100.辺境伯の使者
冒険者の宿に入った俺たちは、冒険者への依頼を取り仕切っている従業員の若い女性に辺境伯の使者がどこにいるかを聞いてみた。
使者はちょうど食事の為に冒険者の宿へ来ているというから、従業員に使者の元まで案内してもらう。
辺境伯の使者は、三十代半ばほどの頭頂部が薄くなりはじめた金髪の男で、ひょろ長い痩せた体躯に小さな目が特徴的だ。
服装は使者と言うだけあって、汚れの無い灰色のローブに白のチュニックとそれなりの体裁を整えていた。
使者が座るテーブルには軽食と水が置かれていたが、食事に手をつけた様子は無い。食事前で悪い事をしたかもしれない……
「こんにちは。私はプロコピウスです。辺境伯の使者とはあなたですか?」
俺の言葉に辺境伯の使者は立ち上がり、一礼し口を開く。
おや、随分丁寧だな……もっと高圧的に来ると思ったんだけど。
「はい。私です。しかし随分と早い……貴殿が来ていると聞いて驚きました」
「ちょうどお食事の所すいません。辺境伯からの用命とは何でしょうか?」
「申し遅れました。私はミレトスです。辺境伯様からの用命を持ってまいりました」
「ご丁寧にありがとうございます。ミレトス殿」
「いえ。では早速ですが伝言を伝えます。ここに書面もありますが、内容は同じになります」
「書状は後でで良いです。口頭で先にお願いします」
俺は書状を取り出そうとした使者を手で制し、続きを促す。書状は後から見れば良いからね。
「では。伝言をお伝えします」
使者の丁寧な口調と裏腹に、辺境伯からの要求は高圧的なものだった。
簡単に言うと、魔の森の街を領土に加えてやるから税を払えという内容だ。税を払う分何か良いことがあるのかと思ったが、辺境伯の領土に入って得することは何一つない!
各街に街を管理する官吏を送り税を取る。俺たちはその官吏の下に入って管理されろ。有り難く思えらしい。
うん。ふざけるなって内容だよな。
こんな要求に従う気は全く無い。ベリサリウスの確認を取るまでも無いな。
「ミレトス殿。残念ですが、辺境伯の命に従う気はありません」
「断ると、辺境伯様は兵を差し向けてくることと思いますが……」
「それでもです。このような要求を受ける気はありません」
「そうおっしゃると思い、私は使者に立候補したのですよ」
まあ、何かあるだろうとは思っていたよ。辺境伯のこちらを舐めきった要求に対し、この使者は物腰が丁寧で高圧的な雰囲気は微塵も感じない。となると、辺境伯と違う考えを持って俺に接していると容易に予想できる。
最も、誰に対しても丁寧な人って可能性もあるけど……
「ミレトス殿の要求は何なのでしょうか?」
「プロコピウス殿。私はフランケルの官吏にして一帯を治める辺境伯様付の下級貴族になります」
「なるほど。ミレトス殿の立場は分かりました」
「私の願いはフランケルの安全です。私は短期間でラヴェンナを作り上げたプロコピウス殿の手腕を高く評価しています」
「裏切るのですか? 辺境伯を」
「正直に言いましょう。辺境伯様にそっぽを向くわけにもいかないのです。そうすればフランケルは辺境伯様に略奪されるでしょう」
難しい立場だな……魔の森から一番近い街がフランケルになる。そうなると魔の森で戦をする場合、人間側の最前線の街になるわけだ。辺境伯が兵を率いて魔の森に攻めて来るとなるとまずフランケルには立ち寄るだろう。
その後、魔の森前で野営を行い、ラヴェンナへ向かう。先日の聖教騎士団の動きと似た動きかな。
俺たちは街を略奪するつもりなどさらさら無い。そんなことをして何になる? 無駄に恨みを買うだけだし、せっかくフランケルと交易が出来るようにラヴェンナの街まで作ったことが無駄になる。
だからこそ、フランケルは無事でいてもらわねばならないんだ。
「ご安心ください。私達がフランケルに攻め寄せることはないでしょう」
「虫のいい話だとは分かっています。申し訳ありません……」
「いえ、フランケルは私達にとっても重要な貿易相手です。何も善意だけでそう言ったわけではありませんよ」
「……辺境伯様の動きは逐次ラヴェンナへお伝えします。これが私に出来る精一杯です。これくらいしか出来ず、要求は大きいもので申し訳ありません……」
「情報はありがたく受け取らせていただきます。ただし、ミレトス殿の兵であっても、こちらに攻め寄せた場合、区別はいたしません」
「もちろんです。兵は出さぬよう立ち回ってみるつもりですが……」
「もう一つあります。もし辺境伯がフランケルに立てこもった場合、街の安全は保障できません」
「そうなれば、街自体無事ではありませんので……フランケルの街は大きくありません。辺境伯の兵を支えきれませんので……」
なるほど。辺境伯がフランケルの街で徴発を行うと、フランケルは無事では済まないってことか。フランケルに辺境伯が立てこもれば街は終了だな……
ならば辺境伯としてもフランケルに立てこもるのはリスクが高いだろう。兵を支えることができるほどの物資が無いのなら、籠城戦は出来ないのだから。
「あなた方は昨年、聖教騎士団千名を退けています。辺境伯様といえども、そう易々とは行かないと私は思ってます」
「私達を評価するからこそ悩んでおられるんですね。まあ、私達は強いですよ」
「ええ。ラヴェンナを見れば一目瞭然です。ここへ来て確信しましたよ。あなた方の力を」
戦争となれば、ベリサリウスがいるからな。少々のことではびくともしないだろう。相手の数にもよるけど……
「辺境伯の兵はいかほどなのですか?」
「五千は集まると思います」
「なるほど。ありがとうございます」
俺は平静を装ってミレトスに応じたが、内心、心臓がバクバクいっている。五千だとお! いくらなんでも兵士数に差があり過ぎないか……いや、俺達だってあの頃より兵数は増えた。
昨年よりもっと戦えるようにはなっているけど。ベリサリウスがどう判断するかだな……きっと彼ならなんとかしてくれる!
ミレトスは俺に書状を渡すと、フランケルへと帰って行く。
ミレトスを見送った後、ため息をつく俺にエルラインが声をかけてきた。それはもう楽しそうに。
「ピウス。なんだか面白いことになりそうだね」
「ちっとも面白くないよ! 戦争反対。平和が一番だよ」
「君は変わってるねえ。あれほど腕が立つのに」
「腕が立つからといって、好戦的ってのはおかしいだろ……」
「そうなのかなあ。そんなことないと思うけど?」
「うーん」
腕の立つ人物を想像してみよう……ええと、ベリサリウス、ジャムカ、ミネルバ……あとはリベール……あれ? やったら好戦的な人物ばかりじゃねえか!
エルラインはそうでもないじゃないか。い、いや。奴は降りかかって来た火の粉は必要以上に払いのける。
「どうだい? 君くらいだろう?」
「た、確かにそうかもしれない……戦って楽しいことなんて一つもないのに……試合なら別だけど」
「世の中が君みたいなのばかりなら、平和になるだろうさ。現実はそうじゃあないけどね」
「うう。せっかく平和だったのに……頭が痛いよ」
俺は陰鬱な気分の中、エルラインの転移魔術でローマへと帰還するのだった。
ついに百話!