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鳥籠~Girl that does not carved a time.~

作者: 宇佐美 風音

不器用な少年と不完全な少女。

世界はそんな二人で出来ていた。

4月9日〜Birthday〜



「いすか! 起きていすか! 起きなきゃミステリアスな最期を送らせるよ!」


たたき起こされる。体がゆさゆさと揺れるのを感じつつ、カーテンが開かれる。朝焼けがやけに眩しい日差しと金髪が目につく。


どちらにせよ眩しいのには変わりないので、寝がえりを打ちつつそれらから目を守る。そして静かに眠りの淵へと舞い戻ろうと意識を寝ることに集中させ始める。


しかしまぁそれを良しとしない奴がいるのだから困る。


しつこいくらいに体を揺らし、たまに股間を蹴ったりしてひたすら起床させようと躍起になる在処ありかは、最終的に僕の上に跨がって来やがった。


頼むから寝させてくれ、お前に寝つきと寝起きの悪い人間の気持ちが分かるのかコノヤロー。


「寝直そうとしないでよー! 鼻にメロンパンねじ込むぞこのー!」


物理的に叶わないであろう脅しを落とされるけれど、決して怖いと感じさせないような幼い声によって中和され、最終的に何の脅威も感じないただの子守歌にしかならない。


ゆえに寝る。寝るったら寝る。例え鼻にメロンパンをねじ込まれたって起きないぞ。


「うぅ……いすかが起きてくれない……レンジが爆発しちゃったのに……どうしよ」


「それを先に言え」


再来してた眠気をブラジルに飛ばし、急に起き上がったせいでフローリングに落下した在処を盛大に無視して寝室を抜け廊下を駆け抜け居間に設置されたダイニングに辿り着く。途中ずっこけそうになってしまったのは内緒だ。


かくしてダイニングに来てみれば、白い何かがぶちまけられており角張ったイチゴやべこべこに凹んだミカンの缶詰やらが散らばっており、トドメにレンジの中身が相当グロテスクな状況となっていた。


一気に体の力が抜け、溜息に合わせて在処の頭上目がけて手刀を落とす。


「ひぎゃっ!」


しっかりと制裁を貰い、頭を押さえて上目づかいでこちらを見上げる。そんな目をしたって知らん、当然の報いだ。


「レンジに何を突っ込んだ?」


「卵……何も突っ込んでないよ」


「全部言ってから誤魔化しにかかるな」


成程卵を突っ込んだのか、成程成程。


馬鹿じゃねーの。


「どうして卵突っ込んだの?」


「レンジで卵温めたらどうなるんだっけって思って……純粋な好奇心ってやつよ」


お前の好奇心は人の目を見て喋れないようなものなのか。あともう全部言っちゃてるから。


改めて辺りを見回すと、スポンジケーキや途中で投げ出したらしいクリーム生成用のボールも散らばっており、ここまでで大体料理をしようとしていたことが辛うじて理解出来る。卵を電子レンジに突っ込む珍妙な考えを除いて。


まだ少し判然としない頭を振りつつ嘆息。傍で縮こまってる在処を見やり問う。


「色々とツッコミたいんだけど、どうして突然ケーキ作ろうとしてるの?」


「なっ! なんでケーキだって分かったの!」


手で口を覆うようにして驚く在処に、そもそもスポンジケーキ見れば大概の人は気付くんじゃないかなという無粋な発言を寸前で抑えた。


まぁ言いたかったらそもそもこんな驚き方しないし、きっと聞いてほしくはないのだろう。どうせやることも出来ることもなく暇となってしまったのだし、今更こんなことを聞くだけ無駄なことなのだ。


「何となく、ね。取りあえず電子レンジは壊れてなさそうで安心したけど」


洗い場の下にある戸棚から新品の雑巾を取り出し、レンジの中身を拭いて行く。あらかた拭き終わった頃に一度閉めて、五秒に設定して起動させてみると正常に稼働してくれたのでその結論を出した。


「大体、どうして料理を? いつもみたいに買い物で済ませることも出来ただろうに」


レンジの無事を確保してダイニングから離れ、つけっぱなしになっているテレビとDVDプレーヤーの電源を落とす。電気がもったいないって概念は持って無いけれど、それでも今は必要ないと判断した。


そこまでの動作を終えて、いまだにダイニングで俯く在処を見つめる。


「……いすかには関係ない」


ぽつりと落ちた言葉は、僕を軽く突き放すものだった。本人的には本意からの拒絶じゃないことは表情や態度で分かるが、だからこそ尚更意味が分からない。


近所にはケーキ屋だってあるのに……もっとも、とっくに賞味期限なんて切れてるだろうが。


そう言う意味で言えばこの卵だって怪しいよ、そもそもこの世界で乳製品とか自殺行為だしね。


「そっか。じゃあ取り敢えず僕はお役目御免?」


もう眠気もなくなっちゃったし、散歩にでも行こうかな。在処も何かしているようだし、邪魔するのも悪いし。


こちらの言葉に数秒かけて相槌を打った在処を見て退室、外に出る大体の準備を終えて家を後にした。


外へ出る寸前、袖をまくってやる気に満ちた表情を浮かべる在処を見た。どうやら読みは正解みたいだ。


そんなことを思いながら外へ出る。焼き尽くすような暑い外へ。


男だけど日傘が欲しくなるような日差しの中、時計に目をやる。


「午前二時過ぎ……まだ夜中じゃん。あいつこんな時間に起きて何のためにケーキなんか作ってたんだ?」


家庭菜園で育てたイチゴと、お祝い時にしか使わない缶詰まで取り出して。あと缶詰は叩いても開かないからね、べこべこに凹ませてたけど世の中には缶切りという文明の利器があるんだよ?


