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黄色の線路

作者: 矢鳥 西橋


 三分。長くてもせいぜい三分だ。俺と彼女は、一日に三分ほどだけ他愛のない会話ができる。彼女という言い方をしたが、彼女は恋人ではない。分かりやすくいえば「ガールフレンド」ではなく「She」の方の彼女だ。


 俺と彼女は、同じ電車に乗る。はじめは偶然だったが、次第に俺が彼女に合わせるようになった。彼女と話したいからだ。彼女と俺が同じ車両でほぼ二人きりでいられるのは、二駅程度。三分程度だ。




「あれ、降りないの? 皆ここで乗り換えるのに」


「俺はあと四つくらい先」


「そうなんだ。私、あと二つ」


 確か、こんな風にして彼女と初めて喋ったような気がする。ほんの数か月前のことだが、もう記憶は薄い。車内で友達を分かれた彼女がこちらに近付いてきたときのことは、今もよく覚えている。


 彼女は、転校生だった。俺と彼女がこうして電車で出会う、ほんの数日前に転校してきていた。


 元気で可愛くて、明るく冗談を飛ばす彼女は、転校初日にしてたくさんの女子生徒と友達になっていた。クラスは違うが、なんとなく知っている。


 俺はさほど目立つタイプでもないから、彼女は俺のことを知らないだろうと予想して自己紹介をしようとしたが、先手を打って「永見君だよね」と名前を当てられたので面食らった。




 なんだかんだ、彼女が転校してきてから三か月はこうして話をしているが、俺は彼女のことをあまり知らない。彼女は友達が多く、いつの間にか他クラスの女子と一緒に下校をしていた。その女子が乗換駅で降りてしまうと、俺のところに来るのだ。


 俺にも友達がいない訳ではないが、その友達は自転車通学か違う方面の電車に乗っていたりで、俺の登下校は一人になる。


 さらに、登校時間は違うし、俺か彼女に終業後の用事があれば、簡単に会えなくなる。車両こそ合わせられるにせよ、電車に乗る時間まで合わせるのは流石に面倒くさい。それに、そこまでされたら彼女は引いてしまうだろう。




「お」


「あ」


 部活がある日に彼女と一緒になるのは初めてだった。彼女の方は一人で、いつもより話し込めそうだった。といっても、話すことなど特に多くはないのだが。


「永見君ってさ、怖いものとかある?」


 吊り革に体重をかけ、窓の外を眺めながら彼女は言った。


「俺、小学生になりたての頃、火事に出くわしたことがあってさ。それがトラウマで、でかい火を見ると駄目なんだよ。不安になる」


 窓の外に横断歩道を歩いている男性がいた。その口元から煙が上がっているのを見て、つられるように「あと煙草」と続ける。


「じゃ、永見君といれば火事が起きても安心だね」


「え? むしろ不安要素しかないだろ。たぶん俺、使い物にならないぜ」


「違うよ。火事が怖いなら、火事から真っ先に逃げるでしょ? そんで、その永見君について行けば真っ先に逃げれるんだもん。こんなに安心な人いないって」


「納得はできない理屈だな」


 少し間が空いた。夕方なので、車内は少しずつ混み始めている。もうすぐ大きな駅に着くので、そうしたらまた静かでがらがらになるだろう。そこからは、いつもの二駅、いつもの三分だ。


「私はね、黄色が怖いんだ」


 電車が小学校を通り過ぎた。黄色い帽子がちらりと見える。


「黄色?」


「うん。トラウマはないけど、不安になる。前世でトラかキリンに食べられたのかも」


「俺、黄色が怖いって人には初めて会ったわ」


「私も、まだ他の黄色が怖い人には会ったことないな。ネットで探してオフ会でもしようかな」


 じゃあ、黄色に出くわしたときには彼女と一緒にいれば安心だ。まあ、俺は怖くないから逃げる必要もないけど。




 先日、彼女と怖いものの話をしてから、彼女と一緒に下校をしている女子生徒ともよく話すようになった。その女子は、成瀬という名前だった。


 成瀬は、彼女とは対照的に、目立つタイプではなさそうで、どちらかといえば俺に似ていた。ああでも、俺に似ているなんて言い方をしたら成瀬に申し訳ない。しかし成瀬は、自分の意見ははっきり言えるタイプのようで、彼女と仲良くなったのにも納得できた。彼女はこういうタイプが好きそうだ。


