冬の雪解け
分厚いコートに毛皮の帽子と手袋とブーツを履いた男は今日も冬の女王が篭ったきり出てこない塔の門の前に立っていた。吐息は白くなっては霧散し、いつまでもそこに立つ男に雪は少しずつ積もり始めた雪は身震いにパサパサと落ちていく。
数日前、国王は終わらない冬に耐えかね国民にお触れを出した。
『冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。 季節を廻らせることを妨げてはならない』
初めは国民達も冬の女王を塔から出そうと知恵を絞りしぼった、その殆どが褒美に心を踊らせただけの人間だけど、国王はそれでも良いからとにかく冬の女王を塔から出したかったのだ。
しかしそんなに国王の淡い期待も数日もしない内に裏切られた。
塔の下に集まり国民達が誰が何をしても門前払いの冬の女王の態度に腹を立て、蜘蛛の子を散らす様に国民は塔の下から一人も居なくなってしまった。
そんな国民の中には冬の女王が出てきた暁には酷い目に遭わせようと画策する輩までいる始末。
長い冬は国から活力を奪いさり、人から食料と暖炉に焼べる薪を取り上げ、体を凍えさせる冷気は心までをも凍えさせたのだ。そしてそんな凍えた心は他の季節を司る女王の肩身を狭くした。
それでも春の女王だけは持ち前のふんわりした雰囲気と暖かい日溜まりを感じさせる笑顔を絶やすことは無かった。
門の前に立つ男にはどうしても季節を巡らせなければならない理由があった。何が何でも春を迎えなければならない絶対的な理由と確固たる決意が彼にはあった。雪が降り北風の吹き付ける極寒の中、何日も寝ずに座らずに休まずに門の前で立ち続ける理由が彼にはあったのだ。
「あなた今日もいるのね、いい加減諦める気になった?」
不純物の一切ない透き通った声が門の内側から彼に話しかけた。声の主はそこにずっと閉じ込もったきり姿を表さない冬の女王のものだ。
冬の女王の問いかけに男は答えない。
そこに立ち始め既に五日間飲まず食わずの彼に言い返すだけの力は残されていなかったからだ。
「どうして貴方はそんなに疲れきり凍えても立ち続けられるの?」
「…………」
「ずっと雪風に晒されてそろそろ暖かいスープでも飲みたいんじゃない?」
「…………」
「お願いだから帰って」
男と冬の女王は五日前とある勝負の約束をした。その内容は冬の女王が先に門を開けるか男が先に根を上げるかという我慢比べのようなもの。もし男が勝てば大人しく春の女王と交代し、冬の女王が勝てば二度とここには来ないという条件で勝負をしていたのだ。
男は冬の女王がいつ折れるかも知らずずっと雪と風に晒され続けなければならない勝負の内容はあまりに不公平だ。しかしそれがどれだけ不公平でも男は巡ってきたチャンスをみすみす見逃すことなんてできなかった。
冬を終わらせ春を来させれるかもしれないのならそれが何だってやってのけようと男は心に強く決めていたからだ。
「返事しなさいよ!」
「……どうしても……諦められない理由があるんです」
「りっ理由って何よ」
たったそれだけを言うためだけに男は激しく消耗した。残り少ない体力と気力を振り絞って口にした言葉には冬の女王が一瞬戦くような力が込められていた。
その力の源は固い決意と揺らがぬ覚悟、そしてどうしても助けたい姉への思い、自分をどれだけ傷つけてでも助けたい人のいる彼の言葉は、魔法を操り季節を司る女王ですらも一瞬圧倒するだけの力があった。
轟々と吹き付ける風に晒されてもなお男は憔悴しきった顔に諦めの色を一切見せることなく、分が悪い勝負に望み続けた。それから数時間が経ち、太陽を遮る分厚い雲からは依然として冷たい雪が降りしきり、しかし男はまだ諦めない。
「ねぇ」
「…………」
