【競作】レシピエント・ガール
ファンタジックホラー競作 第五弾
<お題> 「人形(又はぬいぐるみ)」
初参加ですが、全力で楽しませて頂きました。
「被告人。氏名を」
男は堂々と名を語る。次いで年齢、職業、住居、本籍と告げて検察側に目をやった。検察官は経験の浅そうな若い男だった。起訴状を読み上げる口が震えている。
「――被告は少なくとも一件の殺人を行い――」
そう、これは殺人の刑事裁判だった。
「――また余罪では行方不明者含め、実に三十五件もの関与が疑われ――」
信じられない数の殺しをした。
「――刑法百九十九条の殺人罪にあたる――」
自分を起訴する文面を聞き入るように目を閉じていた男は、黙秘権の告知を聞き流しながらニヤリと笑っていた。
「全面無実を主張する。俺は、いまの訴状に該当することは一切合切やっていない。検察側の主張は事実無根である!」
まるで熱の入った演説のような、よく通る低い声で男は言った。
老弁護士も追従して頷き、聴衆に少なからぬどよめきが走る。殺人罪を問う裁判で、ここまで気後れのない被告人がいるというのか。それは自らの行いに恥じ入るところのない無実の人間だからではないか。
男の態度と雰囲気は、たった一言で、周りをそんな風に思わせる。
だが、検察側は揺らがない。それも当然だ、追及者たるものその疑いを自信なさげに構えるなど有り得ない。
そんな検察側の臆さない態度が気に入らず、男は「ふん」と鼻を鳴らした。
「では、検察側。証拠を提示してください」
男から見ると、出される証拠は目を覆いたくほど杜撰だった。
ぼやけている上に荒い監視カメラの映像。その場にい合わせたというだけの状況証拠。被害者のものと思われる加工済みの臓器など、決定的な証拠は何一つ出てこない。
適当に受け答えをするだけで裁判長に次々と却下され、検察側はどんどん不利になっていく。
それもそのはずだ。男は殺人の証拠など、いやさ、どんな些細な犯罪の証拠だとしても残してはいなかった。偏執的なまでの証拠隠滅を行い、捜査を混乱させるように時間を掛け、状況や心情までを読み違えさせる小細工を仕掛け続けた。
男の自信は絶対だった。
「証人喚問」
当然のように証人についても、男は油断なく"処理"している。目撃者はおろかほとんどの遺体が上がっていないという事実から考えても何一つ男の完璧を突き崩すものは存在しない。
だが、しばらく待っても証人は現れず、検察側が裁判長に訴えた。
「裁判長。本証人は衰弱が激しく証言台に立つことが難しくあります。ただし、専用の生命維持装置に繋がれたままであれば証言が可能なのですが、構わないでしょうか?」
裁判長は他の裁判官に目配せをしたあと了承した。ほどなくして法廷の隅の扉が開かれ、その証人がやってきた。
傍聴席が慌ただしくどよめく。無理もない。証人はまるで白い衣装箪笥のようだったからだ。足元に大きなローラーがついている以外では表面には意匠もなく、誰の手を借りることもなく自走するさまは異様ですらあった。
やがて証言台の付近で停止する。
「静粛に。みなさん、彼……いえ、彼女ですか。証人が話します。静粛にお願いします」
裁判長も初めの驚きは去り、どよめきを静めにかかった。
「良心に従って真実を述べ何事も隠さず、また、何事も付け加えないことを誓います」
そして箱の証人は、驚くほど流麗な声で宣誓書を朗読した。今日の日付と、何より氏名を述べたが、男は肝心な部分を聴き逃してしまった。
その箱、その見た目にとほうもない衝撃を受けていたせいだった。
「わたしは男の完璧な殺人の中で唯一の生還者です。彼に次の犠牲者として監禁され続けていました」
まさか。ありえない。男の内心は荒れ狂う。表情には頑として反映させなかったが、男の背にはじわりと汗が滲み始めていた。
「警察が発見時、彼女は重傷を負っていましたが、何者かに応急処置を施されており、そのまま病院に搬送。一命を取り留めました」
若い検事は補足した。そして続けて証言を促した。
「では、あの男の犯罪について自由に証言していただきたい」
男は何も言わずに、箱をじっと睨みつけていた。
「まず、初めて殺したのは二十五年前……あの男が七歳のころです」
「ふざけるなっ! 何を根拠にそんな大昔のことを言う!」
「被告人、静粛に。証人の言葉です、そのまま続けてください」
「くっ……」
男からは明らかに余裕が失われていた。
箱の証人は裁判長の言葉を受けて続ける。
「はい。少年だった男はそれをきっかけにして死体を隠すことを学びました。大量の血が吹き出す胴体以外を解体し、手足および頭部は冷凍庫に入れて、腐敗を止め、時間を開けて処理しました」
ずばずばと暴かれていくやり口。ただ証人の口調はあまりにも穿ち過ぎている。それを信じるものは、もとから正解を知っているものに限られるはずだ。
そう自分に言い聞かせた男は喉を鳴らし、息を潜める。汗が顎を伝い落ちた。
何年何日に決行したか。どんな凶器を用いたか。どんなトリックで捜査を迷宮に落とし込んだか。そしてどんな残忍なことを、楽しみながら平然と行なってきたか。
淡々と箱の証人は語る。
そして――