しかしまぁ在処だって女の子だ、料理の一つや二つしたくなるものなのかもしれない。缶詰の開け方は相当アグレッシブだけれど。


結論を出した後に逡巡し、瓦礫を踏みつけながら梨本の家を目指すことにした。ついでに漫画の続きも借りたかったところだし、この際借りて行こう。


「あーあ」


午前二時一三分。季節は春。太陽が照り付ける中。


「あっつい」


燃え焦げて形を失った廃墟を抜けて行く。


友人の家を目指して。





「ごめんなー、急に押し入っちゃったりして。ちょっと家を出なきゃならない用事があってさ、ここに来るしかなかったんだよ」


空の見える二階建ての家に来る。


屋根の消え去った家屋の二階で言い訳のようなセリフを呟く。木くずが落ちて裸足ではとても活動出来ないような有様になっているが、それでも靴をはいて対処しつつ借りていた漫画の連番を探すために大きなスライド式の本棚を漁る。


「にしてもこの漫画、読み始めると止まらないよな。昨日もつい読みふけっちゃって寝る時間遅くなっちゃってさぁ」


ちょっとした寂しさを感じつつ、僕はほいさっと漫画の続きを数冊掴んで部屋の外へ向かうための扉の目指そうとして足を止める。


「…………」


友人がいつも座っていた事務用チェアを見やる。そこには天井が抜けた木くずを乗せているだけの、ところどころほつれの見えるボロボロの椅子があるだけ。


そんな廃れた光景をこれ以上直視するには、今の僕にはひどく凄惨なものに見えてしまっている。


ゆえにこれ以上の滞在は心を痛めてしまうだけだと思い至り、時計を確認しつつ今度こそ梨本の家を出る。


相変わらず蝉一匹音を鳴らさず、風が耳を過ぎる音だけが聴覚を刺激した。たまに聞こえるのは形を保てなくなった家から落ちる瓦礫や木くずのみ。


太陽もずっと真上にある。いつなんどきも位置を変えず形を保てなくなったこの世を照らすそれを恨めしそうに一瞥し、再び廃墟の中を歩く。


ねじ曲がって今にもひび割れたコンクリートに倒れ込んでしまいそうな電柱を、視界の端に捉えながらも闊歩する。


「そろそろ良いかな」


時計を見る。二時も終わりが近づき三時へとその歩みを進めていた。


もう少し様子を見るべきか、それとも帰るか……。


うん帰ろう、あまり外にいても気分悪くなる一方だし、何より今は誰かと話していたい。自分でもこんな感傷的になるのは珍しいと思う。


……そう言えば、在処の時間が止まってからもう一年くらい経つのか。正確には一一ヶ月だけれど、もはや一ヶ月の差くらい切り捨てても良いだろう。ゆえに一年だ。


歳を取れば取るほど一年を早く感じてしまうらしいけれど、二○歳の僕にはまだその感覚に同意をすることが出来ない。


だけど今なら少し分かる気がする。過ぎ去って初めてその速さを体感して、そうして気が付いたんだ。


春夏秋冬が一巡するのはすぐだ。気を抜いていれば一気にその距離を作り、一周遅れてあぁもう一年かと分かるこの切なさは痛いものなんだと知る。


こんな二年前までは学生だった自分でも分かるもんだ、もっと人生を長く歩いていた人からすればまだまだ早いのだろうが、それでも理解は出来た。


どこかの本の受け売りみたいだけれども。


楽しさを知ってる人は、同時に寂しさも知っている。その逆もしかりで、結局生きているうちは楽しいという感情と寂しいという感情を行ったり来たりするものなのだろう。


……やれやれ、気分を変えたいと思っていたのに何も変わっちゃいなかったな。今度こそ切り替えよう。


ほら、そんなこんなで自宅に到着した。梨本の家とは違って小さく一階建ての我が家。


僕と在処の住む家。時が止まり、進むことをやめた我が家に。


遠巻きからでも分かる匂いを鼻で受け止めて、すぐに今日が何の日だったかを思い出した。こんな早い時間に在処が起きていた確実な理由を知り、気分を新たに敷居を跨いでいく。


こうなるのなら何か買ってくれば良かったな。クラッカーなりなんなりの鳴り物を買って、きっと慣れないことをして眠りについているであろう小さく儚げなその子を起こすのも兼ねて。


まぁそれはそれで良いか。


きっと来年にもこの日は巡って来る。


少なくとも僕は信じてる。


だから今はこのままで。


この身一つで。


帰ろう。


そして祝ってもらおう。


四月九日という日を。


僕の誕生日を、『今』に閉じ込められた少女と一緒に。



5月3日〜Distant〜



「いすかって先月で二一歳になったんだよね」


ソファーに寝転がってニュースの焼かれたDVDを眺める僕に、PCデスクの椅子に腰をかける在処がそんな問いかけをする。


先月共にクラッカーを鳴らしたその日が誕生日なら、在処の疑問にイエスを投げかけることが出来る。


「そうだよ」


「良いなー。私なんて同い年になるまであと三ヶ月も先だよー」


足をパタパタとさせながら聞きなれたことを言う。いつも思うが逐一見せる行動が決して成人を過ぎた人間には見えない。


はてさて……在処の誕生日は夏真っ盛りの八月二五日。早いところなら夏の長期休暇が終わっている頃だ。


毎年僕が誕生日を迎える度にこの言葉を聞くのが定説になっているので、そうかもうそんな時期かと思い至らされる。


「三ヶ月なんてあっと言う間だよ」


「そうは言うけどねぇいすか、待つ側にとって三ヶ月って言うのはすっごく長いんだよ?」


「ゲームの発売日じゃあるまいし、延期ってことはないんだから待つしかないっしょ。前倒しなんて出来ないんだから」


むしろ前倒しが起きるような状況にはなってほしくないな、個人的に。


「むー、いすかは分かってないなぁ。これは少し早めに誕生日を祝ってほしいって言う暗黙の了解を示唆してるんだよ?」


少し長めの金髪を揺らしながらフフンと不敵に笑う。そもそも口にしてしまった時点ですでに暗黙じゃないんだよ?


