――」


「……そうか、そういうことか――」

 警部は一人、合点がいったが真実には意味がわからない。

「え? なにか……」

「真実さん、小さい頃にお父様が鍋でスープを仕込んでいたというのは毎晩のことでしたか?」

「いえ、わかりませんが……。どういうことですか?」

「先日お邪魔した際、捜査の参考にさせていただくためにご両親やお店のお話もお聞かせいただきましたし、お店の中もじっくり見させてもらいましたよね」

「ええ。それが何か?」

「――いや、この辺で止めにしませんか。口に出すのは憚られる。真実さんにとって大変お辛いことになるでしょうから」


「教えてください、父のことなら。辛いことなら充分に経験しました。もう何も怖くありません」

 真実は警部を見据える。

「それでも申し上げるにはいかないのです。知らないままでいた方がよろしい」

「教えてください! どんなことでも受け入れます!」

 真実は声を張り上げた。気圧された警部はゆっくりと口を開いた。


「……お母様が亡くなられた当時のことです。お父様は真実さんに『遠いところに行ってしまった』と話されていたんでしたね」

「そうです。ただなんとなく、もう帰ってこないことだけはわかっていました。それが亡くなった、ということだと知ったのはもっと後のことでしたけど」

「当時の記録を調べましたが、お母様にあたる人物は病死や事故死でもなく、行方不明という届け出がされていたんです。お父様のご説明はある意味正確でした。全国に手配されていましたが見つかることはなく、7年後に死亡ということになっています。……行方不明であれば、ご家族なら『いつか帰ってくる』という希望を捨てずにいるもの。ですが、当時のお父様の口ぶりから察するに、早々と諦めているようなのが私には不自然です」

「……ええ」

「それからお父様が使われていた、と仰る寸胴鍋を検めさせていただきましたね。関係ないと思い真実さんには伏せていたのですが……。やはり、使われていた形跡がほとんどありませんでした。せいぜい1~2回です」

「買ったばかりだったのではないですか?」

「もちろん製造元にも問い合わせは試みました。ですが、電話は繋がりません。当然です、十年以上前に倒産していたのですから。やむなく伝手を頼って調べてもらったのですが、驚くことにその寸胴鍋が製造されていた期間はわずか1年半。ちょうどお父様が開店した頃と重なります。鑑識にも調べてもらいました。わずかながら脂のようなものが付着していました。ですがそれは豚や鶏など、スープの材料になるようなものではなかったそうです」

「何の脂でしょう?」


「……きっとご自分でも気づかない、だがあまりに強い衝撃だったために、その景色の断片は真実さんの記憶に強烈に残されてしまったのでしょう。気づかないままでいた方がよかった、わざわざ掘り返した私に非がある」

 悔やむ警部は真実の問いに答えない。

「どういうことですか? はっきりおっしゃってください」

「真実さんがその夜に偶然見かけたお父様は、スープなど煮ていなかった。その汗や必死さは仕事に対する情熱の表れではなく、実に下劣で憎悪すべきものだった」

「……警部さん?」

「あなたのお父様がその夜、煮ていたのは」


 警部は一度唾を飲み込むと、意を決した。

「あなたのお母様です」


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