「──でね、明日の体育でそれを使うんだけどね、ことごとく、みーんな壊れてんだよ」


「まじで、それは災難だったね──」


 彼女の底抜けに明るい声と、成瀬の芯のある優しい声は、一見真逆のように見えるが、それで釣り合っており、よいバランスだった。今は立っているからいいものの、もし黙って座っていたら眠ってしまいそうだ、というのは少し大袈裟か。


「永見君どうしたの? ぼーっとしてるけど」


「ん? いや、なんか眠くて」


「へえ、珍しいね。いつも元気そうだから」


「元気そうに見える?」


 驚いて、思わず聞き返した。


 友人からは、やれ「ペリーの生まれ変わりレベルで目付きが悪い」だの「年中インフルみたいな顔してる」だのと言われてきたので、おおよそ「元気」からはかけ離れていると思っていた。年中インフルはともかく、ペリーの生まれ変わりならば俺は相当凄い人間なのであまり馬鹿にするな。しないでくれ。


「うん、元気そう」


 成瀬は微妙な顔をしているので、たぶんそう思っているのは彼女だけだ。ありがたいことには変わりないので、俺はこれからも元気そうな奴だと思っておいてもらおう。




「あ、見て、あの店オープンしたんだ」


 彼女が指をさす。少し前まで工事をしていた建物で、どうやら和菓子屋ができたらしい。


「私、饅頭とかめっちゃ好きなんだよね」


「『怖い』とでも言うなら買ってやろうかと思ったのに」


 以前の「怖いもの」の話を蒸し返して言った。彼女でもそんな冗談は言わないらしい。


「あ、その考えはなかった。 ナルちゃん、ナルちゃんは饅頭怖いよね?」


 彼女は、ナルちゃんと呼びながら成瀬に笑いかける。成瀬は大きく頷いた。


「怖い怖い。超怖い。永見君が饅頭を買ってくれないと怖すぎて泣いちゃう」


 呆れるほどの棒読みで言ってのけた成瀬。怖いのか食べたいのかはっきりして欲しい。


 彼女が声を出さずに笑顔を作った。「よくやった」と言わんばかりの顔で成瀬の肩を叩き、次に俺の肩も叩く。


「ね、今度あの店行かない? ナルちゃんはともかく、永見君はいつも暇してるでしょ?」


「あいにく、部活と部活と部活に大忙しだ」


 彼女に見せつけるように、部活用の鞄の位置を動かした。


「まあ、和菓子くらいはいいと思うけど」


「でもさ、見た目からして結構高級そうじゃなかった? 私そんなにお金持ってないけど」


 成瀬がいうと、彼女が「家に帰ったら調べてみる」と言う。彼女なら、もし本当に多少高くても、お金を貯めて一人で買いに行くに違いない。


「おー、ありがとう」


 そうすると、今度は私服で、どこかへ行くために彼女と電車に乗るのか。少しだけ胸が高鳴って、それに気付いて恥ずかしくなった。




「あ、黄色」


 最近、電車に乗るたびに窓の外に黄色を探してしまう。無意識に、それで彼女を思い浮かべてしまうのだ。


「また見つけたの? 永見君はそうかもしれないけどさあ、私は簡単にたばこも火事も見つけられないんだけど」


「んな簡単に火事があったって、たまらないからな」


 朝の九時四十五分。普段なら絶対に彼女と一緒になることはない時間だ。しかも、お互い私服。隣には成瀬。


 今日は、約束した和菓子屋へ行く日だった。


「まさかこんなに急だとは思わなかったよ」


 和菓子屋の話が出たのが、金曜日の夕方。で、今はその翌日、土曜日の朝だ。昨日、家に着いた直後「買えそうな値段設定だ」と連絡が来て、予定を訊かれた。