「何度か寝て起きてを繰り返してればそのうち誕生日になってるよ。ちゃんと祝ってあげるから」


「クリスマスを指折り数えて待ってる子供をあやすような言い方はやめてよー、私もう子供じゃないよん」


そういうのは子供みたいに頬を膨らませながら難癖つけたそうな半目でこちらを見なくなったら言おうよ、とは言わず。


「知ってるよ」


素気なくなってしまったが、そんな返事をした。


子供でいて良い時間は終わった。けれど、それと同時に立ち止まる時間も終わっているんだ、それに気づいてくれるのは果たしていつになるのやら。


だけど今はこれで良いんだと決めているせいか、自分でも不思議なくらい落ち着いて対応出来ている方だと自負している。


「さて、今日はどうしよっか」


「誕生日ぱーちー」


「三ヶ月後でしょうが、諦めなさい」


「じゃあ誕生日ぱーちー」


「目的が微動だにしていないよそれ」


「百歩譲ってカバディ」


「お前は僕の何歩先に行ってるんだ」


参ったな、今日の在処はいつになく強引だ。いやまぁ、いつもデパートの屋上にある遊具コーナーへ連れてけと駄々をこねる子供みたいに無邪気で強引だけども。


例えが古かったことに触れた人は割り箸が綺麗に割れなくなる呪いをかけるとして、これは何かで誤魔化すしかなさそうだ。


しかし今の在処を誤魔化すのは一筋縄では行かないぞ。それにこちらとしては前のこいつみたいに、サプライズ企画を考えることが大が三つくらい付くくらいには苦手でもあるのだ。プレゼントだって、一ヶ月くらい前から決めて買っておかないと間に合わなくなるくらいには悩むし。


というわけで情けないけれど、「ねぇねぇ何か言ってよー」と言いながら僕の上に乗っかって来る金髪妖怪甘えん坊女に問いを投げることにする。


「じゃあ在処。誕生日は無理だけど他に何かしたいことある? その要望が可能なものならやろうよ」


「本当に!? やったーさっすが私のいすか! もう大好き!」


つぼみが開花したような凄まじい笑顔を見せながら抱き付かれる。流石に外気の暑さのこともあるので、何とか手を伸ばして扇風機のリモコンを奪取して電源を入れる。


風になびいた金髪からフローラルな匂いが鼻孔をくすぐるけれど、頭を上げて真っ直ぐに顔を見る在処。というか近い顔近いノーズトゥノーズしちゃってるから。


「じゃあデートしよデート!」


「外暑いじゃん」


「えー何でもやるって言ったじゃーん!」


可能ならやるって言ったんだ、勝手に放ったワードをリライトするな。


「選択肢は多いに越したことないって。他には?」


「うーんとー……」


口に指を置いて思案投首する。そして在処はいつになったら僕から離れるのだろうか。


「じゃあ買い食いして歩こ!」


「学生かよ」


「スイーツ巡り!」


「女子かよ」


「最近部長のセクハラひどくねぇ? むかつくからお茶に指入れてやったわー!」


「OLかよ」


「片足で体重計に乗っても体重は変わらないんだよ?」


「マジかよ」


「ソースは私」


実践済みなのかよ。


というか駄目だ、これ絶対終わらないパターンや。


「はぁ……分かった、じゃあデートしよう」


こうなった場合早めに折れるのが得策だ、それにデートの方が在処はきっと喜んでくれる。数あるイベントの中から先頭に持って来たくらいだ、きっと心のどこかでデートをしてみたいって思ってくれてたんだろう。


そう考えると僕的には嬉しい誤算ではある。


「いぇーいデートだデートだー!」


「分かったからそろそろどけようね。着替えたいし」


一応言っておくと、今はTシャツにハーフパンツだけなので明らかにデートには不釣り合いな服装なのだ。流石に着替えないとまずい。


「おっけー! じゃあ一〇時に駅前集合ってことで! またあとでねー!」


言うが早いか在処は腹部から飛び立って自室のある二階へと走って行く。一方僕は飛び立つ在処によって腹部を強打し、白目をむいてソファーの上で瀕死の状態でいた。


着替えはその数分後に始めることとなったのは、言うまでもない。





午前九時五〇分。時計にはその時刻が刻まれていた。


駅前広場は錆びたタクシーやひん曲がった時計台、平和を象徴したらしくDNAの拡大図のような空へ伸びるようにうねった銅像が存在する。塀には「神は世界に鉄槌を落とした」なんて言う宗教じみた板が貼り付けられている。


空は空で相変わらずの晴天、絶好のデート日和と言える天気だ。


しかしまだデートを企画した本人が来ていないので、駅内を探索したのちに自販機にノックをしてみるが、渇いた反響音が小さく響いただけだった。


温度表示すら点灯していない辺り、完全に破損しているようだ。恐らく中身の飲み物は……駄目だ考えたくない、想像以上にひどいことになっていそうだ。


ただでさえ我が家も大型のバッテリーをパクって電気を供給しているし、この中身が


どうでも良いけれど、紙コップ式の自販機ってGの巣窟らしいね。


「お待たせー!」


そんな何の得にもならない貧相な豆知識を披露したところで、後ろから唐突に抱きしめられる。ふんわりと女の子らしい匂いがふりまかれてドキッとしたのは墓場まで持って行く秘密にしよう。


まぁ声の正体は改めて聞くまでもなく分かる、在処だ。


「待たせちゃったー?」


後ろから肩に顎を乗せてお決まりの常套句を口にする。ちらりとそちらに目を向けると、邪気のない笑顔が映った。


一度言ってみたかったセリフなのだろう、少し照れも見える。


「さっき来たばっかりだよ」


だからここは在処のノリに則ってそう返した。


するとようやく離れてぐへへと笑う。せめてえへへだったらもっと女らしかったろうに、どうしてそんなえげつない笑い方をチョイスしたんだ。


「さ、行こうよ! すぐ行こう今行こう!」


どうしよう、いつも以上にテンション高めの金髪娘は、手を取って今にも夕日に向かって走り出さんばかりの勢いだ。


だけどそれに着いて行くことなく立ち止まっていた。それを不審に思った在処は不思議そうに振り返って小首を傾げる。


「行くのは良いけど、プランとかあるの?」


あとここら辺でデートするのに最適な場所があるとは思えないのだけれど。


「えー、いすか考えててくれたんじゃないの!?」


「誘った人が相手任せにしちゃうのかよ……」


まぁ良いけれども。しかし参ったな、店なんてやってるわけないし行くとしたら風景を楽しめる場所と限定されてしまうわけで。


この田舎で楽しめる風景……田園風景?


