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名前って大事だよね

 クマの飼い主を探して走った俺が見つけたのは、ルマイダと名乗る女の子だった。


 肩の下まで伸びる栗色の髪を後ろで一つに束ねており、強い意志を感じさせる目が特徴的だ。歳はおそらく二十未満。

 身につけている服は細かい刺繍が施されたワンピースとズボンのセットになっており、どこかの民族衣装っぽく見える。

 その上に羽織っていた輝くように白いマントは、森の中を行動していたはずなのに汚れ一つない。何かしらの魔具だろう。

 この手の格好は大山脈の人間に多い。聞いてみると、予想通り大山脈出身だという答えが返ってきた。


 数年前に大山脈を出た彼女は、街中で困っているところを教国の偉い人に拾われる。

 そいつのところでしばらく働いていたが、契約への不理解を突かれて騙され、挙句に借金を負わされたらしい。

 そのあと紆余曲折を経て、現在は開拓領将のところで専属術師をやりながらコツコツと金を貯めているのだとか。

 俺もまったく同じ目にあったことがあるので、随分と共感しながら話を聞いてしまう。俺の場合は返さずにバックレたが。


 その会話の中で今回の彼女の仕事がイカ狩りだったと知り、俺はいろいろと納得した。

 あのイカは北部の海から続く川を登って将国の人里に現れたらしい。

 それによって近隣の街村は蜂の巣をひっくり返したような騒ぎになったのだとか。


 強力な魔獣の出現に応じて複数の狩人や戦士、術師などが緊急招集され、多くの犠牲を出しながらも、なんとかこの異界森林に追い立てる。

 そのまま逃げられてしまえば丸損であり、将国としては是が非でも黒糸を獲得する必要があった。

 しかし異界森林に踏み込める実力者たちは先の戦闘で死んでしまい、他から呼ぶにしても時間的に間に合わない。

 そこで、コイラにて雇われている一流の獣操術師、ルマイダに白羽の矢が立ったのだそうだ。


 最初からルマイダを使えばよかったのにと言うと、彼女の雇い主と他の領将による高度な政治的判断があったのだと教えてくれた。

 要するに手柄争いか。あの国はいつもそんなことをやっているな。

 

