5-3
目を開けた時。見えたのは、白い天井だった。
さらに上体を起こして見回すと、周囲がカーテンで閉じられているのがわかった。白っぽい水色の艶々としたカーテンは陽光を浴びているらしく、まだ日が高いことを窺わせた。
学校の保健室のベッドだ――と、何拍か遅れて気付く。
さらに少し遅れてから、ベッドの脇で本を読んでいる幼馴染の姿にも気が付いた。
「あ、起きた?」
こちらの視線を感じたように、彼女は顔を上げた。汚れのない制服を着た、千聡。
「俺は……」
混乱したまま、達真は呻いた。
記憶がないというより、何が起きたのかわからない。ただ全身が痛み、頬に触れればガーゼが貼ってある。頭には鈍痛が響き、思考するのにも根気が必要だった。
それを察してか、千聡が言ってくる。
「あの時――あ、達真が殴られたあとのことなんだけど。楓くんが助けに来てくれたのよ」
「楓が?」
「ええ。悪の臭いがしたからとか言ってたけど」
彼らしいといえば、らしいかもしれない。思えば最後に聞いたあの声は、楓のものだったのか。確かにそれらしいとも言える。
「それで、楓くんがすぐにあのフィルハーモニー連合の人たちを倒しちゃって」
「その名前を使うのかよ。いや、いいけどさ」
「達真をここに運んでくれたのも、彼なのよ。家の方が近かったけど、保健室なら治療しやすいからって」
当の楓は、連合軍の後始末のために戻ったらしい。まあ警察に引き渡すとか、事情を話すとか、その辺りだろう。あとは暴れたり逃げたりしないように、か。
ともかく千聡は、少し興奮というか、感心したような口振りで続けた。
「彼、あんなに強かったのね。驚いたっていうか、信じがたいっていうか」
「まあ……俺も最初はびっくりしたな」
「特に最初の一発で、私を捕まえようとしてたふたりを同時に倒したところなんか、唖然としちゃったし。なんか最後は変なキックだったけど」
「へえ」
適当に相槌を打つ。千聡はひとりで何度か頷くと、唸った。
「単なる変な人かと思ってたけど、実力が伴ってると、なんだかヒーローに見えてくるから不思議よね」
「…………」
沈黙したのは思考に根気が必要なせいか。少しの間を置いてから、達真は眉をひそめた。
「……あいつは裏があるとか言ってなかったか?」
「え? まあ……それはそうなんだけど」
千聡は苦笑とも困窮ともつかない顔をして、頬をかいた。今もそうは思っているが、そこまでの悪とは思えなくなってしまった、ということらしい。
そもそも悪だと思っていたのか、という疑問も抱くが、ともあれ口を挟んだのは達真でも千聡でもなく、ひらりと宙に舞った小人だった。
「いやー、流石に勇者様はこっちだと酷く雑魚ですね」
「……いたのか、お前」
憎たらしい声音で言ってくる妖精の姿に、達真はじとりと半眼を向けた。彼女は全く意に介さず、ひらひらと頭の上を飛び回ったが。
「せめてもう少し頭を使ってほしいというか、前にできたことが、どうしてできなくなってるのか。女の子の前だから格好付けようとしたんですか? 弱いのに」
「お前をぶん殴る度数がどんどん上がっていくんだが、何が言いたいんだよ」
犬歯を見せる達真の前に、妖精は余裕の笑みでひらりと降ってきた。そして目の前で、黒い渦の中に頭を突っ込んでみせて。
「異世界に逃げ込めば、簡単に逃げられたじゃないですか」
「……あ」
心底、達真は間抜けに声を上げた。妖精がなおさらなじるように言ってくる。
「うわあ、本気で気付いてなかったんですか? コケグマとの戦いはなんだったんですか、いったい。結構命懸けだったのにそこから何も学んでいないんですか? 学習能力の欠如しているんですかー?」
「う、うるさいっ。俺は生粋の地球人だから、異世界に移動するなんて非現実な発想がなかっただけだ!」
「いまさら非現実とか言われてもー」
挑発するように、尻を振ってくる。ぱたぱた動く羽がなおさら怒りを駆り立てて、かといって自業自得な面もあるため、真に怒ることもできなかったが。
「くそう。絶対にいつかぶん殴って――」
と呟いた時。
達真の眼前に、白い光が煌いたように見えた。ほんの刹那、何かが凄まじい勢いで横切るような光。それがなんだったのか、目で追うことも、思考することもできない。
ただ光が見えたと思ってから一瞬の間を置いて……ずがああんっ! と爆音が響いた――
あとついでに、「ぎゃああああああ!?」という妖精の悲鳴も聞こえた。
「な、何!? どうしたの!?」
千聡が悲鳴を上げ、達真は声と音のした方を見やる。それはごく近距離で、特に爆音は耳の機能を多少損なわせたほどだった。
キィィィンと響く耳鳴りの中、見えたのは――カーテンに空いた、妖精くらいの大きさの穴と、その先でまさしく爆発したように破壊された窓ガラスだった。
達真が寝ていたのは最も窓に近い場所だったが、カーテンのおかげで一応はガラスが飛来することもなかったようだ。
というより、窓は中から破壊されたように、縁にも焦げ跡が残っている。
「なんだ、これ……」
全くわけがわからない。突然に窓が爆発したように思える。
もはや頭痛などすっかり消え、爆弾という考えを真っ先に思いつくが、それにしては小規模ではあった。こんなところに仕掛ける意味もわからない。
「って、達真! 早く逃げないと!」
「あ、ああ……そうだな」
慌てて言ってきた千聡である。それは道理だった。わけがわからないにしても、危機があったのだからその場から逃げるべきだ。
ただ、達真はなんとなしに、そうする必要性を感じなかった。理由はわからない、ただの直感だ。あるいは千聡くらいの脳みそがあれば、そこに明確な理由を付け足すことができたかもしれないが。自分の知能の低さに落胆する。
ともあれ達真は手を引かれ、保健室から脱出しようとすると。
「ちょっと、どうしたの!?」
そこで反対に保健室へ入ってこようとする、教師や生徒たちと遭遇した。
先頭にいたのは保険医――実際には養護教諭などと言うらしいが、誰もが保険医と呼んでいる――で、それを見て、この部屋に自分たちしかいなかったことを再確認する。幸いだったかもしれない。
教師たちは何事だと保健室に飛び込んでくると、惨状を見てなおさら何事だと騒いだ。
当然、達真たちは事情を聞かれたが――突然に爆発したとしか言いようがなく、混乱は収束しなかった。
その時、はたと爆発と同時に消えた妖精のことを思い出したが、まあそれはいいだろうと思い直す。窓が割れていたのだから、外へ飛んでいったのかもしれない。
問題は問題だが、動けないほど目を回していれば人形だと思われるだろうし、動けるのなら異世界にでも逃げ込むだろう。
ともかく達真たちは、避難のために即刻帰されることになった。