「田んぼ見る?」


「毎日見てるじゃないのよそれ!」


僕かて毎日見てるわ。だけど見せられる場所と言えばそこしかないぞ?


二人してひび割れたコンクリートを見つめながら腕を組んで悩みに悩む。うん、どこ行ってもあんまり変わらないとしか言えないな。


時間が止まってしまっている在処からすれば壊れきった店も普通に開店しているものとして判断してしまう、そういうハンディキャップがある分、僕としては在処の判断を優先したかったのだが……。


こうなれば致し方ない、普通のお店に入ってみるか。


「じゃあファミレス行くか? 映画館なんてこじゃれた場所ここらにはないし」


言うと、在処は微妙な面持ちで頷いた。


不服なのは分かるが、この田舎に都会みたいなデートスポットを求めるのは無理があるぞ、在処さんや。


「そう言えば在処、そんな服持ってたっけ?」


駅からファミレスを目指すために歩みを始める。その隣について歩く彼女を見やり、思ったことを口にした。


在処の触れてほしかった部分に的中したのか、水を得た魚のように動き回って服を見せびらかす。


「流石いすか、気付いてくれると信じてたよ! こんなこともあろうかと買っておいたお気に入りのワンピースなんだー!」


スカートの先がフリルになっており、胸元のボタンはピンクの小さなリボンになった白いワンピースを僕に見せびらかす。いつの間に買っていたんだ、いつもは買ったものを僕に見せつけるのに。


取り敢えず思ったのは、良く言わずに我慢していられたなってことか。


そう言えば先月のケーキのこともほとんどばらしているようなものだったとは言え、結構秘密を作るようになったな。


「似合ってるね」


「え、えぇ!? 臭ってるね!? 今日着たばっかりなのに!?」


「どんな聞き間違いしてんだ、似合ってるって言ったんだ」


朝抱き付かれた時もさっきもそうだが、お前の匂いは変わらず良い匂いだぞ。具体的には……うんとにかく良い匂いだったぞ。


「何よもー、びっくりさせないでよね!」


急に臭ってるとか聞き間違えられた方がびっくりだよ。


とまぁ何だかんだでファミレスに到着。駅から少し歩くだけであるんだから便利だったんだなぁ。


「わーいファミレスだー! 何頼むー? あ、私はパフェりたいからパフェりんぬで!」


パフェを動詞にする奴初めて見た。とか思いつつも我先にと店内に入って禁煙席だった場所を目指し、辛うじて残されていたが多少黒ずんだメニューを開いて叫ぶ在処の向かいに座る。


なんてことはない、どこにでもあるファミレスだ。特筆すべきことはないけれど、ここも天井は無くもちろん電気も空調も存在しない。


ゆえに暑い。非情にも日差しが照らし続ける中、出て来るはずもない料理を待たなくてはならないのだろうか。


というわけで、こうなったら先回り準備していた作戦を決行しよう。


「あれあれ? どうしたのその風呂敷!」


あらかじめリュックに詰めていた弁当を取り出し、タオルで埃や抜け落ちた天井材を払って乗せる。


「弁当作って来たから食べよう」


こういう時に打つ手はこういった無理やりな話題変更だ。僕が店などに入りたがらないのは、こんな場面で在処の意識に矛盾が生じてしまうからだ。


例えばこの場合、ファミレスに来てるのにどうして注文をせずに食べ物を持参するのか、ここはファミレスのはずなのに、あれ?


という概念が在処の中で生まれてしまう。そうすることで綱の上を渡っているが如く危うい状態でいるこいつがぐらついてしまうのだ、結果的にそれは転落の道を辿って現実を直視してしまう可能性がある。


今ある光景を理解したくないがゆえに閉じこもった在処がこの世界を認めてしまえば、存在するもの全てを否定してしまうこととなる。それにはもちろん、自らの命すらも秤にかける隙すら与えず捨ててしまう可能性も示唆される。


だからこそ、この手を使った場合は確実な心のケアを行わなければならない。


「えぇー、折角ファミレスに来たのにお料理頼まないで勝手に持って来たもの食べちゃいけないんだよー?」


「大丈夫、今日はファミレス休みだから」


「早く言おうよそういうことは!? というか休みなのにどうして入れたの!?」


「んー……顔パス?」


「分からない! いすかの地位が分からない!」


「王位」


「人を呼ぶような感覚でさらっと物凄い地位を見せつけられた!」


もー、次は早く言ってよね、という腕を組みながらの言葉で締めくくられ、どうやら上手く丸め込めたことを知る。


ここまで誘い込むことが出来ればこっちのものだ、心が痛むけれど僕だけが悪者でいればこいつは純真無垢なままその時を迎えられるだろう。


そしてもしもいつかばれたその時は……喜んで裁きを受けよう。


年齢にそぐわない幼き心根を守るためなら、僕は喜んで悪魔になろう。


だけどそれ以上に、在処には喜んでいて欲しい。


それだけを僕は望みたい。


それだけを僕は守りたい。





手作りの弁当を食べて腹を満たした後、一六時まで買い物を済ませて家路についた。


いつも通りお金を置いて必要最低限の食料を持って行く。無人販売所みたいに思えば、少なからず良心が痛むことはない。


まぁ買い物なんて言うけれど、大体の食料品は腐っているので缶詰オンリーだったり災害時に使う非常用食糧なんだけれどね。


二人して決して赤く染まらない空の下を歩き、結局いつも通りの日になっちゃったねと話し、在処は笑い僕は頷く。


「そう言えばいすかって笑わないよねー」


腕をわざと大きく振って唐突に降ろした在処の話題は、喜怒哀楽に関するものだった。


自分自身そういった感情表現に疎いと自負しているので、大して傷つくこともなく真っ直ぐに受け止めて返答した。


「僕はそれが僕だと思ってたからあんまり気にしたことなかったや」


事実泣ける曲を聴かされて感動しても、それを顔に出したことがない。全米が何度泣いたか分からないような映画を見ても同じ結果だけがどこまでも着いて来る。


頭ではわかってても必ずしもそれが表に出ることはない、恐らくその寸前で堰き止められてしまうのだろう。鼻でうどんをすすって口から出す芸人が口に出すまでの過程を止めてしまうとどこかにいってしまうあれと同じで、きっと頭から顔に届くまでにどこかへ行ってしまうのかもな。


