第二部 黒白(グラデーション)の願い 第四章 3
* 3 *
そろそろ夕暮れに染まり始める時間、ガーベラを奪っていった犯人が指定した時間にはまだ余裕があったが、夏姫は気が急いて仕方がなかった。
音楽でも聴いていれば落ち着くかと思ったがそれもダメで、克樹の家のダイニングテーブルで、彼女はスタイラスペンを置いてスレート端末の電源を下ろした。
外に出るときはスカートを選ぶことが多いので、家の中でしか穿かないジーンズに、襟つきの薄い青のシャツを羽織った夏姫は、コーヒーでも淹れようかと立ち上がる。
昼食を食べた後、近藤は早く回復するために眠っていた。
徐々に回復していて、目は開けられるようになったが、涙が出てくる上に視界が霞んでいて、まだ外に出られそうにはなかった。
話しかければ返事はあるし、勉強を教えてもらっていたりしたが、リーリエが自分から話しかけてくることはなかった。
――克樹と何かやって、忙しいのかな。
今日、この後のために彼が出かけていったのだろうことはわかっている。何を考えて、どんなことをやっているのかまではわからないが、彼は彼なりに、自分が遭遇した状況に全力を尽くすタイプの人であることを、夏姫は理解していた。
せめて灯理がいてくれたら、と思うが、気軽に外に出られる状況ではないいまは、彼女に来てもらうことも、迎えに行くこともできない。定期的にメールで連絡を取り合って、無事の確認しかできていなかった。
――みんなでいたからかな。
あの狭いアパートではいつもひとりで過ごしているのに、夏姫は寂しいと感じていた。
ここ数日は克樹や灯理、近藤がいて、リーリエともよく話していたからか、アパートの部屋よりも広いLDKにひとりでいると、寂しさと、不安と、たいていぶっきらぼうな表情しかしてない克樹の顔が見たいという気持ちがこみ上げてきていた。
『たっだいまーっ』
そんな夏姫の気分を吹き飛ばすようにLDKに響いた、リーリエの声。
直後に聞こえてきたのは、玄関の扉を開ける音だった。
「何言ってんの? リーリエ。貴女の本体ってこの家にあるんでしょ?」
『そーなんだけど、なんかそんな気分だから……』
「なんとなくわかるけどさ」
リーリエと言葉を交わしながら、小走りに玄関に行ってみると、げっそりとした顔の克樹がいた。
「お帰り。どうしたの? 克樹。酷い顔してるけど」
「ただいま。まぁ、ちょっとね」
どうやら疲れているらしい彼は、靴を脱いで廊下に上がって、ふらふらとした動きでLDKに入り、崩れるようにソファに座った。
「どこ行ってたのよ? 本当に」
「いや、まぁ、ちょっと」
「近藤はほとんど寝てるし、リーリエも忙しいみたいだったし、今日一日アタシひとりでいたんだよ?」
「寂しかったのかぁ?」
少し怒ったように眉根にシワを寄せ、克樹の顔を前屈みに睨みつけると、疲れた顔をしながらもいつもの調子で軽口が返ってきた。
「そ、そうじゃないけど、ほら、勉強だって進まないし、約束の時間も近づいてくるし、ね」
『修行してきたんだよーっ』
「修行?」
「え、まぁ、うん。平泉夫人のところに……」
「女の人の、とこ?」
「いや、そういう感じの人じゃない。僕とリーリエの、師匠みたいな人のところ。そのうち機会があったら夏姫にも紹介するよ」
「ん……、わかった」
慌てて弁解する克樹に、おかしなことをしていたのではなく、今日のために何かをしてきたのだろうとは思っていた。
「この後はどうするの? まだ少し時間に余裕あるけど」
「少し休んでから指定の場所に向かう」
「そっか。夕食にシチューつくって、もうできてるけど、食べる?」
「あぁ、うん。食べる。結局昼までみっちりやって、昼は少し食べたけど、あんまり食べられなかったから……。シチューかぁ。食べるのいつ振りだろ」
げっそりした克樹の顔から、何をしてきたのかまではわからなかったが、ずいぶん大変だったことはわかる。
ひとりではあまり勉強が進まなくて、合間にじっくり煮込んだシチューが出来上がっていた。
「暖めてくるね」
「待て。その前に」
キッチンに向かおうとした夏姫は、それまでのダレたものではない、堅さのある克樹の声に振り返る。
ソファから立ち上がった彼は、眉根にシワを寄せ、真剣な目つきをしていた。
「今日の戦いは、僕に任せてほしいんだ」
「何か理由があるの?」
「うん」
理由を言ってくれる様子はない。
近藤と戦ったときもそうだったが、彼は何か考えを持って、彼なりの理由で動いている。
話してほしいとも思うが、わかるようになるまで触れてはいけないことを、触れるべきではないことを、克樹が話してくれることはない。
――犯人、わかってるのかな?