 話の流れで俺がイカを仕留めたことを伝えると、彼女は大層落ち込んでしまった。

 使獣を失い、そのうえ獲物も取られていたとなれば落ち込みもするか。


 そうして彼女の経歴と事情を聞き出した俺だが、少し心配になってくる。この子会ったばかりの不審人物に自分のこと話しすぎだろ。

 これだと悪い人に目を付けられて簡単に利用されてしまう。今まさに彼女を利用しようとしている悪い人な俺が言うのだから間違いない。


 獣操術師が近くにいると知ったときは、それはもう喜んだ。

 魔獣を調教し、武装として運用する獣操術師は、人間の中で最上位の戦闘力を持つ。魔獣狩りを行う物も多い。

 彼らならば黒糸を持って街に行ったところで怪しまれることはなく、英雄譚として街が盛り上がるだけで済むのだ。


 そんな獣操術師とお友達になれたなら、装備の更新に頭を悩ませる必要もなくなる。黒糸を売れば山分けにしたところで金には困らない。

 獣操術師と一緒ならいちいち疑われたりもしないので、身綺麗にして髪を染めれば街中でしばらく生活できるだろう。

 久しぶりの文明生活を金持ち状態で過ごせるのだ。これを逃す手はない。

 野望を秘めた俺の毒牙にかかりつつあるとも知らず、彼女は俺が焼いた毒角鹿どくづのかの肉を食べている。


 焚き火の向こうで香ばしい肉をハムハムと貪るルマイダに習い、俺も一口いただく。

 温屠体ゆえに肉の旨味は弱いが、塩とハーブで味付けをしてあるので食感を楽しめる感じだ。

 話に熱中してすっかり日が落ちてしまったので、俺たちは川を見つけ出して野営をしていた。


 まあ、俺からすれば野営ではなくただの日常なのだが、彼女にとっては苦労の連続らしい。

 それを手伝って、というか代わりにやることで、地道に好感度を稼いでいるのだ。

 出会った時の好感度が初期値からマイナスだったので頑張らないといけない。


 やはり彼女の使獣であるクマ――セルボードを殺してしまっていたのがまずかった。

 セルボードを放った術師は賞金稼ぎだとばかり思っていたので、命乞いする術師を優しく許してやることで仲良くなろうと画策していたのだが……

 まさか解体作業で染み付いたイカの匂いに、セルボードが反応した結果の偶発的な物だとは想像もできなかった。


 ルマイダも道理は弁えているようで、俺を責めることはないが、やはり感情は別なのだろう。

 彼女の俺に対する距離感は奇妙なものだ。よく喋るのに、隔意は見え隠れする。

 実にやりづらかった。


 だが、だからといってセルボードを殺したことを後悔したりはしない。

 それは生き残った勝者の立場にありながら、戦いを穢すということだからだ。


 なんとも言えない空気の中で食事を終えて一息ついたとき、初めて彼女の方から話しかけてきた。

 やはり肉が効いたようだ。肉を食べて機嫌が悪くなるやつは滅多にいないからな。


「気になってたのに聞きそびれてたんだけど、あなたはどうしてナディに気付かれず私の後ろを取れたの?」


 上から落ちてきたのはわかるんだけど、と呟きながら、彼女は俺を見つめてくる。

 ナディというのはルマイダの使獣であるデカい狼だ。全長は三メートル以上もあるだろうか。

 本名はナダロス。知能が凄まじく高いらしく、俺達の会話を正確に理解していた。

 さっきもルマイダが自分のことをペラペラと話すので、何度も制止をかけていた。ルマイダは気にせず喋り続けたが。

 苦労性な狼のようで好感を持ったが、向こうからは嫌われているようだ。


「森の上の方を通って移動しただけだよ。枝を伝ったり、頂上から頂上に跳んだりしてな」

「森の上を?」

「森の中の空気は穏やかだけど、樹上なら風が吹いてる。その風に逆らう形で近付いたわけだ」

 

 犬や狼の嗅覚は極めて鋭いが、風下から接近すれば匂いそのものである揮発性物質が届かないのだから気付かれようがない。

 犬と同等以上に鼻が利く熊ですら、風下にいた人間とばったり遭遇してしまうのだから、風は嗅覚に対する数少ない対抗手段だ。

 移動の音も、風に揺れる枝葉の中に隠した。強い風が吹く瞬間を狙って動いただけだが。

 ただでさえ森の中では音を捉えにくい。樹上で葉音に紛れ、風下に流れる移動音を聞き分けるのは狼の聴力でも難しかったことだろう。


「そっか。森の中に風がないから、風のある場所を通ってきたんだ。そういう技法もあるんだね」


 感心したようでいて、少し落ち込んでいるようにも見える。不覚を取ったのが悔しいのだろうか。

 わかりやすく怒りに震えているナダロスを、ルマイダは撫でて落ち着かせていた。


「でも、よく私達のいる場所が正確にわかったね。空を飛ぶルンちゃんを追い切れるはずもないのに」


 あの巨鳥はルンドという名前らしい。愛称はルンちゃん。

 羽の発色がキュートで眩しい女の子だそうだ。


「ああ、それは……」


 そりゃ、いくら俺でも森の中を走って鳥を追いかけるのは不可能だ。

 だから俺はセルボードを倒したあと、ルンドを無視して北西に向かい、セルボードの通過跡を見付け出した。

 セルボードの進路の生物が全て逃げ出していたことと、術師の存在から考えれば汎用忌避剤を使っているのはほぼ確定だ。

 汎用忌避剤なら影響時間は長いので、その痕跡を辿っていけば術師のいる場所か、そうでなくとも別れた地点までは行けると踏んだのだ。


 結果は大当たりであり、セルボードがルマイダと別れたと思われる場所に出た。

 そこから更に気配の薄い地点を探ることで、容易に彼女の位置を特定することができたのだった。


「……勘だよ」


 しかしそれをこのタイミングで彼女に伝えるのはかなり厳しい。

 セルボードの話は鬼門だ。彼女のテンションを落とさないためにも、事実は伏せておく。

 

