激走。そして開戦
夕暮れが迫るコイラの街を、路面を叩く蹄靴の音がこだまする。
衝撃吸収性の高い素材を履いているおかげか、あるいは単純に脚が頑丈なのか、俺とテイトナを乗せた早馬は岩地の道を臆せず疾走していた。
歩法は襲歩。街中で出していい速度では断じてないが、俺と早馬の技量によってなんとかなっている。
俺の読みと勘を活かし、早い段階から通行人や障害物の存在を伝え、馬はそれを受けて方向と手前の調整を行う。
以心伝心とまではいかないにしても、こちらの意を積極的に汲んでくれるのでかなり楽だ。
まあ、後ろで騒いでいる奴のおかげで乗り心地はプラマイでマイナスといったところだが。
「速い! 速いって! 聞いてる!?」
俺の背中にしがみついているテイトナは悲鳴混じりの声を出し続けていた。
落ちないよう必死なのはよくわかるが、もう完全に首を絞められている状態だ。これでは返事もできない。
馬を止めて腕を緩めるように言う時間がもったいないので、顎を引いて首の筋肉を固めることでなんとか耐えている。
「危ないって! ぶつかるって! 目抜き通りでこんな速度出すのは正気じゃ……あ、この先を右ね」
それでもきっちり案内はしてくれているのだから文句はない。マジで苦しくなってきたが、根性で耐えよう。
俺が右折を求めると、早馬は交叉襲歩から瞬間的に回転襲歩へと移行し、手前を切り替えて交叉襲歩に戻った。
華麗なスイッチに応えるため、俺は見えている通行人の視線や立ち位置などから、曲がった先にいる人間の配置を予測する。
そしてアウトコースを大回りさせ、最小限の減速で右の道へと突っ込んだ。通行人とテイトナから同時に悲鳴が響く。
見知らぬオッサンに蹄を掠めさせつつも、早馬は無事に通行人の間をすり抜けた。
最高の走りだ。こいつとならドバイワールドカップ優勝も夢じゃない。
「今のは本当にヤバかったよ! なんの罪もない人を轢き殺すつもりなの!?」
テイトナの声に泣きが入り始めたが、首が絞まっているのでとてもじゃないが慰めるのは無理だ。俺じゃなかったら確実に死んでいる。
そんな騒ぎを何度か繰り返し、ようやく目的地に近付いてきた。コイラに住むアウトローの巣窟、裏地区へと踏み込む。
思っていたほど小汚い印象は受けない。補修されていない箇所がちらほら見えるが、わりと普通の町風景だった。
中層区の南側まで来たことで、右手遠方には高い鐘楼が見えていた。あれが日に三度時間を告げる大鐘だ。非常時には警報としても使われる。
人の数が幾分少なくなったことで、ペースはかなり上がっている。テイトナも叫ばなくなった。
そこから更に速度を増し、ギョッとした顔で俺たちを見るガラの悪そうな連中を置き去りにし続けて、ようやく辿り着く。
いかにこの馬が優秀でも細い路地に入るのは無理があるので、俺は背中にテイトナをへばり付けたまま降馬した。
そして首に食い込んだ腕を引き剥がす。正常な呼吸を再開して肺を存分に膨らませていく。
なんとか回復し終え、地面にへたり込んでいるテイトナに話しかけた。
「テイトナ、大丈夫か?」
「……死ぬかと思った」
テイトナが力のない声で返答する。俺も死ぬかと思ったのだが、まあこの状態の彼女に恨み言を向けるのは可哀想か。
テイトナの手を取って引き起こしながら、移動中に考えた山貫犀対策を頭の中で反芻していく。
今回は街中での魔獣テロなので、わかりやすいタイマン一騎討ちではなく様々なファクターに影響されるだろう。
特に市民の犠牲を抑えなければいけないのは、俺にとって大きなハンディキャップとなる。
下準備も一切できていない。またしてもテイトナに頼ることになりそうだ。
そうして数秒考えたところで破壊音が聞こえてきた。かなり近い。距離は数十メートル程度。
連続的に地面を揺らしているこの振動は、間違いなく山貫犀の穿孔突撃だ。
岩盤を打ち砕いて山にトンネルを穿ってみせるそれが、今まさに市街地で振るわれている。
「なに、この音」
「魔獣だ。近いな」
「間に合わなかったの……?」
泣きそうな顔でそう聞いてくるテイトナと目を合わせ、俺は嘘偽りのない言葉を告げた。
「もしも魔獣のすぐ近くに人がいたなら、もう死んでるだろうな」
「ッ!」
彼女はすぐさま路地へ駆け出そうとしたが、肩を掴んで強引に止める。凄まじい形相で睨みつけられた。
「離してよ!」
