挿話 再就職
散財に散財を重ね、掘り出し物からガラクタまでを買い漁ったその日の深夜。
俺はルマイダに作ってもらった入区証を使って高域区に入り、宿屋代わりに使っている治療院へと戻った。
受け付けの医助師に挨拶をしてから階段を登り、自室の扉の前に立った俺はドアノブに手をかけようとして、やめた。
体を戦闘モードへと切り替える。
部屋の中に誰かいる気がした。勘だが、命がかかった場面で信頼できるのは基本的に直感だ。
買い物の荷物を下ろし、市場でルマイダが発見した掘り出し物の魔具を腰紐の後ろに挟む。
刃渡り二十センチメートル強のそのナイフは、剃刀のような極薄の刃でありながら、凄まじい堅牢さを持つ逸品だ。ナダロスに踏ませても曲がらなかった。
鞘から抜く方法がわからないというアホみたいな理由で叩き売られていたのを、かなり色を付けて購入したのだ。
俺は自分の肉体をコンマ数秒で完全掌握して、無造作に扉を開ける。
戦いに来たというのなら受けて立つし、話し合いならそれでもいい。まずは相手の顔が見たかった。
月明かりの差し込む室内に、そいつはいた。そこそこの金持ちに見える服を着用し、白金の頭毛を後ろで結い上げた髭面の男。
綺麗に整えられたベッドに腰掛け、足を組み、ニヤニヤした顔で格好をつけているそいつに、俺は声をかける。
「開拓領将閣下。こんなところで何をしていらっしゃるのですか? 先の暗殺未遂の件は聞き及んでおります。無礼を承知で申し上げますが、護衛も付けずに外出など、公人にあるまじきと言わざるを得ません」
「おい、その気持ち悪い喋り方をやめろ」
薄ら笑いから一転して不機嫌そうな表情となり、低い声で威圧してくるカルデニオ。
その威圧を無視して、俺は更に続けようとする。
「しかし閣下の御前とあっては……」
「頼むからやめろ。貴様は私より上の立場であっただろうが。男の癖に女々しい嫌がらせをしてくるな」
「そういう男女差別的な考え方は嫌いだな。俺は女々しいんじゃなく単に性格が悪いだけだ。あと、もうお前より偉くもない」
本気で嫌そうなので、ささやかな意地悪はやめてやることにした。
カルデニオのドヤ顔を崩せたことで満足した俺は、普通に挨拶をする。
「久しぶりだな、カルデニオ」
カルデニオはそれに対し、フン、と鼻を鳴らして答えた。感じの悪い奴だ。ツンデレのつもりか。
「五十年以上生きているとな、一年会わなかったくらいでは久しいなどと思わなくなる。先の戦いが毎夜のこと、夢に出てくることだしな」
そう言って、カルデニオは獰猛に笑う。確かに一年前の戦闘は、さぞや無念だったことだろう。
キャリアに傷を付けられただけではなく、家族だと公言する自領兵士を大量に失ったのだから。
「俺を恨んでるのか?」
「馬鹿を抜かすな。その問いこそが腹立たしい。貴様一人を数千の兵で追い回し、千以上を討ち取られた。気持ちがいいほどの敗戦だ。あれで貴様を恨むくらいなら私は死を選ぶ」
心外だと、片眉を吊り上げて表現しながら俺の言葉を訂正する。なら何をしに来たのだろうか。
「今日来たのはな、貴様と話したいことがあったからだ。ついでに元帥からの言伝も受けている」
「……よくこの短期間でリィズと連絡を取れたな」
「元帥の名を軽々しく呼ぶな。不敬者め。元帥からの言伝は以前から受け取っていたものだ。貴様を見つけたら伝えるようにとな」
元帥からの伝言をついでと言い切ったカルデニオも十分に不敬だと思ったが、突っ込み待ちっぽいので無視する。
そういえばこいつはこんな性格だった。
「話したいことってのは?」
「うむ、とりあえずは礼だな。我がコイラの市民を救ってくれたこと、心より感謝している」
カルデニオは自分の首元に左手を当てて、右手を差し出してきた。握手のように手のひらは縦になっている。
これは対等な相手への友好や謝礼を示すときの仕草だ。相手が目上なら手のひらを上に、目下なら手のひらを下に向ける。
無視する理由はないので、俺は右手を出して手のひらを合わせた。
「どういたしまして」
「まあ、兵や士官は悔しがっていたがな。街に魔獣の侵入を許した上、自分たちの手で仕留められなかったと」
獣弩砲まで持ち出していたのにな、と笑うカルデニオだが、俺にとって聞き逃せない内容だ。
「俺のことはもう広まってるのか?」
「もしそうなら、この街は今でも厳戒態勢を続けているだろうよ。山貫犀は散々っぱら好き勝手暴れた挙句、大鐘の警報に驚いて油品屋に突っ込み、自滅したということになっている」