「これが、二人目です。三人目の被害者は――」
馬鹿な。ありえない。
男と同じ感想を抱いたのか、老弁護士は声を張り上げた。
「ま、待ってください! 証人。あなたは一体、いつから監禁されていたとおっしゃるのですか!?」
そもそも監禁などした覚えのない男にとっても返答は非常に気になった。
箱の証人は答えた。
「初めからです」
「初めとはなんですか!」
「男が殺人部屋に人形を飾り始めてからですよ」
「は、はあ……?」
「――ッ!?」
老弁護士が疑問符を浮かべる横で、男は反応を堪えることに失敗した。周囲の視線がにわかに集まったことを察して、慌てて取り繕うが、男にとってそれはあまりにも致命的だった。
裁判の趨勢がではなく、その絶対に知られるはずのない事実を知られていたということに。男の中の確たる自信の器に罅が入った。
そんな男の内心をつゆ知らず、老弁護士は追及する。
「仮に監禁の事実があったとして、それが長期に渡ったので記憶をいいように作り替えてしまったとか、いろいろあるでしょう!? とにかく証人の話には信憑性がない! 裁判長、検察側に証人を下がらせるよう言ってください!」
だが、若い検事はかけらも怯まず言い返す。
「いいえ、調査したところ証人の発言には、はっきりとした整合性があります。必要ならば資料を提出させて頂きますが?」
「……見せていただこう」
資料には証言にある場所で二人目のものと思われる手足の骨の一部が、警察による捜索によって見つかったことが書かれていた。さらに、いまなお証言された場所には次々と訴えにある余罪が、骨となって見つかり続けているという。
「ぬぅ……」
あまりに明白な資料に、唸るしかない老弁護士。男も半ば恐慌状態だった。
「証言を続けても構いませんか?」
否とは言わせない。箱の証人の冷ややかな声には、そんな圧力がこめられていた。
了承を得たところで、「では、四人目を――」と、男の犯罪歴が、物証つきで暴かれていく。
「男は、四人目からある行為を行い始めました。それは、殺害した女性の臓器を人形の中に納めておくことです。この行為は男にとって快楽を伴っていたようで、頻度は徐々にエスカレートし、やがて循環という答えにたどり着きました……」
もう、男は俯いて、ひたすらその証言が終わるのを待つしかなかった。自らの行いを明らかに見ていた他人の視点でえぐり出され、叩きつけられ、凡俗で醜悪な蒐集だったと貶められる。
十人目。十五人目。二十人目。
違う。違う。違う! そうではないのだ。
無実を主張している限り、そんなことは口が裂けても言えない。だが、何度も心が折れかけ、そのたびになぜここまで知っているのかという疑問を呼び起こし、千里眼能力者や霊媒師の可能性を探った。どんな些細なことでも取っ掛かりにして糾弾できればあるいは……だが、そんなもの法廷では何の意味もない。男は黙っているしかなかった。
二十五人目。三十人目。三十五人目。
ひとりひとりに素晴らしいエピソードがあり、殺すことへの歓喜があり、死にゆく絶望と悲鳴と美しさがあったのだ。
それを……この証人は、何もかもを、ぶち壊し、蔑み、徹底的に破壊し尽くした。
長い、長い証言だった。そしてようやく最後のひとりを語り終えたとき。男は心のガードを下げ、灰になったように息を吐いた。耐えた。ただそれだけで空虚だった。
まさしく、ワンサイドゲームだった。
論告・求刑。
「空前絶後の犯罪です。検察側は極刑を求めます」
「弁護側は……死刑制度廃止の観点から……無期懲役を求めます」
男は、何も耳に入らず、何も考えられなかった。ただぼんやり、証人を見る。
それは願っていたことだが、同時に叶うはずもないと思っていたものだった。
「最終意見陳述です。被告人、何かありますか?」
水を向けられて、感度の低いラジオのようにノイズ混じりの思考で反応する。
何を言おう。すべて仕方がない。罪は罪。知っているさ。情操教育は受けている。ただ少しばかり殺すのが気持ちよくて、法律よりそっちを優先しただけだったのに。男は熱に浮かされたように呟く。
隠していた。隠しきっていたはずだってのに、なんで。
「あいつは……なんだ……」
それだ。明らかにおかしい。一点だけ。
「なんで知ってたんだ。変だろ、おかしいだろ。いや、わかってるんだよ。でもありえない。だって――」
弾けるように席を立つ、慌てて警備に取り押さえられてなお呻く。
「お前は、誰なんだっ!! 俺が、命を与えた。女どものはらわたを生かしたままつなげて処理した。完璧で、だけど……だけどお前は命のない人形だったはずだ!! なのに……一体、誰だって言うんだ……」
法廷は息の音一つせず、静まり返る。
項垂れる男に答える声はなかった。
閉廷。
極刑を待つ身で男は箱の証人について何度も問い合わせたが、証人はその後、行方をくらましたという。探そうにも檻の外。そしてやがて刑が執行される。
『臓器を移植し、命を持った人形か?』
そんなことをひたすら綴った文が、男が入っていた行刑施設の部屋で見つかった。
だが、すべては闇の中。
レシピエントとは臓器移植における用語で、提供者と受給者であります。