そんな戯言を心中にて語っていると、在処は返答に返答を重ねて来る。


「ふーん。いすかって不器用なんだね」


「は?」


言われたこともない言葉を向けられて、率直な反応を示す。


「笑いたい時は笑う。泣きたい時は泣く。体はそう出来ているのにいすかは出来ない、自分の体なのに不思議だねー」


「笑いたくても笑えない人だっているさ、それは常識じゃない。僕の場合ひどい言い方をすれば別離に近いからね」


「自分の感情との?」


顔を覗き込んで来る。見慣れた顔を。


「うん。人としてなくちゃならないものが必ずしもセットで持たされて産まれるわけじゃない。人はどこかしら足らないまま産まれる、それが差別を生み格別を作り格式に縛られたまま苦しんで死に絶えるか、則って生きるかだよ」


「……ふーん」


覗き込んでいた顔を元に戻して前を見る。足をひっかけそうになった電柱を飛び越えて数歩先を行く。


丁度五歩分だろうか、そこで立ち止まって振り返ったので立ち止まって顔を見合わせる。


「じゃあやっぱりいすかは不器用だね!」


えへへ、今度は女の子らしく笑い、そうしてまた家路を辿る。


不器用。独特な視点から見た評価を反芻し、答えが出ないままその背中に追いつくように歩く。


不完全な人と世界を失ったこの地を踏みしめ、歩く。


どことなく心を覆うモヤモヤとした違和感を残して、空を見上げた。


「……遠いなぁ」


「いーすかー! 遅いよー、早くー!」



7月25日〜Mother〜



部屋を掃除していたら、面白い物を見つけた。


在処が使っていた携帯だ。ベッドの下に置いていた小物を入れる籠にあったもので、今でいうガラケーの黒だった。


開いてみるとしっかり画面を表示させており、存在を証明するように時を秒単位で進めていた。この時で言う待ち受け画像は不意打ちで撮影された僕で、遡ること三年は前のものであることが分かる。


最後に見た時から随分角や画面が擦れている、物持ちの良い在処からは容易に想像が出来る傷ではあるけれど、どうして充電が完璧な状態で残されているのか。電波も入らないこの現状で使うには機能的に制限されていると思うのだが……。


かといってアラームに使っていたとしても、元々アラームで起きるような寝起きの良さは持っていなかったはずだ。もっとも、最近は僕よりも早くに起きては問題を起こすか平和の、プラスかマイナスしかしていないわけだけれども。


本人が居間にいるわけだけれど、ただでさえ掃除中にちょっかいを出して来たので放り投げたのに聞きに行ったら何を言われるか分からない。


なので後にしよう。晩飯を食べる時にでも会話のネタにすれば問題ないだろう。


なんてことを思っていると、急に家の中がどたどたと騒がしくなりだす。その音は次第に強くなって来たのですぐに誰かが……まぁこの場合金髪台風ガールがここへ向かって来ていることに気付けた。


案の定部屋の扉が勢い良く開け放たれ、在処が笑顔でこんなことを言い出した。


「大変だよいすか! お弁当箱が物の見事に粉砕した!」


ハリケーンの中心は、そんな聞き慣れることなどなさそうな異次元レベルで意味不明なことを叫ぶ。


「どんなことしたらそうなるんだよ」


爆発物を用いた料理ってこの世にあったっけと脳内をグルグル回すけれど、残念ながら僕の本能がこれ以上考えたら頭痛の種になるぞと忠告して来たのでやめた。


そんなわけで事の次第を確かめるべく一階へ向かう。と言うか在処は家で走らないでよ、中身はそこそこ綺麗だけど意外とここも崩れる可能性はあるわけなんだしさ。


僕嫌だからね、家がアラームみたいに崩れて朝を伝えにかかるなんて。


かくしてキッチンに辿り着き、黄色い長方形に角が丸い箱の端が思い切り欠けているのを見せつけられる。


メニューはスパムを開けずにそのまま詰め込んだと言う「君アグレッシブだね」と鼻で笑われそうなものだった。と言うかこのおバカさん、缶詰の開け方も知らないのか。


「在処」


「なぁにいすか、私のあまりにおいしそうなお弁当に見惚れるのも分かるけど、今はそれどころじゃないんだよ!」


これをおいしそうと言ったら俺は缶詰の生みの親に見惚れたってことになるのかな。


「驚かないで聞いてね?」


「うん、聞くよ聞いちゃうよ聞きまくるよ!」


「君は僕の想像から一○○ペタメートルくらい離れた大馬鹿だよ」


「光年単位でいすかに馬鹿って言われた!」


何で喜んでるんだよ、と言う疑問はそれこそ九百四十六光年先まで置いておくにしても、どうして缶に詰められている物を開けると言う発想に至らないのだろう。


と言うかここまで来ると一種在処を尊敬しちゃうよね、むしろ逆転の発想だよ缶詰を弁当箱に詰めるって。九回裏ツーアウト満塁の状況で敢えて犠牲フライ目当てで打ってゲームセットされちゃった気分だよ。