「……お前が揉み消してくれたと?」
「街を救ってもらったのだ。それくらいは当然する」
それはありがたい話だ。これなら、当分は俺の存在が知れ渡ることもないだろう。
カルデニオにそのつもりはないようだが、野心家に知られれば手柄目当てに俺の首を狙わないとも限らない。
しかし安心する俺に向かい、カルデニオは意地の悪い表情を浮かべる。
「そういうことにしておいたので、貴様に協力した少年少女が大鐘を占領したのもなかったことになった。誤認拘束への謝罪金も渡しておいたぞ」
「なんでニヤニヤしてんだよ」
「だがな、いくら揉み消そうとしても、貴様の戦闘を見ていた者たちの記憶を消すことはできない」
つまり、とカルデニオは続ける。
「このまま放っておけば、魔人が再来したという噂は緩やかにだが広がるだろう。貴様はルマイダ殿を隠れ蓑にするつもりなのだろうが、それもいつまで持つのだ?」
「……」
「ルマイダ殿はもちろん、あの少年少女や、この治療院も貴様に関わっている。国賊たる魔人とな」
確かに、あれだけ派手に暴れた以上いずれ見つかる可能性は高い。そうなれば俺の協力者にも迷惑がかかるだろう。
そこを考えていなかったわけではないが……結局こいつが何を言いたいのかはわからない。
口を閉ざした俺を見て満足そうな顔をしたカルデニオは、表情を一気に引き締め、重々しい声を出した。
「我らが偉大なる指導者にして統率者、コルム・リィズ・エトラート・ベルゼッド国政元帥閣下のお言葉を、貴様に伝える」
さっき言っていた伝言をこのタイミングに持ってきた。偉い人の会話のテンポは掴みづらい。
ちなみに、現国政元帥リィズはかつての教え子だ。遺伝形質である加護を複数持つサラブレッド様で、歳は俺の二つ上。
「『ただちに帰投し、恭順を示せ。そうすれば父ベルゥザと、殉職した兵たちのことは水に流す』――以上だ」
「水に流す、ね」
要するにこれが本題か。まともに生活をしたければ、過去のいざこざを清算しろと。
お姫様は寛大な心で俺を許してくれてるから、素直に頭を下げて元鞘に戻れと、カルデニオはそう言いたいわけだ。
普通ならありえないほどに太っ腹な条件だ。謝っただけで許してもらえるようなことでは断じてないのだから。
だが、言い回しがムカつく。水に流すってなんだよ。喧嘩売ってきたのはベルゥザだろうが。
その不満が俺の顔に浮かんでいたようで、カルデニオは苦笑しながら聞いてくる。
「なんだ、気に入らんのか? 国家元首を殺した人間にここまでの温情がかけられることなど、普通はないぞ」
「気に入らないな。ベルゥザとは尋常な決闘だった。兵士を返り討ちにしたのも自衛だ。温情をかけてもらう覚えなんぞない」
「子供のようなことを言うなよ。一国の頭が、一個人に『仲直りしてください』などと言えるわけもない。許してやるという言葉が最大限の譲歩だ」
そりゃそうだろうけどな。それでも俺は、ごめんなさいをする気はない。
明確な意思を持って敵と戦い、打ち倒したことを、過ちだと認めるわけにはいかないのだ。それは完全に俺のルールに反する。
「とにかく、一度中央城塞に戻って話をしてこい。段取りは私がやってやる」
「やだ」
「貴様な……」
きっぱり断る俺に呆れた顔を見せながら、カルデニオは頭を掻いた。
そもそも、これが罠でないという保証もない。のこのこと出て行った俺を飛び道具で囲むというのはいかにもありそうだ。
そうなっても切り抜ける自信はあるが、また無駄に死体を増やす結果になれば不毛極まりない。
「ふむ、どうしても嫌か?」
「嫌だ。話がしたいなら自分から来いって伝えとけ」
「無茶を言う奴だ。まあ、予想はしていたがな」
俺が断ってもカルデニオは大して残念そうにはしなかった。言葉通り、俺の返答を予想していたということだろう。
こいつとは過去に数回しか会話していないのだが、かなり性格を掴まれている感じがする。
「話は終わりか? なら、」
「待て、終わっていない。今のはただの伝達だ。私の本題は別にある」
とっとと帰れや、と手を振ろうとした俺に、カルデニオは待ったをかけてきた。
「元帥と、ひいてはこの国と和解する気がないのなら、貴様はこれからどうやって友を守る?」
「それは……」
「貴様とルマイダ殿ならある程度は対処できるだろう。しかし如何に強かろうと距離の壁は越えられまい。それとも、また森に逃げ込むのか?」