「貴方、春の女王に会ったことある?」
「…………」
四季を司る女王達は血筋によって決まる。そしてその血筋の長女は生まれ持って四季のどれかを司る魔力を有している。その魔力も二十歳半ば辺りで消え、それが消えれば次の代へと引き継ぐ。
そんな四季を司るそれぞれの女王は立場上、先代や先々代からお互い交流を持っていた、しかしそれが必ず良好なものとは限らない。
冬の女王と、王位を継承して間もない新しい春の女王と冬の女王は実の姉妹と言われても違和感がない程仲が良かった。
しっかり者な冬の女王が姉、人懐っこくおっとりとした春の女王が妹。周囲からもそんな風に見られ、二人もそんな周囲に視線に納得していた。
しかし冬の女王と夏の女王の仲はいわゆる犬猿の仲だった。顔を合わせれば喧嘩し、そんな二人の喧嘩を止める事なく秋の女王は夏の女王の味方をし、大抵一対二の形で喧嘩をすることが多い。とりわけ秋の女王は夏の女王といつも一緒に居たから、冬の女王は喧嘩では勝てた試しがない。
そんな時春の女王が持ち前の明るさと暖かさで冬の女王を慰めた。彼女達は互いに支え合い生きていた。
「無い訳ないか、あの子女王なのにいつも市場とか広場に居てるもの。いつも子ども遊んでは服を汚して怒られて、落ち込んだあの子を私がいつも慰めてた。あの子落ち込むと机の下とかクローゼットの中とか狭い所に閉じ込もるし体も小さいからなかなか見つからないのよね」
冬の女王は返事が無くても続けた。
理由は知らないがどれだけ辛くても諦めない男の姿に感化されたからではない、ずっと一人ぼっちで誰かと話したかったからだ。
女王達は自分の番が回ってくると長い間塔で一人ぼっちで居ることを強いられる。それは塔の中に部外者が入ると季節を司る魔力が弱まるからだ。
彼女達の持つ魔力は一般人の魔力よりも弱いため、儀式中にほかの魔力が混ざると季節が大変なことになる。だから儀式中は絶対に塔の中で一人になる。
「よく笑うのにちょっと目を離したらすぐ泣いて、でも少し慰めたらまた笑うの。知らない人にもどんどん話し掛けるれるのにどこか弱虫で泣き虫だから、きっとあの子は自分の順番が来たら塔の中で泣きじゃくるに違いないわ。お喋り好きな彼女が何ヶ月も一人なんて耐えられるわけないもの」
――――この私ですらこんなに辛いのだから。
その言葉を封じ込め冬の女王は唇を噛む。
門に持たれ膝を抱える彼女はさらに話を続けた。
「知ってる? あの子が笑うとね、周りの人達も自然も動物もみんな笑うんだよ。もう一度会いたいなぁ。でもあの子にこんな寂しい思いさせたくない。私どうしたらいいの?」
「……門を開けてください」
「嫌よ」
「貴方が毎日ここに来ればきっと彼女も寂しくないですよ」
「そんな保証何処にあるのよ?」
冬の女王の問いかけに男は息も絶え絶えに考え抜いた。そんな保証がどこにあるのか、まるで子どもの言い訳のような一言に対して彼は真剣に考えある答えにたどり着いた。
「貴方が俺にそうしたように、きっと春の女王も毎日門の前に居てくれるだけで一人ぼっちよりマシなはずです」
誰がどんな事をしても全て追い返していたのに彼だけは毎日毎日塔にやって来ては冬の女王に語りかけていた。冬の女王はいつしかそんな彼が来なくなる事を恐れ無茶な勝負をふっかけ、男はその勝負に乗った。
その結果彼は冬の女王が出てくるまで塔を離れず冬の女王を一人じゃなくする唯一の存在となった。
言葉にしなくても行動や態度で滲み出ていたのだ。冬の女王が一人ぼっちで居るのにも限界が来ているということに。
男は最期の力を使い果たし冷たい雪の中に倒れ込んでしまった。足先や指先の感覚はとうの昔に失い、朦朧とした意識をつなぎ止めておいた唯一の綱でさえも事切れてしまった。