「行って何ができるんだよ。戦うのは俺の仕事だ」
殺気を漲らせる俺を見て、テイトナの表情が恐怖に塗り替えられる。勘のいい子なので俺の戦意は伝わっているだろう。
俺は動きを止めたテイトナを素早く抱き上げ、早馬の背に乗せた。
「ちょ、なにを」
「手を出すなって言ってるわけじゃない。むしろ逆だ。テイトナには魔獣を倒すための重要な役目を頼みたい」
「わ、私に?」
家屋を吹き飛ばす音は苛烈さを増している。寝ぼけた山貫犀の体が少しずつ万全に近付いているのだろう。
それは逆に言えば、寝起きすぐなら運動能力は低いということだ。よほど至近距離にいた人間以外は逃げられたはず。
周囲のボロい店舗や民家からもバラバラと人が飛び出し、謎の災害から逃げ出そうと走っている。
「難しいかもしれないが、今から俺が言うことをやってほしい」
俺は簡潔に要求を述べた。それを聞いたテイトナが困惑した表情を浮かべる。内容自体は単純だが、実際にやるとなればかなり困難なことだ。
「それは、普通にやるだけじゃダメなの? っていうか私が行かなくてもすぐに始まると思うけど」
「駄目だ。普通にだと大した効果はない」
通常の使用法では山貫犀を止めることなどできないので、本来なら領将の許可がなければ行えないレベルでやってもらう必要がある。
そしてもっとも重要なのはタイミングだ。必殺の場面を外してしまえば、全て水の泡となる。テイトナには頑張って貰いたい。
「……短時間しか無理だよ?」
「ああ、合図の瞬間を捉えてさえくれれば長くは必要ない。行ってくれ」
テイトナは手綱を握り、脚を使って早馬を発進させた。リズム良く地面を蹴って走り去っていく。
不安げにこちらを振り向いている彼女に手を振ってから、俺は大きく息を吸い込む。そして全力で吠えた。
「オオオォォォォァアアアァァァァァアアッッ!!」
鳴り止まぬ破壊の音を打ち消す気合いで、空に絶叫を叩き込んだ。残響が漂い、叫ぶ前と後で一つのことが変化する。
暴れ狂う騒音が方向を変えて、こちらへと突進してきていた。成功だ。
山貫犀はおもに音を使って周囲を知覚するので、挑発の咆哮に過敏な反応をするのは当然だろう。
俺は柔軟運動をして敵を待つ。全身の筋肉に血液を流し込み、最高の性能を発揮できるようにギアを上げておく。
住民はあらかた逃げ出した無人の通り。音はすぐそばまで迫っていた。対面は一瞬先。
目の前の、少し衛生面に不安がありそうな肉屋が吹き飛んだ。岩の地面を踏み割って巨体が突っ込んでくる。
ビッグサイズの癖に速度はヌルくない。三十メートル以上の距離を二秒で潰した。
俺はそれをある程度まで引きつけ、軌道修正による追撃が不可能になる間合いを見極めて右に走る。
方向転換して俺を追おうとしてくるが、どれだけ脚力があろうとも慣性を無視できるわけがない。
横滑りするように、馬鹿デカいそのサイは俺とすれ違う。以前戦った奴よりかなり大きかった。
かつて出会った個体は四メートル半ば程度の頭胴長だったが、こいつは軽く五メートル以上ある。
皮膚と角は鉱石のような硬質さを見せつけており、とてもではないがケラチン製だとは思えなかった。
体重差から生み出される威圧感は凄まじく、凶暴性も十分。悪くない。
「相手をしてやるよ」
俺はそう言いながらサイに射箱を向け、親指で打鎚を押し込んだ。叩かれた雷石が電流を発し、魔獣の腱で作られた射帯が一気に収縮する。
生体組織内部の化学反応をエネルギーソースにして撃ち出された金属矢は、鋼板を貫く威力でサイの鼻先に吸い込まれた。
しかし当然のように無傷。この程度では傷も与えられない。俺は真横に跳び、転がるようにして位置を変える。
激走してきたサイは狙いを外して布売り屋へと突っ込んだだけに留まらず、そのまま路地裏まで突き抜けていった。
射箱でダメージを与えることはできないが、誘導や撹乱に使うことはできる。
これを利用して攻撃を避け続け、キルゾーンまで引き込めば俺の勝ち。
だがそれはテイトナに頼んだことの成功が必須条件であり、俺自身も仕込みを行う必要がある。しかも市民を気にしながら。
分が悪いなんてものではなく、ここはまさに決死の戦場となった。自分の命をベットしての戦いは本日二度目。
退屈だった一年間が嘘のようだ。不謹慎だとは思いながらも、笑みを浮かべてしまう。