正論だった。この国の中だけでも一定数の知り合いはいる。そして瞬間移動でもできない限り全員は守れない。
そいつらが狙われないように、森林でほとぼりが冷めるのを待っていたという面は確かにある。
「貴様には後ろ盾が必要だ。違うか?」
「……お前がその後ろ盾になるとでも?」
「悪い話ではあるまい。私は中央の将総会では発言するたびに嫌味を言われ、笑い者にされるザマではあるが、この国を守護する『城壁の』カルデニオであることに変わりはないからな」
ほがらかな笑顔で悲しいことを言うカルデニオだった。そんな可哀想なことになっていたのか。相変わらず中央は陰湿な奴が多い。
カルデニオに同情しつつ、俺は考え込む。悪い話ではないどころか、好都合すぎて詐欺を疑うくらいに美味しい話だ。
開拓領将認可の身分証を作ることができれば、どれだけ探し回られたところで俺が見つかることはない。身分証を見せた時点で捜査対象から外れる。
だが、立場のある人間がテロリストを抱え込む目的がわからない。こいつにどんな得があるのか。
「悩んでいるようだが、貴様は拒否できんぞ」
カルデニオは無言になった俺へと声をぶつけて、昏い笑みを作った。
「貴様に協力した少女、テイトナといったかな。その少女を今この瞬間、私の兵が狙っている」
それを聞いて、俺は全身に火を入れる。
間合いは三メートル。カルデニオはベッドに座っている。
右手で目を狙い、防ごうとすれば左手でナイフを抜いて仕留める。それにも反応するなら、それはそれで面白い。
殺す。
殺意を隠さず一歩踏み出した俺に、しかしカルデニオは小揺るぎもしなかった。
「いきり立つなよ小僧。私を殺せばなんとかなるとでも?」
「……」
「私が死んでも続行される作戦ならどうする。街を駆け回って少女の死体に謝罪でもしてみるか?」
この野郎。
「貴様の経歴は知っている。感情に任せて何度同じ失敗を繰り返せば気が済むのだ。愚か者が」
こいつ今の状況わかってるのか?
俺がその気になれば三秒と生きてはいられないというのに、よくこれだけ好き勝手言えるものだ。
「ベルゥザ様との一件もそうだ。貴様に全ての非があるとは私も思わん。だが穏便に解決する道はあっただろう」
「言いたいことは終わったか?」
「貴様は馬鹿ではないが、救いようもなく愚かだ。顧問が要る」
カルデニオが立ち上がり、信じられないことに一歩踏み込んできた。間合いが二メートルを切る。
それは撃鉄の上がった銃を咥えることに等しい行動だったが、俺は未だ引き金を引いていない。
「これは等価の取り引きだ。貴様の行動と生活を支援してやる。代わりに私の利益となれ」
「……利益ってなんだよ」
聞き返した時点で、実質的に俺の負けみたいなものだった。殺す気がないと言ったようなものなのだから。
舌戦でいくら負けようが俺の心の戦績に影響はないが。それでも悔しさはある。
悔しい。
「貴様にとっては大したことではない。定期的に私が指定する地点へと出向いてくれればいいだけだ」
「それがどう転べば、お前の利益に繋がる」
「私が行けと言う場所には、私にとって都合の悪い強者がいる。そこに貴様を投入すれば勝手に戦って倒してくれるだろう」
殺し屋の真似事をしろということか――いや、違うな。
もともと俺は、誰に何を言われずとも強い奴を求めてフラフラしていた。それをカルデニオが指定する相手とやる。
要するにマネージャーを買って出てくれているわけだ。実に魅力的で、互いに利のある提案に思えた。
多くの戦闘経験を求める俺には損らしい損がなく、カルデニオは邪魔者を消せる。ウィンウィンな関係というやつである。
その上で俺の身元保証人にさえなってくれるというのだから、是非もなく飛び付きたいお話だ。
だが、
「人質で脅されてまでやりたくなる仕事じゃないな」
今後も似たようなことをされないとは限らない。人質ユーザーは信用しないことにしている。
なかなかに心を動かされる話だったが、やっぱり殺すか。
問題なくこの交渉がまとまった場合、カルデニオから作戦中止の合図を出すはず。
ここから出された中止の合図を確認できる場所と考えれば、敵の位置は絞れる。狙撃手を探す時と同じ手法だ。
義理のためにカルデニオを助けたルマイダには申し訳ないが、それはそれ、これはこれ。
「待て、早まるな。止まれ。あの少女を襲わせる予定などない。ちょっとした交渉術だ。そんなに本気になるなよ。な、落ち着け」
カルデニオが突然ガチ焦りをしだした。俺の割り切りを見抜いたらしい。なかなかの慧眼だ。