なんとなく、そう思えた。
レーダーで感知できない忍者のようなエリキシルドール。
そのドールを助けるために現れた、レーダーで感知できるもう一体のドール。
そしてその正体と、その仕掛けてきた人物のことを、克樹はもうわかっているような気がしていた。
「わかった。でも、克樹が負けたらアタシも戦うよ?」
「それはまぁ、仕方ない。でも、たぶんその必要もない」
「自信でもあるの?」
「自信というか、たぶんどうにかできると思うんだ」
睨みつけてくるような視線を和らげ、口元に笑みを浮かべた克樹。
エッチなところを除けば信用できて、信頼できる人だと感じてる夏姫は、今回も克樹を信じることにした。
「うん。じゃあ、任せる。絶対に負けたりしないでよ?」
「約束はできないけど、わかった」
なんでそこで不安になるようなことを言うのか、と思うけれど、克樹の浮かべた笑顔に、夏姫も笑みを返していた。
*
「灯理は少し遅れるって」
「わかった」
携帯端末で電話をしていた夏姫に、僕はそう返事をした。
夜。家からけっこう離れてる広い公園の入り口のひとつに、僕と夏姫はやってきていた。
僕と夏姫が近藤と戦ったとことは比較にならないほど広い公園には、ボート遊びができる池や、雑木林などがあり、博物館といった施設も園内に建っている。
夜も更け、園内の街灯しかない暗い公園の中に、僕は車止めを避けて足を踏み入れる。
「灯理を待たないの?」
「うん。もうすぐ時間だしね」
夜になるとまだ寒いから、キャミソールの上に僕が貸してやった紺色のジャケットを羽織り、いつも履いてるのより丈が長めな緑のフレアスカートに黒いタイツを合わせてる夏姫は、少し不満そうな顔をしながらも後ろに着いてくる。
散歩をしてる人とかとすれ違いつつ、僕たちは雑木林の中を踏み固めた土の道を通り、奥まったところにある野外ステージにたどり着いた。
勾配の緩いすり鉢を半分に割ったような構造の野外ステージの一番奥、百人分あるかどうかの客席の向こうにある舞台の上にいたのは、ふたつの人影。
ひとつは身長百二十センチほどの、黒い衣装を纏った忍者ドール。
もうひとつは、身長はたぶん夏姫と僕の中間くらいの百六十程度で、足下まで隠すような灰色のコートを纏い、フードで顔を被っている人物。
ふたつの人影は、寄り添うように立っていた。
被っていたスマートギアのディスプレイを下ろし、レーダーの距離表示を見てみると、舞台の上に合致する距離に、エリキシルスフィアの反応があるのが確認できた。
その数は、ひとつ。
同じように携帯端末でレーダーを見ていたらしい夏姫がこっちを見て言う。
「今度はエリキシルスフィアつきで出てきたってこと?」
「さぁね」
僕の答えに不満そうな顔を見せる夏姫だが、まだネタばらしをする気はない。
走ってるんだろう、急速に近づいてくるもうひとつの反応を確認して、僕は振り返った。
息を切らせ長い髪を揺らしながら走ってきたのは、薄黄色のワンピースに茶色のボレロを羽織った灯理。
胸に手を当てて深呼吸で息を整えてから、スマートギアに覆われた視線を舞台の方に向けた。
「お、遅れましたっ。すみません。……もう、来ているのですね」
「そうなの。でもガーベラの反応がないんだよ」
不安そうに顔を見合わせているふたりを無視し、階段になってる通路を下りて、僕は舞台へと近づいていく。
小窓で後ろのカメラの視界を表示し、頷き合って神妙な顔で着いてくる夏姫と灯理に注意を向けつつ、端にある階段で舞台に上がった。
忍者ドールがまず舞台端の僕に向き直り、続いてコートの奴が滑るような動作で向きを変える。客席の向こうにしかない街灯では、フードの中まで見ることができない。
「なんで近藤にあんなことしたの?! エリキシルバトルをしてたんでしょ? 卑怯じゃないの!!」
僕の隣に立った夏姫が人影に声をかけるが、返事はない。
「灯理はドール、持ってきてる?」
「あ、はい」
振り向いた僕の声に、灯理は方から掛けていたトートバッグからドール用のアタッシェケースを取り出し、僕に掲げて見せた。
「うん、わかった。ありがとう」
そんな風に言いながら、僕は肩に掛けていたデイパックのファスナーを開く。
「ね、克樹。どうするの? このまま戦うの?」
「いや、まだだよ。ソーサラーの正体を明らかにしないと。ね? 灯理」
横で首を傾げる夏姫。
少し顔を俯かせて答えない灯理の手の動きを、僕は見逃さなかった。
「リーリエ!」
『うんっ』
僕の声に答えてデイパックから飛び出したのは、アリシア。
リーリエにコントロールされてるアリシアは、灯理の右手に取りつき、安全ピンを突き刺して彼女が持っていたものを奪い取った。
着地し、僕の足下に駆け寄ってきたアリシアから受け取ったもの。
防犯スプレー。
昨日近藤に吹きかけられたものと、まったく同じものだった。
「え? なんで? 灯理?」
状況がわかっていないらしい夏姫が灯理に手を伸ばそうとするが、彼女は後ろに下がって逃れる。
「そろそろ、演技は辞めよう、灯理」
針攻撃を受けた右手を左手で押さえ、噛んだ唇を震わせて、おそらく僕のことを睨みつけてきてるだろう灯理。
「灯理が持ってるそれは、ガーベラだろう? あそこでコートを着てるのは、フレイヤだ」
おっとりとして可愛らしい感じの灯理には似つかわしくない、鼻の上にシワが寄るほど怒りに顔を歪ませてる彼女。
「そして、あの黒いドールの名前はおそらく、フレイだ」
肯定も否定もせず、灯理はただ、僕のことを睨みつけてきていた。