俺は走りつつ、射箱のフォアエンド部分を引いてコッキングした。建物を次々に引き裂いて、敵が追いかけてくる。
――――
魔獣から逃げる裏地区の住人たちを追い越し、早馬で駆け抜けるテイトナは悩みに悩んでいた。
先ほどライドから頼まれたことは、テイトナが単独で実行するにはあまりにも難易度が高いものだった。せめてあと一人は協力者が必要だ。
しかし城が崩れたことで、街は混乱の真っ只中にある。この裏地区に至っては魔獣の出現で阿鼻叫喚の騒ぎ。
もうしばらくすれば外周区から兵士たちが駆け付けてくるだろう。そうなれば、テイトナのツテからすぐに使えるものはなくなる。
彼女の知り合いのほとんどが、兵士を見れば隠れて息を潜めるような後ろ暗い事情を持った人間なのだから。
そもそもテイトナがしようとしていることは、捕まれば数年の奉仕労働刑を科される規模の犯罪行為だ。
今は緊急事態であり、街を救うために必要な行動なのだから免罪されるはずだと思っているが、それも確実ではない。
ライドが持つという高官との繋がりとやらは非常に胡散臭く、嘘っぽいので、彼女自身も不安を捨て切れずにいた。
こんな状態で、この大それた仕事に手を貸してくれる人間はいない。
――いっそ私一人でやる? 見張りの兵士をなんとかして中に入り込むまではできるかも。でもそのあとは?
合図を出し、合図を受け取って、すぐに例の物を操作する。それだけのことが、どうしようもなく難しい。
少しでもズレれば失敗だとライドは言っていた。ど素人の自分には重すぎる大役だとテイトナは思う。
考える彼女のもとには、途切れることなく戦闘音が届いている。ライドと魔獣が裏地区の商店街を破壊しながらやり合っているのだろう。
戦いといえば、せいぜいが路地裏の喧嘩。激しい物でも刃物での斬り合いしか経験したことのない彼女にとって、これはまさに別世界の出来事だ。
街の一角を潰しながらの戦闘が自分の住居近くで行われていることを強く意識し、テイトナは気合を入れ直す。
――ウダウダ悩んでても仕方ない。とにかく入り込んでから考えよう。最悪、技師を脅して無理やりにやらせればいいし。
罪状がより凶悪化してしまうが、街がメチャクチャにされては元も子もない。そう割り切ったテイトナは、早馬の速度を僅かに上げた。
それでもライドがやっていたような異常な走り方はさせないし、させられない。踵で馬腹を撫でて駈歩を維持する。
実のところ、裏地区でこんないい馬を乗り回すのはかなりよろしくない。よそ者ならすぐにでも引きずり下ろされ、奪われてしまうところだ。
顔役のお気に入りであるテイトナだからこそ、なんとか見逃されている。それでもやはり周囲が向けてくる目は厳しかった。今は災害時だから余計にだろう。
微妙な感情のこもった視線にテイトナが萎縮していると、進行方向に突然人影が飛び出してきた。
前方への注意がおろそかになっていたテイトナに代わり、早馬が自己判断で避けてくれる。
「あっぶな」
馬を止めて、走行中の馬前に躍り出た間抜けはどこのどいつかと振り返るテイトナ。しかしそれは、ついさっき見たばかりの顔だった。
「ボヌ、あんたなにやってんの?」
「いや、その……さっきのこと話したくて、つい」
ボンデンは尻餅をついたままでしどろもどろに返事をする。どうやら無事のようで、テイトナは少し安心した。
彼は度胸試しなどと言ってよくあの魔獣石像で遊んでいたので、今日も同じことをやっていないかと心配していたのだ。
さすがに暴漢に襲われた直後ではそんな元気もなかったらしい。
「ティー、大丈夫だったのか? あのイカれ野郎に酷いことされたんじゃ……」
「心配してくれてたの? ありがと。でも別に何もされてないよ」
テイトナは礼を言いながら、内心でほくそ笑んでいた。今まさに求めていた人材が目の前にいる。
彼女は馬から降り、手を差し出す。キョトンとした顔でその手を見つめるボンデン。
「立てば?」
「あ、うん」
恐ろしく素直な反応でテイトナの手を取り、ボンデンは立ち上がった。驚愕と疑問が入り混じったような顔をしている。
自分が優しくするのがそんなに不思議なのかとキレかけたテイトナだったが、なんとか自制しつつボンデンの肩に触れた。
「あのさ、ボヌ。ちょっと手伝ってくんない?」
そう言って、テイトナは自分が思う最高の笑顔を浮かべた。報酬は弾むつもりだった。