この反応を見る限り、おそらく嘘は言っていないと思うが……確信は持てない。
こいつがハッタリだと主張している人質の話を、俺はハッタリと見抜けなかった。
ならハッタリであるというのが命惜しさの嘘だということもあり得る。ややこしい。
「オジサンのおちゃめだ。男ならドーンと許す器量を見せてみろ」
「さっきまでの大物感はどこに消え失せたんだよ、お前」
情けないオッサンと化したこの態度もまた、こいつの策略なのだとは思う。
それがわかっていながらも完全に毒気を抜かれてしまった。もういいや。俺もテイトナを危険に晒したくはない。
冗談だと言うのなら、そういうことにしておこう。
「わかった、それでいいよ」
殺意を収め、構えを解く。筋肉に力を入れて無理やり固めたせいで骨折部分が痛んだ。
俺が痛みを堪える一方で、カルデニオは息を吐き、冷や汗を拭っている。
「まったく、聞きしに勝る狂犬ぶりだな。寿命が縮んだぞ」
「今のは絶対お前が悪いと思うけどな」
さっきまで一緒に酒飲んだり買い物したりしてた友達を人質に取られたら、普通はキレるだろう。
それで短絡的にぶっ殺そうと考え、即実行に移そうとするのがおかしいことなのは自覚しているが。
「しかし、その頭のおかしさは悪くない。私の考えた魔人運用法は予想以上に上手く機能しそうだ」
「それ、本人の前で言うなよ」
いつの間にか『上手なライド君運用マニュアル』を考えられていることに、なんとも言えない感情が湧く。
そんな俺の背中を、カルデニオは豪快に笑いながらぶっ叩いてきた。
「そう不満そうな顔をするな。これは山貫犀を倒してくれた報酬でもあるのだ。もっと喜べ」
そりゃ、国家反逆者のパトロンになるわけだからな。カルデニオが負うリスクは極めて大きい。
魔獣殺しの報酬としても、俺がかなり得をする契約だ。
「ふむ、伝えることは伝えたな。今日のところは帰るとするか。細かい話は次の機会にだ」
「この流れで言うのも変な感じだけど、本当に護衛は付けた方がいいぞ」
「心配するな、護衛ならいる。お前も彼女に感謝しておけよ。今の話は二人分の報酬だからな」
言い残して、カルデニオは開け放たれた窓から飛び降りた。
ここは三階だが、『頑健』の加護を持つあいつならこれくらいの高さは問題にならない。
しかし着地音がとてもうるさかった。寝てる人たちに迷惑だから普通に出入り口使えよ。
そう考えつつ、奴の言葉が気になったので窓を覗き込んでみると、黒色の巨大な狼に乗る女がいた。
民族衣装のような服の上から、純白のマントを羽織った美人さん。
「やっぱルマイダの仕業か」
軽く手を振り、ルマイダが振り返してきたのを確認して窓から離れた。特に驚きはない。
彼女はこの件について随分と気にしていた。サシの対話という条件で、カルデニオをここに連れてきたのだろう。
どうやら彼女は自分への報酬を俺のために使ってくれたらしい。頭が上がらないな。
「それにしても、再就職か」
これで当面は快適な暮らしをしつつ修行ができる。
具体的な勤務頻度が不明なところに少しばかりの不安はあるが、今はそれよりも期待が大きい。
自分でも現金だと思うが、強い奴と戦えるという点にかなりワクワクしてしまっていた。
各国を巡り、様々な相手と戦い続けてきたものだが、サロンのようなまだ見ぬ強敵は存在する。世界はとても広い。
まだまだ戦える。
そうしてこれからの戦いに期待を膨らませていた俺だったが、唐突に去来する感情があった。それは若い時分によくある、将来への不安というやつだ。
自分の手を見つめ、ひとり言を漏らす。
「俺は、どこまで強くなれるんだろうな」
『あいつ』との距離は、蜃気楼すら見えないほどに遠い。それはもう、月を目指すかのごとしだ。
あれは、到底人間が勝てる相手ではない。勝負にだってなりはしない。人に話せば、無駄で無謀な挑戦だと笑われるはずだ。自分でも馬鹿だと思っている。思っているが、
それでも俺は、あいつに勝つと決めたのだ。無理だろうがなんだろうが、決めてしまったものは仕方ない。
千の勝利で足りないなら百万の、百万の勝利で届かないなら十億の勝利を積み重ねて、必ず到達してみせよう。いつか必ず。
「ま、目先のことからコツコツと、だな」
とりあえずは廊下の荷物を回収するべきだ。通りかかった人に何ごとかと思われてしまう。
俺は部屋の扉を開けた。開きっぱなしの窓から、強い風が吹き込んできた。