男は冬の女王との勝負に負けた。これでもう助けれないのかと思うと目頭が熱くなったが、流れるような涙も彼には既に残されていなかった。
あるのは救えなかったと言う悔しい気持ちと、自分に対する失望だけ。そんな彼自身もこのまま死ぬのだと悟り、静かに目を閉じた。
「……あの子もそう思ってくれるのかしら?」
冬の女王の声は誰にも届かない。先に聞こえた何かの倒れる音に不安を募らせ、もしやと確認するための質問の返答はいつまで経っても返ってこない。
「返事してよ!」
既に倒れた彼が答えらるわけもなく彼女の呼びかけはまた空回る。その事実に彼女は目に見えて混乱した。
忙しなく何度も門を叩き鍵を外そうとする度に躊躇った。
彼は倒れた。冬の女王が勝利した事に変わりないが、もし倒れた彼を見て見殺しにしたら二度と自分を見れないような気がしたからだ。
このまま倒れた男を放って置けば確実に死ぬだろう。そしてその男を助けれるのは冬の女王しかいないのだ。
『どうしても諦められない理由がある』
瞬間頭に過ぎった言葉は、先程彼が口にした台詞だった。
――――このまま死なせたら私はきっと後悔する。それもちょっとやそっとの後悔じゃない、悔いても悔いきれないほど後悔を背負う。そんな両手でまたあの子に触れられるわけない。
そう決意した冬の女王は長く閉ざされた門を開いた。
金具が錆びつきその上から凍り更には降り積もった雪が邪魔でなかなか開かない門を少しだけ開けると冬の女王は息を飲んだ。
なぜならそこには想像した通り倒れた男がいたからだ。真っ白な蝋燭のような色をした顔には血の気が一切感じられない。
辛うじて息をしてる事を確認した冬の女王は、気絶した自分よりも大きな彼の腕を自身の肩に回して引き摺りながら王国を目指した。
自分の撒き散らした冬の猛威が初めて身にしみた冬の女王は涙を流しながらも歩みを止めることは無かった。
こうして長い長い冬は尊い犠牲を払って終わりを迎えた。
冬の女王は結局彼の助けた人間が誰なのか答えも聞けず、更には自分を塔の中から出してくれた恩人を死なせてしまったという後悔だけがいつまでも彼女の両肩に重くのしかかった。
男の亡骸を抱き締め泣きじゃくる冬の女王を責める者はおらず、彼女への怒りは春が来るとともに雪解けと一緒に流れて言った。
春が来たという事は春の女王が塔に篭もり始めたという事。冬の女王は失意のどん底ながらも彼がそうしたように塔の門の前にやって来た。
数週間前とは打って変わった緑の大地に聳え立つ苔むしった高い塔は背に光を受け希望に満ち溢れていた。塔の屋上では鳥が囀り、壁に絡む蔦からは花のあまいかおりが漂っている。春の女王の周りにはいつだって希望や喜びが集まるのだ。
「あっ! お姉ちゃん!」
塔の窓から冬の女王を見つけた春の女王は屈託のない笑顔で手を振りながら叫んだ。
「夏になったらまたいっぱい遊ぼうね! それまでは手紙でも頂戴!」
込み上げてくるものの正体が何なのか、冬の女王には分からなかった。しかし胸の奥には暖かい塊が確かにあった。それは春の女王の笑顔を見る度に強く暖かくなる、強いて言うなら春の女王の魔法だ。
曇も陰りも見せない春の女王の笑顔に魔力はないが確かに人を救う魔法がかけられている。少なくとも冬の女王の雪解けはこの瞬間から始まった。
男を殺してしまった罪は消えない、しかし彼女はそれも背負っていこうと静かに決意した。それはあの日の男のような決して揺らぐ事の無い硬い決意と覚悟にも匹敵する程の意思の強さで作られた。
「毎日書くわ」
「うん、待ってる」
こうして終わらない冬は終わり春の陽気に王国中が包まれた。
彼女の冬はまだ終わったばかりだ。
よければ感想、評価、ブックマーク宜しくお願いします。