(1)
私の名前は新田心奈。現世で事故に巻き込まれて十七年という天命を全うしました。
そして異世界にて、見た目が幼いネコミミ娘に転生したのです。
突然何を言い出すのかと思われるでしょうか。
しかし、これは事実。間違いなく現実。なぜなら私は、長い尻尾を振り回しながら小汚い男を威嚇している最中なのだから……。
「フェイヴァ、お金を支払いなさい!!」
ボロボロのコートマントを羽織った格好、ゴマ髭面、ボサボサの長髪を一つに縛った男。それがフェイヴァ・アズロウ。
彼はリンゴに似た果実、『リリゴ』にカジりついている。つい今し方、青果店から盗みを働いたところを目撃してしまったのだ。
「それでもあなたは元騎士なの!?」
そう息巻くとフェイヴァはこちらにハッと鼻息をもらして、侮蔑のような濁った眼差しを向けてくる。そして片手を上げながら飄々と去っていった。
「なんなの、あいつ!」
私が憤慨していると、青果店のおじさんが苦笑しながら「いつものことだよ」と宥めてくれた。
「おじさん。これリリゴの代金、十ギルです」
「いいよいいよ。ココちゃんとこの食堂には贔屓にして貰っているからね。それにフェイヴァがつまみ食いしていくのはいつものことだから仕方がないさ」
「うう、すみません」
「いやいや。それよりこれ全部、一人で持って帰れるかい?」
「はい、大丈夫です」
大きく頷いてから手渡しで受け取った野菜入りの大袋を担ぎ上げた。十二歳ほどの幼い体をよっこらよっこらと揺らしながら、働いている店へと戻る。
私がいわゆる異世界転生をしてから早いもので二週間ほどが経っていた。まだ鮮明な記憶を思い返す。
日本で事故に遭ってから、気づいたらこの街に一人で佇んでいた。髪は暖色の明るいものになり、頭部にはネコミミとお尻に長い尻尾が生えている。
この国でいうところの『獣人族』だそうで、特にネコ系の種族は森の奥地に住む田舎者で、都市部で見かけるのは珍しいという。
幼い体も種族の特徴で、成人した大人でも身長が150センチ以上の者は少ないのだと聞いた。
「そうよ。私は成人している可能性もあるのだから」
そんな独り言を言いながら、袋の中身を落とさないように慎重に歩み続ける。
この街へ来てから働かせて貰っている食堂のお店へ居候することになるまでには紆余曲折あった。結果的にはお店に置いて貰えることになって助かってはいるのだけど……。
「ただいま戻りました」
裏口から店内へと入ると、妊娠中でお腹の大きな女将さんが揺り椅子で編み物をしていた。
「ココちゃん、ご苦労様。悪いね、私がこんなだから買い出しにいけなくて」
「いいえ、それは大丈夫です。だけどまたフェイヴァと遭遇してしまいました。あの野郎はいつもいつもおじさんの所で果物を盗んでいやがります」
「まぁ、仕方がないね」
それは街の壮齢者が使う常套句だった。フェイヴァ・アズロウは昔、騎士として名を馳せた男だった。街民からも慕われて、王都の使命を全うする勇敢な戦士だったという。
しかし、遠征中に流行病で婚約者を亡くしてからすっかり変わってしまったらしい。昼夜問わず酒を煽っては路頭で喧嘩したり、古い友人というこの食堂の夫婦にも迷惑をかけまくっている。
「事情は知っていますけど横暴すぎませんか。それに私を幼獣なんて罵るんですよ。不愉快極まりないです」
ネコ毛を逆立てていると、女将さんは「横暴かもねぇ」と豪快に笑った。
夫婦が営む小さな食堂で、私は「名前以外が記憶喪失の娘」で通っている。大将と女将さんはそんな面倒くさい事情を持っているにも関わらず親切で、文字や常識を教えてくれた。
「じゃあ、厨房で仕込みのお手伝いをしてきますね」
私は荷物を担ぎ直してから厨房へと向かう。
大将の手伝いとしてママメという豆の皮むきをしていると、また奴のことを思い出した。
転生当日、フェイヴァと初めて会話した際のことだ。店主の隙を付いたように果物を盗んだ男を追って、路地へ入った時の話……。
「ちょっとあなた。窃盗なんてありえないです」
そう言って道を遮った私に対して、男は冷ややかな眼差しでこちらを一瞥しただけだった。知らぬ素振りを決め込むので距離を詰める。
「ちゃんとお金を払うべきです。私が返してきますから、代金を渡してください」
そう言うと男は剽軽なポーズで肩を竦めてから声を上げた。
「あの店はいつから幼獣を雇ったんだ?」
「それは私のことですか? 私は店員ではないですが、謝るなら一緒に行ってあげますよ」
「あー。これが代金、一ギルだ」
男は一円玉みたいな通貨を一枚投げて寄越した。それから片手を上げながら去って行ったのである。
直接謝りに行く気がなくても、男が悪気という感情を持っていて通貨を渡してきたなら納得できた。
しかし、すぐに青果店のおじさんにそれを手渡しに行ったが、リリゴは一ギルでは買えないと知ったのである。
それから男、フェイヴァの出入りする食堂の情報を教えて貰うと、私と奴との論争が勃発した。昼間から食堂で酒を飲んでいた男は、こちらに顔を向けることもなく発言する。
「……田舎者は無知だと聞いていたが、通貨の価値も分からんとは失笑もでねぇな」
「なんですってっ! こっちにも色々事情があるんです。好きでネコミミ生やしている訳じゃないんだから!」
「うるせぇ幼獣だ。耳元でギャンギャン喚きやがる」
「それ! その『ようじゅう』っていうの、私を侮蔑してますよね!?」
キッと睨みつけると男は「ああ」と短く答えて酒を煽る。私は異世界転生のストレスも相まって、爆発寸前だった。
「泥棒ついでに昼間から酒を飲んでる奴に言われたくないです。情けないと思いませんか、親族が泣きますよ」
そこでフェイヴァは頭に血が上ったのか、テーブルに手を着いて立ち上がった。腰に装備していた赤い柄の細剣を引き抜くとこちらに向けてくる。
だがしかし、私はアドレナリンが出まくっていたせいか恐怖を感じなかった。
「そんなもので脅しても無駄ですよ」
フェイヴァは無言で素早く剣を振り下ろす。肉眼では目視できない速度で真っ二つになったテーブルを目の当たりにして、私の足は否応なしに震え始める。
「こ、こ、怖くないんだから! 脅しても無駄なんだか、からね!」
男は嘲笑うかのようにハンと鼻息をもらしてから剣を鞘に戻した。
酒瓶を持つとそのまま店を出ていったのだが、私は店の備品を破壊した奴の代わりにこの食堂で働くことになったのだ。
「今思い出しても腸が煮えくり返る……」
私は華麗な手さばきでママメの皮むきをしながら、ギリギリと歯を鳴らす。その様子に感づいた大将が、煮ているスープの鍋をかき回しながら言う。
「まぁまぁ、仕方がないさ。勘弁してやっておくれ」
「そんなの。皆さん、あいつに甘すぎませんか?」
「ははは。若者はフェイヴァのことを知らないから、ココちゃんみたいに横暴な奴だと思うだろうね」
「当然でしょう」と息巻くと、大将も女将さん同様に笑い声を上げた。