まぁ要するに意味分からないってことだけれども。


「まぁとにかく、この粉砕した弁当箱を僕に見せて何がしたいの? 僕に謝るの? それとも……謝るの?」


「それ謝る以外選択肢ないじゃん! いすかって馬鹿だよねー、人のこと言えないよそれじゃあ」


人差し指を立てて左右に揺らしてちっちっちと舌を鳴らす。秒針が進む音なのか人を馬鹿にしているのか、どちらに転んでいても僕は在処の頭にチョップを落とす。


「馬鹿なのは在処だよ、謝れってことでしょうが」


しかもこれ僕が昔使ってた弁当箱だし。良くも貴重な物品を物の見事に粉砕してくれたなこの生きた自然災害め。


「何でよー、折角お弁当持ってピクニックに行こうって決めたのにー」


涙目プラス上目づかいで僕を見るが、それ初耳なんですけど。


「それこそ何でよ、いつからピクニックに行くって決まったのさ」


「だってさ、こーんなに天気良いのに外出ないなんて馬鹿のすることだよ!」


雲もない晴だけの気候になったのを知らない在処がそんな無邪気なことを言い、胸がちくりと痛んだ。


別に馬鹿と言われたことに対してじゃない、馬鹿に馬鹿と言われたって痛くも痒くも無いわけだし。だけど、在処の目にはきっと雨や雪だって見えているんだろう、何せ時間は止まっても周りの季節は当たり前に姿を変えて来たんだ。


その世界を守ると決めた僕が、安易にこれを否定するのは忍びない。


「分かったよ、ピクニックには行く。行くとして、その持って行きたいって言ってる弁当はどうするの? 箱も壊れちゃったし」


嘆息ついでに腰へ手を当てる。頭を摩りながら俯き気味に呟く。


「だから在処を呼んだんだよぅ……どうしようかなーって思ってさ……」


ぶっちゃけ、僕としてはあまり家の物に手を出して欲しくないんだよね。


いつ何がきっかけで在処の時間が再び壊れちゃうのか分からない以上、引き金を引かれたらそのまま撃たれるように止まった時間が動くかなんて知りようもないし。


だから実は僕が寝ている時間が一番怖いんだよね、最近は僕よりも早くに起きてるしその中で何を見つけ出して真実に気付くかなんて考えるだけでも恐ろしい。


「はぁ……」


仕方ないなぁ、何か打開策がないものかと戸棚を開けて回る。何か弁当箱の代わりになる物がないかを探すためだ。


何かないものか、最悪タッパーでもあれば良いのだけれど……とは言え、弁当ってことはバラン何かも使うんだよね、貴重な物資だし使うのは気が引けるけれど、在処のためでもあるから背に腹は代えられないよなぁ。


その意図が分からず立ち尽くして僕を見つめる在処をそのままに、今度はシンクの下にある棚を開けて行く。しかしまぁ弁当箱なんてそうそう買いだめているなんてこと……。


「あった」


しかも新品で。


と言うかこれ……高校時代に母が俺用にって新調してくれた弁当箱じゃん。


男なんだから一杯食べるだろうし、大きいのにしときなさいって言われて購入へと相成った思い出の箱。


『――……いすか、あんたは好き嫌いがなくて偉いねぇ』


『――……いすか、母さん聞いたよ、学校のテストで一位だったんだって? 凄いじゃない!』


「……? いすか?」


『――……いすか、学校で何か嫌なことでもあったの?』


『――……いすか、男の子なんだから一杯食べるでしょ?』


『――……いすか、早く部屋から出て来なさい! 学校は勉強するところでしょう!』


『――……いすか、せめて部屋から出て何があったのか言いなさい。話し合いましょ?』


『――……いすか、あんたの好きなシチュー作ったのよ、良かったら部屋から出て一緒に食べない?』


『――……いすか、今地球が大変なことになってるのよ、部屋から出て一緒に逃げるよ!』


『――……いすか、逃げなさい! いすか!』



「いすかってば!」



ハッとなる。眼前には在処の心配そうな表情がアップで存在していた。


いつの間にか視界が真っ白になって、消し去ったはずの過去がリフレインして溢れ出て来て……いや。


「大丈夫。あと弁当箱見つけたよ」


顏を離して隣に居た在処に新品の黒くて幅広な弁当箱を手渡す。それを受け取っても在処の顔の翳りは晴れない。


「それよりいすか、さっきどうしたの? すっごく苦しそうな顏してたし……」


そうなのか、と問うよりも早くに何かが額と頬を撫でる。拭ってみると炎天下でスポーツでもしたのかと思うくらいにべっとりと汗が手に付いていたことに気付く。


立ち上がって水道で手を洗い、偶然テーブルに置いていた洗濯物のタオルを在処から受け取って濡れた手と顏を拭く。


そのままタオルで前髪をオールバックにして、不安げに俺を見つめる少女の頭に手を置く。


「悪い、ちょっと気分が優れないから今日は寝てるよ。ピクニックは明日行こうな」


在処のためとは言え、この状態でピクニックに行く気力は残念ながら今の僕にはない。


むしろこの心境で在処と出かけることこそ彼女のためにはならないとさえ思う。勝手な思い込みだけれど、それでもそう思わせて欲しいくらいには自分の気が動転している。


今こうして平然としていられるのが異常とさえ思う。だから目下僕は布団に潜って落ち着きたい。


あぁ……そう言えば部屋掃除が途中だったっけな、携帯のことも聞きそびれてるし……。


「分かった……」


沈んだ声音で在処は了承し、すまないと一言添えて背を向ける。今の僕はひどく情けない顏をしていることだろう。笑いものにされても文句一つ言えないようなどうしようもない表情でいることだろう。