「勘なんだ。やっぱりそういう、特殊な直感能力みたいなのがあるの?」

「お、おう……まあそういうことだ」


 そういうことにしておこう。


「それならよかったよ。ルンちゃんが随分と気にしてたんだ。自分が追跡を許したせいで、私を負けさせちゃったって」


 あの鳥そんなこと考えるほど頭いいのか。迂闊に悪口とか言えないな。

 聞けば、俺の追跡を警戒して、ルマイダとの合流地点まで大きく迂回して飛ぶこともしていたそうだ。

 そのルンドは現在、文字通り羽を伸ばして空を遊覧している。ルマイダによると、緊張続きでストレスが溜まっていたらしい。


 ルマイダの表情は先ほどまでと比べれば明るい。話をしている内に場が温まってきたようだ。そろそろ頃合いか。


「ところで考えてくれたか? お互い悪い話じゃないと思うんだけど」


 流れに乗って俺側の本題を切り出す。できれば上手くいってほしいところだ。

 頭を捻りながらこそこそと売買ルートを探り出すのは面倒極まりない。ルマイダが協力者になってくれれば、悩みごとは全て解決する。


「黒糸を私が換金して、二人で山分けするって話だよね? でも私が倒したわけじゃないのに……」

「いや、俺じゃ売れないんだからそれはいいんだよ。仲介料だと思ってくれれば」

「どうして自分では売れないの?」

「それは……あれだよ。ほら、ツテがないし」

「そんなものなくても領将様に見せれば買ってくれるよ? 歓迎されて仕官の話も出るかも」

「……」


 明らかに歳下の女の子に論破されてしまった。自分が恥ずかしい。

 しかし俺が一級賞金首の指名手配犯であることを伝えるわけにもいかない。言い訳を用意しておかなかったことが悔やまれる。


「俺さ、実は人見知りなんだ」

「私はさっきから馴れ馴れしいなとすら思ってたけど」


 その馴れ馴れしい奴に自分の経歴喋りまくってたお前はなんなんだと言いたかったが、グッと堪える。

 ふと横を見るとナダロスもグッと堪えていた。やっぱこいつ好きだわ。


 しかし話を聞いた限り、ルマイダは金を必要としているはずだ。にもかかわらず大金を蹴る理由はなんだろう。俺が怪しいからか?

