3 転校初日-放課後のターン2
恋愛ゲームアプリ『私立NTL学園』
タイトルこそ品性とセンスの欠片も感じさせないが、秀麗なグラフィックと豪華な声優、そして学園に通うイケメン達をあらゆる手を用いて主人公が寝取るというシナリオが話題を呼び、100万DLを記録したスマホアプリだ。
攻略対象は教師、生徒会長、副会長、剣道部部長の四人で、その四人を同時攻略すると、更に理事長が攻略できるようになるというオマケつき。
中でも一番攻略が楽なのが剣道部部長で彼には友達以上恋人未満な幼馴染がいるのだが、その幼馴染も剣道部部長もどちらも恋に奥手なタイプな為、主人公がどんどん押せば結構すぐに攻略できてしまう。問題なのはそれ以降の副会長→生徒会長→教師であり、彼らを攻略するためにはどうしても課金をする必要があった。
更にある時、アップデートの後に発表された四人を同時に攻略すると隠れキャラの理事長を攻略できるという情報が、ユーザーの課金を加速させた。
同時攻略、つまりは逆ハーが可能というこのシステムが、このアプリの難易度を更に押し上げたのだ。
ヘビーユーザーの中には、桁数が片手じゃ足りない額を使ってでもコンプリートを目指す者もおり、開発したゲーム製作会社が一部上場したのはあのゲームのせいじゃないかと、まことしやかにささやかれたりしている。
ゲームの主人公の名前は亘理紬。県下有数の進学校に、二年生で転入してきた。
四月だというのに始業式に合わせて転入してこなかった理由は、後に明かされる謎となっている。
小柄で全身色素の薄い可憐な容姿の彼女が、手に変え品を変え男を寝取っていく姿は圧巻だ。
剣道部部長と同じように、副会長には彼女が、生徒会長には許嫁が、教師には婚約者が、そして理事長には新妻がいる。
唯一付き合ってもいない剣道部部長がもっともイージーモードだというのも、うなずける話だ。
幸せな恋人たちを引き裂く性悪なゲーム。
しかしそんなものが売れてしまう日本にも、何かしらの問題があるのかもしれなかった。
***
―――絶対変だと思われた。
袖口で涙を拭いながら、葵は思わず逃げ込んだ旧校舎をとぼとぼと歩いていた。
この旧校舎、老朽化を理由に取り壊しが決まっており、生徒の立ち入りも禁止されている。
真面目な葵は普段なら絶対に近づかないので、まさか恭平もここにいるとは思いもしないだろう。
涙が止まったら外に出ようと、葵はゆっくりと歩みを進めていた。
その時。
「キャッ!」
踏み出した廊下の床板が抜け、足がハマってしまう。ドクドクと脈打つ心臓を抑えながら、葵は必死に足を抜こうとした。しかしショックで動揺してしまい、うまく足を抜くことが出来ない。踏み抜いた足は捻挫しているようで、動かしていると足に痛みを感じた。
「痛ったぁ…」
本当に碌な事がないと、葵は涙目になりながら思う。
あの後二人はどうしただろうか。お互いに自己紹介して連れ立って帰ったりしたかもしれない。そう思うと、余計に涙が溢れそうになった。
ガタガタッ
葵が廊下に足を取られたままで落ち込んでいると、今度は横にある教室から大きな物音がした。
人がいる筈のない旧校舎だけに、葵はぞっとする。
実はこの旧校舎、近所でも有名な心霊スポットなのだ。今の今までその事を忘れていた葵もまた、恐怖で体が竦んでしまった。
ガタガタという音が続き、廊下に面した引き戸が呼応するように揺れる。
逃げるに逃げられず、葵は震えながら頭を抱えた。
葵は小さくなって震える。
ドシンッ!
そして校舎を揺るがすような大きな音がする。
引き戸が倒れた音だ。
葵は目を瞑って、何も見ないようにした。
―――助けて、助けて、助けて恭ちゃん!!
普段の強気な態度から一転。葵は心から震えあがり、縮こまっていた。
「ったく、誰かと思ったら二年かよ!」
乱暴な声が自分を非難していると知り、余計に小さくなる。
ギイギイと床板をきしませて、足音が近づいてきた。葵は逃げようと足を何度も乱暴に動かすが、抜けない。抜けないどころか割れた板の先が足に刺さり、余計な傷がついた。
「ちょ、なにやってんだ!!」
幽霊に手を掴まれ、葵は振り払おうともう一方の手をめちゃくちゃに振り回した。何度か手ごたえのある感触が伝わってくるが、掴まれた手は離してもらえず完全な恐慌状態だ。
「いやっ、離して!離してったら!!」
こんなことなら、どんなに嫌でもあの場から逃げ出さなければよかった。旧校舎になんて入らなければよかった。葵の脳裏にそんな考えがぐるぐるとまわる。
「落ちつけ!落ち着けって言ってんだろうが!!」
そう言った何者かにもう一方の手も拘束され、葵は恐怖のあまり頭を振った。先程の倍以上の量の涙が、眦から零れ落ちる。恐ろしすぎて目など開けられるはずもない。
葵は最後の抵抗と自由な方の足で相手を蹴った。すると確かな手応え(足応え?)があり、ウッという籠った声がする。
「ゲホッ、ゲホッ…てめぇ、ふざけんなよ…」
疲れ切ったような声に、葵ははっとして顔をあげた。
涙で滲んでよく見えない。何度も瞬きして涙を流すと、目の前に浮かび上がったのは見覚えのある男子生徒だった。その制服の腹部には、葵が蹴った足跡がはっきりと残されている。
しかし、葵は脳内でその映像を拒否する。
なぜなら、その男子生徒は普段、絶対に先ほどのような荒っぽい言動を取ったりはしないからだ。
色素の薄い長めの髪と、同じように色素の薄い光彩のくっきりしたパッチリとした目。見覚えのある顔だが、いつも口元に浮かんでいるはずの笑みは消え失せ、その顔は不機嫌そうに顰められていた。
「き…北嶋、先輩?」
目の前で葵の両手を掴んでいるのは、温厚と名高い生徒会副会長、北嶋玲その人だった。
―――葵は知らない。その旧校舎で床板を踏み抜くという行為こそ、本来は主人公が起こすべき北嶋との出会いイベントであるなどとは。