そんな顏は見せたくない、在処の前では気丈で居たい。男としてのプライドではなく、僕にとって彼女しか居ない存在だ。


考えてみれば、前に在処が言っていた言葉は図星だったのかもね、僕は感情を表に出すのが苦手だってのを不器用と呼称した彼女の言う通りだ。


僕は不器用だ、こんな形でしか彼女と触れ合うことしか出来ない。またの名を……。


「臆病」


呟きは誰が拾うわけでもなく霧散して、部屋に戻る前に汗を流そうとシャワーを浴びることにした。



7月26日〜I'm here〜



何の前触れもないのは当然なので、目を覚ましたことにもきっかけがあるわけではなかった。


僕にしては良い寝起きの状態だと思うよ、いつもならこんなすんなり頭が働くことないもん。


今何時だろうかと時計をベッドの上の段をまさぐるけれど見つからず、そう言えば外さないまま寝たのではと思って手首を見やると案の定装着されたままだった。


時刻は午前三時二四分。昨日掃除を始めたのが大体午後の九時過ぎだったから、それから色々あったのを鹹味しても五時間ちょっと寝ていたようだ。


夢は見なかったけれど、その分起きた所で母の笑顔が網膜に焼き付いたように離れない。自分の顔を手で覆い、嘆いても取り返せない過去に涙するなと訴える。


あれは僕が悪かった。何も言わないで勝手に引きこもっていた僕が悪かったんだ。


「……在処はどうしてるかな」


遠足の前日は当然の如く眠れないような少女だが、こんなお休みの仕方をしたのは初めてだったし、きっと眠っていることだろう。


どうしようか、目を覚ましたには覚ましたけれど眠気が二度寝をオススメして来るし、このままもう少し寝ようかな。


どの道こんな時間帯にピクニックに出かけることなんて無いだろうし、もう少しだけ寝て元気を取り戻せるようにしよう。


そう決めて布団を引っ張って潜ろうとするが、端が引っかかって上手く手繰り寄せられないことに気付いた。


何事かと思って上体を起こし、目を擦って壁際ではない方で突っかかっているらしい布団の端を見つめる。


「……すぅ……すぅ……」


居た。


カーテンから漏れる太陽に反射して目が痛くなりそうな金色の髪を無造作に垂らして、腕を組むような形で布団の上に突っ伏す在処が居た。


いつものしゃかりきなテンションとは裏腹にあまりの女の子らしさと大人しい寝息を聞いていると、もしかしたら偽物なのではないかと思ってしまうけれど、この顏と髪を忘れることは今の世界に居る僕には到底出来そうにない所業だ。


神聖な絵画を見ているような気分になるほどの綺麗な寝入り方で、思わずその金髪を撫でてしまう。


さらさらときっちりシャンプーやトリートメントの行き届いた、枝毛一本無い黄金色の髪。


だけど目元は赤く腫れ上がり、僕が寝る前までこの子が何をしていたのかが簡単に想像が付いた。


言葉を失ったまま彼女に見惚れていたが、ふと在処の手に目が行く。そこには僕が部屋を片付けている間に見つけた例のガラケーが握られていた。


今でも使ってたんだな、こいつ……道理で擦れ具合とか諸々が妙に使い込まれているように見えたわけだ。


在処を起こさないようにそのガラケーを抜き取り、バックライトの消えた画面に光を与えるように適当なボタンをプッシュした。


途中いすかが唸り声を上げて、しまったと後悔しそうになったがどうやらそのまま睡眠の続きを始めたようで一安心する。


改めて画面を見てみると、結構な量の文字が羅列していたのに驚いた。


メモ帳と言うか、日記だろうか。日付と天気が表示されていたそのページを保存して、前のページを表示させる。


すると日付をタイトルにした日記が数多く姿を現し、静かに仰天した。何だ、こんなマメなことしてたのか在処は……。


勝手にこういうのを覗くのは忍びないけれど、今の在処がどう感じてこの世界で生きているのかが気になり、僕は好奇心に敗北してしまい早速適当に四月九日、僕の誕生日の日記を開いた。



『4月9日 晴


今日はいすかの二十一回目の誕生日。

どうせいすかのことだから忘れてるだろうし、仕方ない私が祝ってあげようと思ってケーキを作ることにした。

前にテレビで作り方を知ったから、きっと作れるはずと思ったのにいきなり失敗しちゃった。

いすかに怒られちゃったけど、頑張って作ろうとしたんだけど結局失敗しちゃった。

ごめんね、いすか』



そうだよな、あの日はいつも通りの食事にせめてもの救いとして大事に取って置いたミカンの缶詰を開けたんだよね。


この世界でケーキなんて高価なものは買えないし、買えても賞味期限の問題上食すことは出来ない。


それを分かってもらうわけにはいかなくて、誕生日なのにやたらと気付かれしたのを覚えているよ。



『5月3日 晴


今日はいすかとデートした。

最近のいすかはどんなに呼んでも出て来てくれなかったのに、私と一緒に居てくれる。

いすかが部屋から出て来てくれるだけでも嬉しいのに、私とデートしてくれたのはもっと嬉しい。

だけど一番嬉しいのは、ずっと遠いと思っていたいすかが傍に居てくれてること。

今日はありがとういすか』



過去、学校でいじめに遭っていた僕のことが話題になっている。


行きたかった高校に入学出来たのに、求められた問題の答えを解いていたり自分ではなく僕に話していることが気に入らないと言う子供みたいな理由で、好きだったはずの高校の先生からいじめを受けていた。


そいつに脅されて手を加えて来た生徒の顔だって鮮明に覚えている。思えば色々されたっけなぁ、教科書全部燃やされたり解いたテストの答案を焼却炉に捨てられて全教科ゼロ点にされたり……。