 まあ、それもあるかもしれないが、金が欲しい人間は多少怪しかろうが飛び付くのが普通。特に今回は先に現物を見せている。

 となると、


「やっぱり、俺がセルボードを殺したことが引っかかるのか?」

「……」


 無言の肯定を頂戴した。そういうことらしい。

 そこはなんとか割り切って欲しいところだ。少し面倒になってきたので、俺も腹を割って話すことにした。


「さっきも言ったけど、別に被害者ぶるつもりはないよ。俺はいつでも逃げられたのに、ただ自分の誓いを守るためだけに殺した」


 そう言うと、ルマイダは唇を噛みしめる。やはり怒っているのだろうか。

 ちょっと後悔し始めたが、しかしここでやめるのも違う気がする。最後まで言い切ってしまおう。


「だから俺を恨んでいいし、恨んだ上で俺の話に乗ってみないか?」

「……恨んだ上でって、どういうこと?」


 聞き返してくれたので内心大喜びだ。無言の相手よりは遥かにやりやすい。


「俺と一緒に行動すれば復讐する機会はいくらでもあるだろ。しかも俺を殺せば黒糸も手に入る」


 畳み掛けるように彼女に有利そうな情報を並べていく。こういう時はとりあえず耳あたりのいいことを言っておけばいいのだ。

 深く考えずに喋っているので、目的から遠ざかっている気がしないでもないが。


「それであなたにどんな得があるの? 復讐っていうなら、黒糸のお金をあなたに渡さないかもしれないのに」

「それならそれでいいよ。もしそうしたいなら言ってくれ、黒糸は君にやる」


 全然よくないのだが、一応これは半分くらい本心だ。

 なんだか幸の薄そうなこの子から家族のような使獣を奪ってしまったことを、後悔していなくとも気に病んではいる。

 それを俺の中だけでもスッキリさせるために、お宝を譲るというのは悪くない手だ。見舞金みたいなもんだな。


「……言ってみただけだよ。そんなこと、するわけない。ただ恵んでもらうなんて耐えられないし」


 そう言うだろうなとは思っていた。ゆえに半分。

 まだほんの少ししか接していないが、ルマイダはプライドが高く、自立心の強い人間に思える。

 そして筋を通すことにこだわる性格らしい。さっきまでの会話の中でも、筋が通っているかいないかという話が何度か出てきた。

 そんな彼女が、たとえ見舞金と言われようとも、ただで何かを受け取ることはないだろう。


「なら、君はどうするんだ?」


 真面目に聞いてみる。ルマイダの葛藤はよくわかるが、脈がないなら俺もそろそろ切り上げたい。

 彼女がいればかなり楽になるが、いなければいないでどうとでもなるのだから。

 俺の言葉に少しだけ考える素振りを見せた彼女は、意を決したように口を開いた。


「偉そうなことを言える立場じゃないのはわかってる。それでも二つ、条件を付けさせてくれるなら、あなたの話に乗る」


 条件か。このタイミングで持ち出す条件とやらには、正直言ってかなり興味を惹かれる。

 少なくとも単なる分配交渉ではないはずだ。


「どんな条件なんだ? 俺にできることなら聞くぞ?」

「一つ目は、そろそろあなたの名前を教えてくれないかな」

「……」


 それはちょっと難しいかな。名前言ったら俺が犯罪者だってバレるじゃん。

 というか、今の今まで完全に自己紹介を終えたテンションで接していた。馴れ馴れしいと言われても仕方ない。


「いや、そうだな。ジョミスっていうんだ」

「名前も知らない相手とどんな約束ができるの?」


 ノータイムで切り捨てられる。偽名だと看破したにしても、笑うなり怒るなりしてほしかった。

 そもそも約束するのに正確な名前なんて必要ないだろう。俺は前世で会員カード作るときですら偽名使いまくってたぞ。

 まあ、彼女が言ってるのはそういう話ではないか。名前を教えないなら組む気はないという意味だ。


 次は真剣な顔で偽名を名乗ろうかとも思ったが、ルマイダの目を見る限り無理そうだ。おそらく『加護』を発動している。

 さっきまで隙だらけだったのに、今はこちらの僅かな挙動にも反応していた。

 会ってすぐの時にもこれを使っていたな。読心の類だろうか? いい能力だ。


 もしもこの状態の彼女と真正面から戦いになったとすれば、かなり骨が折れるだろう。

 ナダロス、ルンドと纏めて相手をするなら、一度距離を取る必要さえあるかもしれない。

 ちなみにそれは断じて逃走ではなく、あくまで距離を取るだけだ。数十キロメートルほど。


「……わかったよ」


 もし俺の素性を知られて逃げられたなら、仕方ないと思って諦めよう。

 襲いかかってくることはないと信じたい。彼女には少し情が湧いてしまったので、殺すのは辛い。


 そして俺は、この世界で与えられた自分の名を口にした。


「俺の名前はライドだ」


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