「だって、永見君がオフの日が今月だと今日しかないって言うんだもん。来月まで待てないって」


「待たなくても、成瀬と二人で行けばいいだろ」


「無理無理。だってナルちゃん、饅頭が怖いんだよ。私一人じゃナルちゃんを守れないって」


「それ、まだ言うか」


 もちろん、俺は彼女といたいので、成瀬と二人で行けばいいなんてことは一ミリも考えちゃいないが、照れ隠しのためにするっと言葉が出てきてしまうのだ。




 饅頭屋に入ると、俺の後ろから入ってきた彼女がぶっと吹き出した。


「見て、黄色い饅頭がある」


「怖いものコンボだな。これを買おうぜ」


「うわ、永見君って悪趣味」


「これで火事が起きたら完璧だね」


「不吉なこと言うな。トラウマだって言ってんだろ」


 落ち着いた店内の雰囲気を壊さないように、ぼそぼそと小声で喋った。ショーケースの中を見て回っていると、店員さんが「試食をしますか」と声をかけてきたので、ありがたく頂く。


「この羊羹うまいな、俺買ってこ」


「私も饅頭とこれにしよ」


 一切れ分の羊羹を口に放りこんで、そのまま辺りを見渡す。どの菓子もおいしそうだが、羊羹と黄色い饅頭以外にそそられるものはなかった。


 和菓子を購入して店を出ると、ちょうど目の前を電車が通り抜けていった。


「いつもあれに乗ってるんだよな、俺たち」


「こっちから見るの、変な感じする」


 駅の周辺をぶらつこうという彼女の提案で、駅とは反対方向に歩き始めた。面白そうな店がいくつかあり、それらを覗きながらぶらぶらした。




「あ、黄色」


 そろそろ駅に戻ろうとなったとき、ふと彼女が足を止めた。彼女の見る方向を同じように見つめたが、特にそれらしきものは見つからない。「どれが黄色だ」と訊こうとしたとき、ぱっとそれに気付いた。


「ああ、確かに、黄色」


 ゆっくりと沈みかける夕日が、赤でもオレンジでもなく、黄色に染まっていた。夕日というより、空全体が黄色に染まっているようだ。ゆうやけこやけで、もうすぐ日が暮れる。


「この黄色は、流石に逃げられないな。夜を待たなきゃ」


「うん。でも、なんか、怖くないや」


三人で夕日を見上げてしばし惚けた。影が長く伸びる。


「なんでだろ」


「綺麗だから?」


「かもね」


 例外の範囲がアバウトすぎるが、まあ怖くないならそれでいいだろう。いいものを見れたと思いながら、駅に向かって歩き出した。




 翌週。学校帰り、久しぶりに彼女と同じ電車に乗った。


「あのさ、前行った和菓子屋の近くにあった本屋、めちゃめちゃ雰囲気好きなんだよね。カフェあったし、ナルちゃんも誘って今度行かない?」


 ああいいね、窓の外を見ながら返事をする。


「そういえば、永見君って好きなものは何?」


「好きなものって範囲広くないか」


「それなら、一ジャンルでいいよ。食べ物とか」


「好きな時間でいえば、三分かな」


 ぶっと彼女が品なく噴き出した。


「流石に意味分かんないって。・・・・・・ああでも、好きな時間は、私も三分くらいかなあ」


 ふうんと言ってから、目線を持ち上げた。彼女越しに窓を見る。小さく呟く。


「あ、黄色」


 これは独り言だ。


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