今となっては下らないことされてたなぁと他人事のように達観出来るのに、当時の僕の心は相当ナイーブだったんだろうね、いやはや。


しかしどのページを見ても僕のことばかりが書き込まれているなぁ。まぁ毎日どころか生活すら一緒だからなんだろうけれど、それでも多く目に入るね。


そんなことを思いつつカチカチと日記を読み進めてみると、昨日の日記に辿り着いた。



『7月25日 晴


天気は晴れてるのに、今私の心は土砂降り。

いすかが部屋に篭り始めた時と似たようなこと言って部屋に戻って行っちゃった。

このまままた出て来なくなったらどうしようって思うと、涙が止まらないや。

私、いすかに何かひどいことしちゃったかな、いつも迷惑ばっかりかけてて嫌になっちゃったのかな。

私のこと嫌いになっちゃったのかな。

そう思い始めたら止まらないや。

いすか、お願いだから私を置いて行かないで……』



「…………」


黙ることしか出来なかった。


まさかここまで思い詰めていただなんて、考えもしなかったからだ。


僕の一言や行動一つでこんなに不安似させてしまう程、在処と言う女の子は弱く脆い存在だったのかと思う。


だけど、安心して欲しい。俺は在処を邪魔だと思ったことなんてないし、嫌いになんてなれるはずがない。


「なぁ在処」


答えなんて寝入っている彼女からあるはず無いのに、僕の口が勝手に動いてしまった。


「……君は僕のことを何も分かっていないね」


素直にそう思う。自業自得で部屋に戻っただけだし、もう出ないつもりだってない。


僕が子供で居て良い時間は終わったんだから。


「僕がここから飛び立てたのは、在処のおかげなんだよ」


人類が消え、生態系も無くなってしまったこの瓦礫だらけの世界で、何の変わり映えもしない太陽が照り付けるこの世で僕が部屋から出る決意をくれたのは、在処が居たからだ。


ここに在処以外の誰かが残っていたら、きっと今も部屋に閉じこもっていたはずだ。


母親にだってどんな顏して会えば良いか分からなかったし、何より在処を一人にしたくはなかったし、悲しませたくなかった。


「在処が居なかったら、今の僕は居ないんだ」


流石にここまで声を出してしまえば在処も起きてしまうだろう、眠たげに薄く目を開いて顏を上げる彼女を真っ直ぐに見つめる。


判然としない意識で僕を見つめる彼女の目に語りかけるように続けた。


「……在処、僕の傍に居てくれてありがとう」


何故かと聞かれれば、まぁきっと恥ずかしがって一度しか言わないだろうからと前置きをして口にするんだと思う。


在処の言う通り、僕は不器用だから感情を露わにすることも伝えることも出来ない。


けれどそれは今までの僕だ。彼女の想いに触れられた今の僕なら、胸を張って言えるだろう。


彼女がどう思おうと、僕の気持ちは変わらない。この感情がなければきっと君と一緒にこんな壊れ果てた世界で生きようだなんて思わないしね。


「……あはは、いすか……やっと笑ってくれたね……」


眠いせいで吐息が多めだったけれど、それでも嬉々として声を弾ませていたのはちゃんと感じ取れた。


そのまま力尽きるように頭を僕の布団に落として再び眠りにつこうとする彼女の表情は、どこか幸せそうだったように思えた。


……そうか、そうなんだよな。


僕はこの子のおとが……在処のことが好きなんだよな。


だから守りたいと思うし、一緒に居たいと思うし、一緒に居るんだよね。


瓦礫しかないこの世界でただ一人にして僕の大切な人、在処が僕の居場所なんだ。


彼女居ない世界なんて考えられないし、考えたくもなかった。


ずっと一緒に居てあげたい。


いや……ずっと一緒に居よう。


この命が朽ちるその時まで。


「だから、今はおやすみ……在処」


そう言い残して僕も横になる。


次に目が覚めた時、今度のいすかは何をしでかすだろうか。ピクニックに行った時、何を言うのだろうか。


きっと僕の想像なんかじゃ思いつきもしないことをするだろう。


きっと僕の耳を疑うようなとんでもないことを言うだろう。


そんなことを思いながら僕も眠った。


僕のために取って置いた服を着た在処の笑顔を思い浮かべながら。


明日は何が起きるだろう。


僕ら以外の人や動物が消え去った世界で、それだけを楽しみにしていた。



『7月26日 晴


今日は元気になったいすかとピクニックに行った。

私の作ったお弁当を美味しいと言ってくれた、事前に勉強しておいて良かったなぁ。

いすかは本当に優しくて好き、どんなことを言っても返事をしてくれるし、皆みたいに私のことを邪魔だと思わないし。

あの学校で私をいじめていた連中とは大違い。

……あのね、いすか、私ね……





いつも独りの私と一緒に居てくれるいすかのこと、大好きだからね』

ここまで読了なさった皆様は、「鳥籠」と聞いて最初にどう言う印象を抱きますか?

鳥が住まう場所、鳥が閉じ込められる場所、鳥が生きる場所、たくさんの解釈があるんだと思いますが、全てに関連して来ることと言うのは「場所」であることなんですよね。

ですが私が「鳥籠」を見て最初に抱いた印象と言うのは、「逃げ場がない」です。

場所以前にゴールの無い迷路みたいとも思いましたが、ここに入ったが最後こんなに広い空の下を飛び回ることも出来ないままなのかなーと思っていたら、いつの間にかこの物語が頭の中に浮かんだってのが制作秘話だったりします。

そんなわけで初めましての方は初めまして、そうでない方はどうも、宇佐美でございます。

時を刻まないヒロインと時を刻み続ける主人公なのか、はたまた時を刻むヒロインと時を刻まない主人公なのか。

そう思わせるラストの壊れっぷりと言うか大どんでん返し的なそれは、私自身すとんと落ちない奇妙な物語に仕上がったなと思います。

まぁどこぞの名探偵風に言えば、「ネクスト宇佐美sヒーント『携帯』」って感じです。

この物語を読了して下さった皆様が「これって結局いすかの物語なの?」とか「それとも在処による自演なの?」とか思っていることでしょうが、作者としてはそれこそが狙いなのだと満足げに笑みを浮かべたりします。

現実なのか幻想なのか、実際それは彼女の日記次第なんですよね。

きっと日記があるのとないのでは大きく物語の根底が変わって行く……これはそんな小説です。

とにもかくにも、何かご質問とかあれば是非コメントを下さい、いくらでも解答致します。

それでは今回はここまでとさせて頂きましょう、何かあまりプラスなことを言えた気がしないのですが、あまり長々と語ってしまってもおあとがよろしくなさそうなので失礼させて頂きます。

改めまして、ここまで読了して頂き、真にありがとうございました。

また別の機会にお会い出来ることを楽しみにして、精進して書いて行こうと思います。

それでは、宇佐美でした。

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